映画レビュー0320 『バッファロー’66』
しょっちゅう書いてますが、本当にネタが無いですね。ここに書くネタが。日常に変化のないこと山のごとしですよ。
悪い方の変化は結構あるんですが。やー、ほんと30過ぎてから体のあちこちがおかしくなるし。おかげでどんどん食べ物も健康志向になっていってる気がします。
最近は今さらながら、自家製カスピ海ヨーグルトにハマってます。ドロドロになりながら喜んで食べる犬たちを見るのがまたいいんですが。というどうでもいい情報。
バッファロー’66
結構ダラダラ、間延びしてます。
ヴィンセント・ギャロって画家かなんかじゃなかったっけ? と思ったらこの方がその画家さんだそうで。この映画では監督・脚本・主演・音楽とマルチに活躍、さらに他にもアーティストとしても評価されているという恐ろしい方ですが、その多才ぶりが窺い知れるようなやや芸術肌の映画。
全体的に彩度を落とした、「カラーになりたて」の頃のような色彩が印象的。ただ、タイトルに「'66」とありますが、実際に1966年を舞台にした映画ではなく、舞台は(おそらく)公開当時の1998年のようです。それでも実家のテレビその他諸々、いろいろと古そうな雰囲気が漂っていて、その辺の時代を狙ったような作りの映画ではあると思います。
主人公のビリー・ブラウンは、賭博での失敗をつけこまれ、他人の罪をかぶって5年間服役させられ、出所してきた男。ただ「悲劇の男」というよりは、横暴でガサツなアウトロータイプで、正直人間的には魅力を感じません。両親には刑務所に入っていたことも言えず、おまけに嘘をついてしまったことからいるはずのない「奥さん」を連れて行くハメになり、これまた正直にお願いすればいいのに、強引に「誘拐」という手法をとって女性を確保、彼女に「いい妻」としての演技を求め、実家に連れていき、さらにその後もその不思議な関係の二人の旅が続いていくというお話。
最初に思ったのは、「道」っぽいな、と。
どーー考えたっておかしいんですよ。魅力を感じるはずがない横暴な男に誘拐され、なぜか寄り添い、逃げもせずにともに行動しているレイラ。これは「男と女の話」だとは思うんですが、いわゆる単純な「男と女の話」というよりは、もっと根源的な、大きな意味での「男と女の話」なのかな、と思いました。男=幼児性の象徴、女=母性の象徴という。
ワガママで横暴でガサツなビリーは、大人になりきれない子供で、それを受け入れてともに行動しているレイラは、まるで母親のようになんでも許容している女性で。
すごく穿った見方をすれば、これはそういう「子供っぽい男の願望」を描いていて、もちろんこの通りになるわけがないんだけど、そんな話を成立させるという手法をとった、現実の衣をまとったファンタジーなんだと思います。
最後の展開は嫌いじゃないし、ほろ苦い幸福感みたいな不思議な感覚もあったんですが、ただいかんせん不遇の日々を送る男としては、こんな男が受け入れられるという話自体、現実味もないし面白いと思えない哀しさがあります。レイラがなぜビリーを受け入れて、着いて行ったのか、その辺りの描写が殆ど無いので、女心に疎い僕としてはまったく理解できず。
それともう一つ思ったのが、前に進む流れが徹底して遅い。電話もダラダラ、実家でもダラダラ、絶対もっとカットできたと思う。おそらくそのダラダラを見せることで、生きていることのリアリティを表現しているんだと思いますが、全体的にそのダラダラが続いていく感じなのでどうしても間延びして見えてしまい、「先が気になる」というよりは「その話はもういいから次行けよ」という“飽き”が先に来ちゃう内容に感じました。
話のまとまりも、「生きることの大変さと希望」みたいなものが描かれてはいるんですが、その「生きること」のリアリティを伝えるにはビリーとレイラの関係性に(僕が見る限りでは)リアリティが無いので、イマイチ伝わり切らない。
センスはあるし、印象的な映画ではあったんですが、やっぱりどうもメイン二人の感情に共感できない部分が強くて、あんまり入りきれなかった、というのが正直なところです。
最後まで観て言いたいことは理解できたんですが、そこに落としていくには強引さが感じられるほど、二人の寄り添い方が理解できず…。もう少し、ビリーがレイラに近付いていく何かがあっても良かった気がします。「それがないからいいんだろ!」って言うのもわかるんですが、僕はこういう男は嫌いなので、単純にこの話はそこまで受け入れられないな、と。
でも不思議な後味はあったので、独特の世界観っていうのはやっぱりしっかりあったんだな、とも思います。ただ好き嫌いの問題で、自分は好きじゃないな、という結論。
このシーンがイイ!
二人一緒に写真を撮るシーン。レイラの表情がすごくいい。
ココが○
そこはかとなく、マイノリティに対する優しさが漂う映画だと思います。そういう意味では個人的にももっとシンパシーを感じてもよさそうなんですが、それはなかったですね。なんでか。ヤッカミですかね。
ココが×
まずビリーのキャラクター。「不器用で感情を表に出せない」ってタイプでも無さそうだし、単純に嫌なやつなんですよね。この辺も「道」っぽい。
次にレイラ。彼女の日常や背景がまったく語られないので、なぜビリーを受け入れていくのかがサッパリわかりません。
説明なんていらねーよ、って話なんでしょうが、そこを感性に訴えるにしてはビリーの人間性がひどすぎて理解できない。ビリーに一回だけでも何かやらせるか、もしくは少しだけでもレイラの背景を匂わせるか、どっちかがないと「そうなった」意味がわからないというのが正直な気持ち。
なんとなく、見せ方で「こうなるよね」って感じは出してるんですが、やっぱり強引な感じは否めません。
MVA
あーだこーだブーブー文句たれて来ましたが、こと演技、存在感という意味では主演の二人、どちらも素晴らしく。ただどっちか選べと言われれば、コチラ。
クリスティーナ・リッチ(レイラ役)
撮影当時18歳ですかー。びっくり。
決して細くない、むしろぽっちゃり系女子ですが、そのぷくぷくさがすごくかわいらしくて、この映画はこの子あってこそだなぁ、と。不思議な魅力が映画の雰囲気にすごくマッチしてます。彩度を落とした映像に、彼女の少し派手なメイクがまた印象的で、この子の存在感が無かったらおそらくこの映画の印象はかなり変わるでしょう。彼女あってこそのこの映画なんじゃないかと。