映画レビュー1116 『アメリカン・ヒストリーX』

今日も例のやつだぜ!

なにせメジャーな映画なので観ようとは思っていたものの、少々ビジュアル的に興味を惹かれないタイプの映画っぽかったので悩みはしたんですが…結局観ました。

アメリカン・ヒストリーX

American History X
監督

トニー・ケイ

脚本
出演

エドワード・ノートン
エドワード・ファーロング
ビヴァリー・ダンジェロ
ジェニファー・リーン
ウィリアム・ラス
イーサン・サプリー
フェアルザ・バルク
エイヴリー・ブルックス
エリオット・グールド
ステイシー・キーチ

公開

1998年10月30日 アメリカ

上映時間

119分

製作国

アメリカ

視聴環境

Netflix(PS4・TV)

アメリカン・ヒストリーX

今になってより深刻さを増す物語。

8.0
白人至上主義の男が殺人の罪で服役後、戻ってきたら別人のようになっていて…
  • 兄を崇拝する弟の目から見た、以前の兄と現在の兄
  • 兄の差別主義的過去が中心に描かれ、その頃との違いを現在描写で見せる
  • 公開当時よりも現在の方がより現実的で深刻さを感じさせる怖さ
  • 差別を考える上で通るべき一本

あらすじ

なかなか重いテーマでしんどい映画ではありますが…これは観て良かった映画ですね。

20年以上前の映画ではありますが、むしろ今の方がよりリアルさを増して刺さってくる話でもあり、その事実そのものにいろいろと考えさせられるものがあります。

ある日の夜、家の外で車を盗もうとしている黒人たちを発見したダニー(エドワード・ファーロング)は、彼女ステイシー(フェアルザ・バルク)と今まさにガンガンセックス中の兄・デレク(エドワード・ノートン)の元へそのことを報告。

「なんだと!?」と怒り狂ったデレクはショットガン片手に外へ出て見張りをまず銃殺、車の近くの男にも発砲後、逃走中の車にも発砲。

車は逃してしまったものの、撃たれて動けずにいた男を締め上げた挙げ句殺害、駆けつけた警官によって逮捕されます。

詳細はわかりませんがある程度の情状酌量(自宅敷地に侵入した窃盗犯等が勘案されたのか)の結果、三年間の服役で出所することに。

服役中、「やっぱりあいつはすげぇ」と白人至上主義のメンバーたち、そして弟ダニーから神のように崇拝されていたデレクですが、出所後はかつての白人至上主義ぶりは鳴りを潜め、何かがあったことを伺わせます。

困惑する周りに対し、人が変わったように見えるデレク。果たして彼はどうしてしまったんでしょうか。

今になってより深刻さが増す内容

物語は過去と現在が交互に展開する例のパターンですが、比率的には過去の方が長い印象で、ざっくり過去2:現在1という感じ。感覚なので的外れの可能性はありますが、過去描写が長く感じられるは事実です。

過去フェーズではもう嫌というほど“白人至上主義”に染まるデレクの姿が描かれ、またその彼に群がる仲間たちのしんどさったらない。観ていられないぐらいに低俗で無能かつ暴力的な集団です。

しかしねー、これ「ああこの頃はこういう人たち多かったよね」なんて他人事に観ていられないことは間違いがなく、僕が観ていて一番思ったのは「トランプ支持者たちの姿に重なる」ということ。

それはニアリーイコールで日本のネトウヨにも当てはまるわけで、むしろ現代の方が(日本も海外も問わず)分断が進んでこの手の差別主義者たちがより悪目立ちしてきている時代なだけに、まあひどく生々しく見えてくるんですよね。

デレクはある種の“気付き”を得ましたが、それには服役という工程が必要だったわけです。そしてその工程に至るために取り返しのつかないこと=殺人を犯しているわけで、むしろ逆説的に「ここまでいかないと気付きを得ないのか」という絶望的な気持ちにもさせられました。

またこれは想像でしか無いですが、おそらく現実でもこの手の人たちの中には、自分自身では実はその価値観に疑問を感じている人っていると思うんですよ。この考えはおかしいかもしれない、って。

ただそれ以上に差別対象への憎悪が深かったり、今までつるんできた連中に翻意したところを見せたくない、見せられないプライドがあったりして、なかなか心からスイッチを切り替えるまでに至らないこともきっとあるんじゃないかな、と。

この「つるんできた連中との関係性」というのはかなり大きそうな気がしていて、結局自分個人の考え方に変化が起こったとしても、自分のアイデンティティの拠り所になる“集団”から離れられなければ元に戻っていってしまうことって珍しくないと思うんですよね。

もっと軽度な話で言えば、よく飲み会をする仲間たちの中にいて断酒をすることってかなり難しいだろうと思うんですよ。断酒を優先するのであれば、やっぱりその集団から出ないといけない。でもそれ自体が難しいわけです。個々のメンバーが好きと言うのもあるだろうし、その集団で過ごす時間が楽しいと言うのもあるだろうし、禁酒すること自体を言えずに抜け出せないこともあるでしょう。

つまりデレクにおいての服役は「強制的に白人至上主義の仲間たちから切り離される」効果があり、その中(刑務所)で起きた出来事云々と同じか、もしかしたらそれ以上に、その環境自体の変化が個人の変化に大きな影響を与えていたのではないかと思うわけです。

これが一般的な“解”だとすれば、現在大量に存在する差別主義的な人たちそれぞれにデレク同様の“(現環境からの)隔離”をしなければ変わらないということになるわけで、そこに大きな絶望感を感じました。

もちろん強い意志を持って“脱会”できる人もいるにはいると思いますが、それはかなり稀なケースだろうし、となると入る容易さ(陰謀論等からすぐに感化されていってしまう容易さ)に比べて抜けることの難しさがアンバランスすぎて、この先どんどん差別対象者が増えていく一方=この映画の内容が時を経れば経るほど深刻になっていく、というしんどさを感じて、それだけにこの映画はよく出来ているなと思った次第です。

もちろん人権意識のようなものは昔に比べてだいぶ一般的に理解されてきているとも思うんですが、それは「社会人として表面上はそう装っておかないと」みたいなレベルでしかない人も多くて、内面で言えば穏やかではない方向に進む人の方が増えていっているのではないかなと言う気もするし、なかなかに悲観的な気持ちになってしまう部分がありました。

少々曰く付き

ちょっと映画そのものの内容からは逸れてしまいましたが、そういう社会的な面について思いを馳せざるを得ない映画だし、それ故に今観る価値があるのも事実でしょう。

果たして差別的な人がこの映画を観て考えを改めるかどうかは怪しいところではありますが、とは言えいろんな人が観てなんとなくでもそこに込められたメッセージを考え、消化することには意味がないとは思えず、まさに収監前のデレクのような人たちにこそ考えてみて欲しい内容ですね。

ちなみにこの映画はエドワード・ノートンによって(監督への相談無しに)再編集がなされたために監督が自分の名前を使わないで欲しいと抗議したという経緯があるそうで、良い映画なのにそのエピソードが少し残念な後味を残しているのが非常にもったいないですね。

元がどんな内容だったのか、その再編集によってどう変わったのかがわからないのでなんとも言えませんが、ただ監督が自分の名前を使うなと言うぐらいなのでそれなりに変わったんでしょう。となると逆にエドワード・ノートンもやっぱりすげーな、という気もするんですが。

まあでも…内容が普遍的に感じられるだけに、場外でつまらない傷を作っちゃったのは残念です。

このシーンがイイ!

オープニングでデレクが黒人の一人を殺す方法が結構衝撃的でした。これ普通なんだろうか…。残酷すぎてきっと一生忘れないなと思います。

ココが○

やっぱりテーマに普遍性があるところでしょう。そのこと自体が悲しいことでもあるんですが。

ココが×

なにせデレクの差別的な言動がかなり強烈かつ時間的にも長く描かれるので、結構気が滅入る部分はあります。黒人さんはかなり観るのがきついのでは。

MVA

順当に。

エドワード・ノートン(デレク・ヴィンヤード役)

元白人至上主義者の兄。スキンヘッド。

なにせビジュアルも演技も強烈。マジでエドワード・ノートンこういう人なんじゃないの…と心配させつつ、出所後は穏やかでイケメン。さすがですよさすが。

まあね、この人は演技力的には誰も異論を挟めないレベルの名優だと思うので、今更どうのこうの言うことでもないですけどね。今回かなり体も鍛えてきているのでそこもまたすごい。

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