映画レビュー0727 『ジョニーは戦場へ行った』
レコーダー容量削減のためのBS録画よりシリーズということで。
かなり前に録画していたんですが、最近ちょっと周辺で話題になったので観てみることにしました。
ジョニーは戦場へ行った
戦争の悲惨さを伝える名作ではあるものの、そのまま受け取れない話でもある。
たまたま先週「ラスト・ショー」を観ていて、今週もたまたまこの映画をチョイスしたわけですが、奇遇なことにどちらも主演がティモシー・ボトムズでした。彼の代表作はこの2本なので、なかなかレアなメドレーをしちまったもんだぜ、とお天道様につぶやきつつご説明から。
まず「ジョニーは戦場へ行った」というタイトルは映画版の邦題のみにあてられているもので、原題及びその小説版の邦題は「ジョニーは銃をとった」になります。
その「ジョニーは銃をとった」はどういう意味なのかと言うと、アメリカにおける第一次世界大戦の志願兵募集のキャッチコピーが「ジョニーよ、銃をとれ」というものだったらしく、それに対する皮肉として付けられたタイトルだそうです。
で、この映画の主人公の名前はジョーでタイトルとはまったく関係がないんですが、だったらもっと違う名前にしてくれよという気もしました。細かい話ですが。寄せる必要ないじゃない。
さて、物語は病院に一人の若い兵士が運び込まれるところから始まります。
これが相当ひどい状態だったようで、医者たちは「もはや意識もない、生きているだけの肉塊だ」と判断、しかし治療の技術向上のためにはうってつけの患者だということで、このまま延命治療を施して実験体として利用しようと考えます。人間の尊厳という意味では確かに引っかかる部分はありますが、ただ大義があることも考えればこのこと自体はそこまで悪いとも言い切れず、ある程度やむを得ないのかな、とも思うわけですが、ところがそこには大きな問題があったわけです。
そう、この若い兵士(ジョー)には意識があったんですよね。
おそらく常識的には意識のない状態だと思っても仕方がないぐらいにひどい状況で運び込まれたところを、奇跡的に一命をとりとめ、また奇跡的に意識も保っていたんでしょう。しかしそのことを知らずに治療にあたる医師たち。そして耳も声も手も足も使えず、頭を動かすことでしか意志を表現できないジョー。当然声も出せない中で頭をジタバタしたところで「なんらかの痙攣反応」としか取られないので、暴れても鎮静剤を打たれて大人しくさせられるだけ、という地獄の状態が続きます。
昼も夜もわからず、眠りや鎮静剤の効果で混沌とした意識の中、過去の出来事と妄想の中を行ったり来たりしながら、ジョーの入院生活、そして人生はどうなってしまうのか…というお話です。
噂通りに入口からなかなかひどいお話で、過去のラブラブエピソード他健康だった頃の彼の姿がまたとても残酷さを増すわけですが…ただこの映画の重要な点としては、やはり「創作である」という部分だろうと思います。
これが現実にあった話であれば、もうとんでもなくひどいなと憤りもするんですが、ただ原作・脚本そして監督がダルトン・トランボなので、やっぱりそこはある程度フィルターがかかっていると取らないといけないと思うんですよ。
知らない方に軽く説明しておくと、ダルトン・トランボという人はいわゆるハリウッドの「赤狩り」にあった“ハリウッド・テン”と呼ばれるメンバーの一人で、早い話が共産主義者だったと言われています。
で、大事なのは作者が共産主義か否かというよりも、当時の政府に対するアンチ的な立場の人が書いた物語なので、早い話が「反政府側のプロパガンダ」のお話と言っていいと思うんですよね。「戦争は良くない、こんなことが起こる戦争を許してはならない」というメッセージが強烈に込められているわけです。
それでですね、ことこの映画自体の評価を考えた場合、この価値観自体の良し悪しはあまり関係がなくて、要は「こういうことを言いたいがために過酷な物語を作る」っていうのはやっぱりちょっと引っかかる部分があるんですよ。
僕も価値観としては迷わず「戦争は良くない」と思いますが、ただその価値観を扇動するようなやり方には少し疑問を抱かざるをえないわけです。
これは個人差があると思うので、それでも「正しいことを言ってるんだから良いじゃないか!」っていう人はそれで良いと思います。
ただ僕はこの映画に限らず、作り手の狙いが透けすぎる物語はあまり好きではないので、そういう意味で描かれている価値観以前にその「価値観の伝え方」としてこういう内容の物語を創作するのは引っかかるんですよね。
確かにひどい、戦争のせいでこんな話が出てきたらどうするんだ、というのは完全に同意しますが、じゃあ実際こういう兵士が病院に搬送された時、「意識はないけど研究のために延命しよう」ってやるのか? っていうのがどうしても気になるんですよ。
実際はもっと意識の有無について慎重に調べるんじゃないのか、意識があったら本人の意志を尊重するんじゃないのか、といろんな疑問が湧いてきてしまい、純粋に「なるほど戦争は良くない!」と受け取れなかったんですよね。
だからこそ、プロパガンダというのは慎重に巧妙にやって欲しいわけです。実際のところはあんまり巧妙すぎるのもよろしくはないんですが、ただ映画を観て「騙されたい」、物語に入り込みたいという意味ではそういう技術って大事だと思うんですよ。
ことこの映画に関しては、もう入口の時点で作った人がどういうポジションの人なのかがはっきりしすぎているので、そこはやっぱり差し引いて評価するべきなんじゃないのかな、と思った次第です。
とは言え、やっぱり戦争というものの功罪を考える上では避けて通れない映画の一つではあるだろうし、観て損したとも思っていません。良い映画だと思います。ただ、この話にどっぷり浸かりすぎるのもまた危険ですよというのは書いておきたいと思います。
あらすじからもわかる通り内容的に結構重い映画なので、観る時は諸々メンタル面を考えつつ観てください。
なんだかんだ言いながらも、やっぱり一度は観ておくべき映画かな、とは思います。
このシーンがイイ!
うーん、クリスマスの回想(妄想)シーンかな〜。社長がずーっと同じセリフを繰り返すんですよ。あれがもう気持ち悪くてしんどくて。
あれはきっと混沌とした意識を象徴しているのかな、という気がしましたが…。
ココが○
現在のシーンは(ジョーが目も耳も使えないためか)モノクロで、回想(妄想)シーンはカラーという作り。これがまたとても残酷だし、状況を理解させる意味で良い使い方な気がしました。
ココが×
プロパガンダ云々を抜きにすれば、やっぱり重い部分はある程度覚悟する必要があるぞ、というのと、正直回想・妄想パートもさして新しい話は出てこないので、段々飽きてきちゃうような側面はあると思います。
あとは細かい部分ですが、あれだけの怪我の割にお腹がすごく綺麗なんですよね。それだけ観やすくなるのはいいんですが…もう少しリアリティがあっても良かったかな〜。
MVA
主要人物がかなり限られるので、まあ順当にこの人かな…。
ティモシー・ボトムズ(ジョー・ボーナム役)
文字通り、悲劇の主人公。
やっぱりこの人のこの頃のあどけない雰囲気っていうのはこの映画の残酷さにものすごくマッチしていたと思いますね。まだ子どもみたいな雰囲気だけど戦争に連れて行かれた結果…っていう。
看護婦さんも良かったんですが、やっぱりこの人かなぁ。