映画レビュー0657 『40男のバージンロード』
続いてコメディ2本目。なんか「40男の~」ってタイトルが刺さりますね、もうね…なんかね…。
40男のバージンロード
所詮リア充のお戯れ。
最近では「アントマン」でおなじみの、ポール・ラッド主演の「親友作り」コメディ。確かに社会人になってからの友達作りって大変ですよねぇ…。わかる。わかるけど、「友達ができるまで」よりも「できてからのアレコレ」の方がかなり比重が大きいお話なので、その辺の悲哀でグッと来たぜ、みたいな映画にならなかったのが残念。
テーマ的にどうしてもパトリス・ルコント監督の「ぼくの大切なともだち」を彷彿とさせますが、あの映画との決定的な違いは、主人公・ピーターが「完全にリア充である」ということ。結婚を決め、まさに人生絶頂期のその時に「あれ? 俺友達いなくね?」ってことで親友作りに奔走するわけですが、所詮リア充なのでね。こいつは。
基本幸せなので、焦ってアレコレやったところでまさに文字通り“コメディ”にしかならず、切羽詰まった感じがまるで無い。なのでもうどうしようもなくひねくれ者の非リア(もうすぐ)40男としては「ケッ、くだらね」と斜に構えて観ておりました。こちとら親友ぐらいいるわボケ、と。嫁がおらんから困っとんのじゃい、と。
我ながらここまでストレートに自己環境を映画にぶつけてひねくれるのもどうかと思いますが、しかし話し合い(?)は平行線、「こっちは彼女(嫁)が欲しいんじゃボケ」「僕はそっちは決まったので友達が」とまったく議論にならない価値観の違いが最後まで影響しちゃったかな、という感じ。
入り口の時点でピーターは幸せなので、もうその後彼があーだこーだやろうと別に面白くないんですよね。「はいはい、ゲイだったね。でも帰ってフィアンセに愚痴って…ってそれがもうノロケなんですが?」みたいな。
んで、割と早めに「こいつだ!」的な友達は見つかるんですよ。そこで彼との友情をサクサク育み、やがてちょっとした危機が訪れて…ってな感じで、結局はフツーのラブコメの同性版みたいなお話なので、性別が違う以外はさして目新しい部分がないのがツライ。
そう、結局ラブコメなんですよね。この映画。ただ男同士で、関係性が親友っていうだけで。原題がもうすでにそうなので、もうまんまそういう話として作っているんでしょう。
そっくりそのまま、異性相手の恋人っていう関係に置き換えても成立しちゃうベタな話なので、僕のリア充に対するヒガミを除いたとしても別にさして面白い話でもないと思います。いわゆる毒にも薬にもならないお話と言うか…。
その時はそれなりに楽しめるものの、時間が経てばほぼ全部すっかり中身を忘れそう。決して悪い映画ではないし、つまらなくもないんですが、でもこの映画ならではの何かがあるわけでもなし、逆に当然ながら「男あるある」みたいなものもご丁寧にいろいろ混ぜ込んで来てくれるので、「嫁さんいない上に友達がいないこの主人公と似てる自分がツライ」みたいな、表面上は至って平和なコメディでありつつも、実は僕のような非リア充に対してはかさぶたを剥がしてさらにナイフで刺してくるような残酷さも見え隠れしているので、なんつーか…人の痛みを理解しているようで理解していない、無知なる残酷さを持ったタチの悪い映画のような気がします。
もちろん、そういう作為はないと思います。思いますが、僕にはそう受け取れる嫌なものがありました。確実にひねくれた受け取り方なのは間違いないんですが。
なので、あまり好きではありません。この映画。「ぼくの大切なともだち」の方が全然上。
リア充は親友がいようがいなかろうが勝手にそっちの世界でよろしくやってろ、と申し上げておきます。
このシーンがイイ!
びっくりするほど印象に残ったシーンを覚えていないので、該当なし。
ココが○
ひねくれて観なければ、それなりにテンポも良いし気楽に観られる映画だとは思います。
ココが×
個人的感情を抜きにすれば、やっぱり「実はただのラブコメでしかない」っていうのが大きいかな、と。安心感はあるかもしれませんが、ラストもベッタベタなので見飽きた感がすごい。
あと言わなくてもわかるでしょうが、邦題がひどい。
MVA
ポール・ラッドはびっくりするぐらいフツーでしたね。こんな特徴無い人なのか、と。で、問題の親友となるシドニー役のジェイソン・シーゲルも良かったんですが、この人かなー。
ラシダ・ジョーンズ(ゾーイ役)
ピーターのフィアンセ。
雰囲気がすごく良かったですね。キュートな感じで。若干木佐彩子みがありましたが。
あっさい感想でスイマセンね、ほんと。