映画レビュー0712 『ブレードランナー 2049』
今年下半期最大の話題作じゃないでしょうかねー。ご存知「ブレードランナー」35年ぶりの続編になります。
公開2週目にして早くもソーの新作に追いやられ、たった1回の上映となりましたIMAX 3Dにて鑑賞して来ましたよー。
ブレードランナー 2049
正統続編ながらちょっと真面目すぎ?
ということで、あの伝説の映画と言って良いでしょう、「ブレードランナー」の続編ですよ奥さん。
僕はこの日に備え、改めて前作をもう一度見直しました。さらに上映前に発表された3本の短編も観てもう準備万端ですよ。
で、やっぱりこれまたいろいろ核心に触れる話をしてしまうと興を削ぐと思うので、主に前作との比較で思ったことをあーだこーだ書いてお茶を濁したいと思います。
軽く舞台を説明しておくと、物語はタイトル通り2049年のお話。前作が2019年という設定なので30年後ということになります。
いきなり話が逸れますが、バック・トゥ・ザ・フューチャー PART2が2015年、ブレードランナーが2019年ということで、その中間に生きているわけですよね。ワレワレは。どっちの映画でも車は空を飛んでいましたが、現実ではまだ空を飛ぶどころか自動運転も試験中で、おまけにあんなに人間そっくりなロボット(レプリカント)もまだ登場していないということで、やや先を描いた未来だった気もしますが、しかし「あの頃に生きている」のはなんとも不思議な感覚です。
話を戻して本編のお話。
LAPD(ロサンゼルス市警)に所属するライアン・ゴズリング演じるレプリカントのKは、旧型のレプリカントを「解任」、要は射殺する任務を担当する警察官。
タレコミでもあったんでしょう、人里離れた平野で一人農業を営む人畜無害そうなレプリカントを解任しに向かいます。その解任したレプリカントもまた物語上重要な人物ではあるんですが、とにかく彼を解任したKは、その家の近くの捜索で一つの小箱を見つけます。この箱の中身によって大きく動く物語、あとはしっかり観ていただきましょう。
今作も前作同様、日本語の文字があちこちに観られる不思議な未来は健在。「おさけ」「おとく」とか。イイね!
さすがに映像は気合が入っていて、当たり前ですが映像に「ブレードランナーの未来」を感じた「ゴースト・イン・ザ・シェル」以上にきっちりと「ブレードランナーの未来」を描いています。ただ、不気味さは圧倒的に前作の方が上で、「確実にあの世界の未来」だとわかりつつも、少し薄汚い感じが弱いかなと。
ちなみに少し前に朝のニュースで観たんですが、ヴィルヌーヴ監督は「前作が雨の降るイギリスの監督が作った“黒のブレードランナー”なので、今回は雪の降るカナダの監督が作る“白のブレードランナー”にしたかった」と言っていたんですが、確かにオープニングの解任シーンからも見て取れる通り、ところどころ“雪”の白がとても印象的な世界でした。ある意味で白い世界は不気味さとは遠くなってしまうため、どうしても前作のイメージからは離れていってしまう面があったのも事実ですが、ただ街のシーンはやっぱり「ブレードランナー」だし、ヴィルヌーヴ監督が細心の注意を払って前作の世界を踏襲しつつ、自分なりの新たな世界を構築しようと腐心していたような映像に見えました。
なにせ前作から35年も経っているし、ハリソン・フォードは出てくるもののそこまで大きなつながりはないんじゃないか、匂わせる程度でまた謎めいた世界を膨らませる形なんじゃないか…と思っていたんですが、これが思っていたよりもかなり前作の話を引き継いでいて、間違いなく“正統続編”だし、前作の鑑賞は必須と言っていいレベルの真っ当な続編だったと思います。
もちろん前作を観ていなくても楽しめる映画だとは思いますが、終盤最も盛り上がってくる展開は確実に前作の資産を利用したものなので、驚きと感情移入を助けるという意味でも前作の鑑賞を推奨します。
そんなつながりのおかげもあってか、今作は割と前作をうまく前フリとして利用して観客に訴えるストーリーになっている面が強く、劇中語られる謎もきちんと答えを見せてくれる話になっています。割とあっさり「そういう話か」と思ったところでの裏切りもあったりするんですが、基本的にはきちんと主だった謎は解明してくれます。それだけに理解しやすいし面白さもわかりやすいんですが…ただ、そこが結構不満ではありました。
僕は前作を観た時に「あんまり好きじゃないけど確かにすげーな」と思ったのはレビューした通りなんですが、今回改めて復習のためにもう一度観て思ったのは、前作はやっぱり物語以上に美術面を見せよう、見せたいという意図が強い映画に見えたんですよね。もちろん物語も良いんですが、ただその物語は確実にあの未だ色褪せないSFの世界があってこそなんですよ。
で、物語はところどころいい加減だったりするわけです。いい加減って言うと語弊がありますが、そこまで詳細を語っていないんですよね。物語自体をしっかり理解させようとする説明的なシーンもセリフもほぼないんですよ。良くも悪くも観客に放り投げる、言ってみれば「様々な可能性を残した」割り切った作りだったように見えました。
これはきっと前作と今作の時代の違いみたいなものもあると思います。
ただ、その「放り投げる」作りだからこその懐の広さがものすごく大きな魅力につながっていたのも事実だと思うんですよ。未だにブレードランナーフリークたちによって語られ、検証され続けるいろいろな謎というのは、ある面では「語りすぎずに観客に委ねる」作りから来るものだったと思ったんです。改めて観てみて。
ところが今作の場合は、やっぱり「放り投げる映画作り自体が時代にそぐわない」のもあってなんでしょうが、ブレードランナーっぽい謎の提示をしつつも最終的にはきっちり答えがわかるようになっているので、鑑賞後に「あれどういう話だったんだろう…」みたいに推測して観客の頭の中で世界を広げる作業の余地が少ない気がしました。
僕がボンクラで謎自体に気付いていない可能性もありますが、でもやっぱり前作の良くも悪くも思わせぶりで語らないが故に神秘的になっていったストーリーとはちょっと違うのかな、と思ったんですよね。
もちろん、これが悪いというわけではないと思います。実際、今の時代ここから入る人たちに対してはこれでよかったんでしょう。
ただ、やっぱり前作の良い意味で気持ち悪いぐらい頭に残るいろいろを思うと、「前作以上の映画だったか?」と聞かれた時…はいとは言えないんですよね。綺麗すぎるというか。真面目すぎるというか。
とても良い映画で、すごく面白いのは間違いありません。長くじっくりと間を取って重厚な作りに仕上げる、こんなに重厚なSFは観たことがありませんでした。物語はまったく違いますが、重厚さという意味でSF版「ゴッドファーザー」のような感覚もありました。
でも…前作は超えられなかったと思う。
ただこれは監督や脚本家の問題ではなくて、時代のせい、そして「続編」というもの自体が負う宿命なんだと思います。
一見不親切でわかりにくい(事実公開当初の興行収入はそこまででもなかった)映画を作れる時代、そしてそのチャレンジが許される“第一作目”の強さと、(メジャーな作品において特に)わかりにくい映画が許容されにくい時代背景と、伝説の名前を背負って作られる“続編”としての立ち位置の難しさ故、こういう形になったんでしょう。
多分、前作を超えるために冒険するのであれば、基本的には酷評されるような作りにしかできない気もするし、これはこれで仕方のない、当然のチョイスでもあると思います。むしろその制約の中で、よくぞここまで前作を活かした正統続編を作り上げたな、とも思います。
でも悲しいかな、あまりにも前作が伝説的すぎるが故に「最初から勝てない勝負」を託されたということなんでしょう。もちろん比較してどうこうという話でもないので、結果的に面白かったしこれで良いのも事実ですが、どーしても前作があまりにも(僕にとっても)印象が強すぎる、強烈な映画だったが故に…比べてしまうのは人間の性なんでしょうね。
僕がレプリカントならね。比べなかったんでしょうが。
あーだこーだ前作と比べてアレコレ書きましたが、総括すれば「それでも観るべき映画」の1本ではあると思います。ここまで力の入った素晴らしいSFは10年に1本レベルだと思うので、とりあえず前作云々抜きにして観てみて、あとは個々人がまた考えれば良いのかな、と。
一言でまとめるなら、「面白かったけどもう一声、モヤモヤさせてほしかった」というところでしょうか。
前作の精神性までは受け継げなかった悲しき名作、かな。
このシーンがイイ!
予告編でも出てきますが、やっぱり巨大なホログラムのお姉ちゃんが出てくるシーンはグッと来ましたね…。ストーリー的にもいろいろ考えさせられるところでもあるし…。
あとはハリソン・フォードが住むエリア近辺の風景と茶色がかった空気がすごく良かった。
ココが○
やっぱり映像は圧倒的だし、物語も物悲しさを内包したすごく良いものだったと思います。なかなかこれ以上のSFを、っていうのは難しいでしょう。
ココが×
上に書いたとおり、前作との比較でいろいろ思うところが出てきちゃう点でしょうか。比べなくて良いんですけどね。ただどうしても、僕にとっても特別な思いのある映画だったので。
あとはヒロインの扱い方というか…ヒロインの属性って言うのかなぁ。ああいうのが嫌な女性はいそうな気はする。これまた詳しく書くとつまらなくなるので避けますが…。
それと上に書いていない点でもう一点、音楽。
確かにちょっと前作のヴァンゲリスっぽいシンセ感は出ていたものの、全体的に結構不満。
前作のあのエンディングからの「愛のテーマ」の流れが素晴らしかっただけに、今回もせめてラストは「愛のテーマ」を流すか、それに近いぐらいにドラマティックな曲を充ててほしかった…。
ほとんど今流行りの「映画の邪魔をしない無難な音楽」でまとまっちゃってた印象で、ハンス・ジマー先生やっつけ仕事じゃないんですかねという気が。
MVA
ライアン・ゴズリングは相変わらず不満のない素晴らしい演技でした。この人は本当にいろいろうまくやりますよね〜。
ハリソン・フォードは普通。これまた相変わらずな感じ。
ジョイ役のアナ・デ・アルマスはアゴが割れつつもめっちゃかわいかったんですが、選ぶのはこの人で。
シルヴィア・フークス(ラヴ役)
ウォレスの“天使”。
秘書的な役割のレプリカントですが、冷酷で強くてカッコイイ。この人がもっともレプリカントっぽかった気がする。
ちなみに「シルヴィア・フークスって名前…聞いたことあるなぁ」と思って考えていたんですが、あの「鑑定士と顔のない依頼人」の依頼人の子でした。全然違う!!! でんでん違う!!!
観たことあるよなぁと思って観ていたんですが、その印象とはまったく違う過去作が出てきてびっくり。役者さんですね…。
あと短編にも出ていたチョイ役のようでいて結構重要な役のデビッド・バウティスタ、「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」の時はただのプロレスラー上がりのなんちゃって俳優かと思っていましたが、今回はとても哀愁のあるいい表情を見せてくれて良かったことも書いておきたいと思います。