映画レビュー1367 『サラの鍵』
JAIHOより。●なんとなく己の罪深さを感じ取り、真面目な映画を観て贖罪しようという意識が働いた日です。たまにあります。
サラの鍵
ジル・パケ=ブランネール
ジル・パケ=ブランネール
セルジュ・ジョンクール
『サラの鍵』
タチアナ・ド・ロネ
クリスティン・スコット・トーマス
メリュジーヌ・マヤンス
シャーロット・プトレル
ニエル・アレストリュプ
フレデリック・ピエロ
ミシェル・デュショソワ
ドミニク・フロ
ヴィンシアン・ミロー
ナターシャ・マスケヴィッチ
アルバン・バイラクタライ
ジゼル・カサデサス
ジョージ・バート
エイダン・クイン
2010年10月13日 フランス
111分
フランス
JAIHO(Fire TV Stick・TV)
ナチスを遠因とした数奇な人生をドラマチックに描く。
- フランス警察によるユダヤ人一斉検挙で連行された一家
- すぐ戻れると思い連行直前に弟を納戸に隠した姉だが、そこから長い収容生活が始まる
- その事件を調べる現在のジャーナリストと過去シーンが交互に展開する
- 過去の話だけでも良さそうではあるが…
あらすじ
一風変わったナチス映画、と言っていいでしょうか。情に訴える力の強い、とてもいいドラマでしたね…。
1942年、パリにてフランス警察によるユダヤ人の一斉検挙(ヴェルディヴ事件)が起き、とある一家が連行されます。
その一家は父母と姉弟の4人家族だったんですが、連行にやってきたフランス警察を見た姉のサラ(メリュジーヌ・マヤンス)が機転を利かせ、弟のミシェルを鍵付きの納戸に隠し、3人で連行されることに。
サラはすぐ戻ってこられると思い、声を出さないように言いつけて連行されていくんですが、しかしその後彼女は収容所へ送られ、いつ帰れるかもわからない長い収容生活を強いられます。
一方時代は移って2009年。夫と娘とパリで暮らすジャーナリストのジュリア(クリスティン・スコット・トーマス)は、ヴェルディヴ事件を取材するうち、夫の実家である譲り受けた古いアパートにサラが住んでいたことを知ります。
彼女の足跡を追い、その後どのような人生を辿ったのか、また弟のその後はどのようなものだったのか…取材しながらその事実を解き明かしていきます。
幼少期から業を背負わされるつらさ
書いといてなんですが、上のあらすじは結構適当です。っていうか現在の描写が結構微妙で、なぜジュリアがサラに執着するようになったのかがイマイチわかりにくい展開だったような気がしないでもないんですよね。
序盤は特に頻繁に過去と現在が切り替わりつつ展開するんですが、はっきり言って過去の惹きの強さに比べて現在はジュリアの家族を中心とした話で何をしたいのかがよくわからず、ぶっちゃけ過去だけでよくね? と思わなくもないんですが、しかし最後まで観るとなるほど現在視点も必要だね、と思ったので構成としては悪くないんだろうと思います。
結局有り体に言ってしまえば、「現在のジュリアの取材の成果が過去の映像として流れる」みたいな形を取っていると考えて良さそう。全部が全部そういうわけでもないんですが、一応そういうテイで進みます。
やっぱりナチスの影響はこんな悲劇まで生んだんだなぁ…と思ったりしちゃうところですが、実はこの映画はリアルですが実話というわけではなく、あくまで実際にあったのは「ヴェルディヴ事件」の部分のみのようです。
この事件そのものも「フランス人がフランス人を強制連行する」という意味で大変に不幸な事件だったようですが、その事件に「こんな出来事があったとしたら」と創作を込めたのがこの物語、という形です。
主人公のサラは警察による訪問が何なのか理解していなかった(というかその時点では誰もわかっていなかったと思われます)ために、おそらくすぐ帰って来られるだろうと思って弟を少量の水しかない状況下に置いたまま連れて行かれ、同じ境遇のユダヤ人たちとともに一旦は競技場(自転車やスケートの競技場らしい)に集められます。
この競技場の環境もトイレすらまともに用意されていないかなり劣悪な環境だったようですが、そこに5日間ほど閉じ込められた末、集められた人々は悪名高きアウシュヴィッツを始めとした各地の収容所へ送られていくことになります。
最初は親子で一緒にいたサラ一家もやがて生き別れとなり、このまま死を待つのみと思われる状況の中で、サラが唯一「生きる目標」としたのが「弟が待っている」という事実であり、その扉を開けるための“鍵”だった、というお話。
やっぱりこの前の「ザ・ハント」もそうですが、「自分一人が生き延びるため」よりも「誰かのために生き延びる」方が動機として強いんですよね。
サラは「弟を置いてきてしまった」という後ろめたさが終始付きまとっていて、生きているはずだと願望を持ちつつも同時に「何かあったら自分のせいだ」ともうこの時点で罪を背負わされているのがなんとも健気でつらい。
サラはたかだか10歳ぐらいだと思うんですが、もうその時点で闇を抱えているつらさはその後の人生にも及んでいて、後々語られる彼女の後世もまたつらく悲しい色合いが濃く、なんともやりきれないお話です。
一方そのサラの足跡を追うジュリアの方ですが、確かにいろいろ夫とその家族にモヤモヤする話がありつつも、正直「この話いる?」状態が長い。
ただサラの“その後”を追い始め、彼女の成長した後の話が進んでくるとその存在に意味が出てきます。
もちろんその後の話は書きませんが、ラストシーンは思わず涙するぐらいに良い“つながり”を感じさせてくれ、なるほどこのための存在だったのか…と一人納得するおっさんですよ。
今にもつながる話
「現在フェーズがいるのか問題」がしばらく引っかかりつつ観ることにはなるんですが、ただ創作とは思えないぐらいにリアルで壮絶な“ナチス映画”は今また戦争を考えるのに良い教材になるのは間違いないでしょう。
この映画でも描かれることになるユダヤ人迫害は、奇しくも現在進行中のイスラエルによるガザへの軍事侵攻につながる話でもあるし、まさに今現在の世界情勢を知るためにも観る価値のある映画だと思います。
なかなかつらい話ではあるものの、美しさも感じるという珍しい映画でもあるので、こういった史実に絡めた戦争ドラマが嫌いでなければ結構オススメな1本だと思います。
このシーンがイイ!
やっぱりラストシーンかな…。「もしや…!」と思ったら正解でブワッと泣いちゃいましたよ…。
ココが○
フランスが自国で起こった過去の罪をテーマに物語を作った、そのことだけでも価値があると思いますね。なんでも「自虐史観」と非難する人たちとは大違い。
ココが×
やっぱり現在フェーズの中盤ぐらいまではあんまり存在価値が感じられないのが…。ただラストを思うと現在フェーズも必要だしで難しいところ。
となるとジュリアの家族の話にはあんまりフォーカスする必要が無かったのかな? という気もします。純粋にジャーナリストとしてサラの存在を知って追っていく形で良かったような気がする。
MVA
知ってはいましたがクリスティン・スコット・トーマスがナチュラルに英語もフランス語もまったく違和感なく話す姿が本当に素敵でかっこよかったですね…。悪そうな役多い気がするけどこういう役もさすがにお上手。
ですがやっぱりこの映画はこの人だろうと思います。
メリュジーヌ・マヤンス(サラ・スタルジンスキ役)
少女期のサラ。
まあ本当に極限状態の演技だらけで大変だったと思いますが、お上手でした。本当に不憫だけど強さも持っている感じで。