映画レビュー1325 『フェーンチャン ぼくの恋人』

最近特に観たい映画が無いぜ…とゲームに逃げがちな日々ですが、この日はそんなに興味もなさそうな内容だけどタイ映画だから、と久々に観ることにしたこちらの映画です。

ちなみにJAIHOで常時配信されています。

フェーンチャン ぼくの恋人

My Girl
監督

365フィルム

脚本

アマラポーン・ペンディントーン

出演

チャーリー・タライラット
フォーカス・ジーラグン
チャルームポン・ティカマポーンティラウォン
チャイン・チットソムブーン

音楽

アマラポーン・メータクナウット

公開

2003年10月3日 タイ

上映時間

100分

製作国

タイ

視聴環境

JAIHO(Fire TV Stick・TV)

フェーンチャン ぼくの恋人

全力ノスタルジックパンチ。

8.5
「赤ちゃんの頃から友達」の幼馴染との甘くほろ苦い思い出
  • 小さい頃ずっと一緒だった異性の幼馴染との思い出を振り返る
  • 明確な恋心は無いものの、「幼馴染」以上の何かだった二人の日々を丁寧に描く
  • 話としてはありきたりながら、丁寧な作りに嫌でもグッと来てしまう
  • どっちの子役もとてもかわいく演技も上手

あらすじ

もうベッタベタのコッテコテなお話なんですが、まー良かったですね。「…やめろ…その攻撃はおっさんに効く…」って感じ。

バンコクで働いているほんのりロン毛の菅田将暉っぽいジアップ(チャイン・チットソムブーン/少年期:チャーリー・タライラット)は、友人の結婚式を控え、新たな出会いに期待しつつ準備していたところ、母親(アヌサラー・ジャンタランシー)から電話が。

なんでも幼馴染で親友だったノイナー(フォーカス・ジーラグン)が結婚するとのことで、彼に招待が届いたのでした。

「友達の結婚式があるから行けない、母さんは行っておめでとうと伝えて」と言ったジアップは、かつて一軒隔てた隣に住んでいた彼女との思い出を振り返るのでした…。

良くならないはずがない

幼馴染との淡い恋物語。それが恋かどうかもわかっていなかった…そんな切ないお話です。

みたいなね。

JAIHOによると「“タイ版『小さな恋のメロディ』”として大ヒットを記録し、タイ映画の新時代を切り拓くことになったエポックメイキングな作品」とのことですが、実はJAIHOの映画説明はかなり終盤まで書いちゃっててですね、そこまで書かないと売りにならないのもわかるんですが、しかしもうちょっと配慮してほしかったなぁとも思います。なのでここではかなりぼんやりとした話しか書けませんがお許しを。

ちなみに監督の「365フィルム」とは、大学の映画好き仲間が集った6人(+製作3人)の総称らしく、その中にはあの傑作「すれ違いのダイアリーズ」の監督であるニティワット・タラトーンも含まれるそうです。

最初にざっと説明があるんですが、ノイナーは一軒隔てた隣(間に雑貨屋さんがあり、その両隣に店を構えるライバル理髪店がジアップとノイナーの家)に住んでいる幼馴染で、「歳は一緒だけど干支が違う」と言っていたのでおそらく感覚的には(タイの制度がよくわからないので合っているかはわかりませんが)ジアップが早生まれの同級生、って感じでしょうか。

商売敵故に父親同士は仲が悪くお互いをライバル視していて交流もほとんどないようですが、反対に母親同士は仲が良く友達で、休みの日に一緒に出かけたりしています。

そしてジアップとノイナーも「赤ちゃんの頃から友達」と言うぐらいにもう毎日一緒に遊んでいたような仲で、まあ「いるのが当たり前の存在」って感じでしょうね。

しかしそんな「いるのが当たり前」なのが異性というのはなんとも酷でもあるんですよ…! その上どっちも順調に育ってしまい、イケショタと美少女になっちゃったわけです。

どちらもまだ異性として意識はしていないまま成長していたんでしょうが、いつかはそれに気付くときが来るわけで…くぅーこれ以上は言えません。

ジアップは近所に女子ばかりだったためかあまり男子と遊ぶ機会もないまま育ってしまい、おかげで学校に入学してからもずっと女子グループの中でおままごとのお父さん役ばっかりやらされるような日々を過ごしております。

しかし彼もやっぱり男の子、男子たちに混ざって遊びたいために何度も「混ぜて」とお願いしますがいじめられっ子的ポジションの彼は混ぜてもらえず、仕方なくまたおままごとに混ざる、という感じ。

ただそれでも諦めない彼(これはこれで偉い)は何度となく混ぜてくれと頼みに行ってはジャイアン的ないじめっ子に跳ね除けられることを繰り返すうち、徐々にその仲間内の関係性が変わっていくことでノイナーとの関係性にも変化が出てくる、という…未来永劫このままと思っていた関係もそんなものは存在しないというお話で、この辺の関係性の変化も丁寧に良く描かれた映画でした。

そういった少年時代の人間関係を、強烈なノスタルジックなタイの風景と(おそらく)往年のヒット曲とともに描く、という「良くならないはずがない」映画ですね。音楽の使い方も非常にお上手でした。

唐突に自分語りをしますが、実は僕にも近所に暮らす幼馴染の同級生で、中学卒業まで同じ学校に通っていた2人の女子がいました。

そのうちの片方の子(偶然ですが映画と同じく一軒隔てた隣・仮にAちゃんとします)は好きになったんですが、思いを秘めたまま中学を卒業して会わなくなった後、16歳ぐらいのときだったかたまたま外を見たときにベランダで彼氏と思しき男とタバコ吸ってまして一気に冷めたトラウマがあります。(思えばタバコを吸う女子が恋愛対象外になったのはこのエピソードが由来かもしれない)

今になってみれば彼女はあくまで恋愛対象の「ご近所さん」でしかなかった気がするんですが、もう一人の女子(仮にBちゃんとします)はこの映画のように小さい頃から良く一緒に遊んだし、異性として意識してなかったけど今「幼馴染」として思い出すのはBちゃんの方だな、とふと思ったんですよね。今元気にしてるのかな、とか幸せになったのかな、とか考えるのはもっぱら彼女の方で。

結果的にAちゃんは悪い思い出として残ってしまった不幸はあるものの、それを置いたとしてもこの映画の「幼馴染」に近いのはBちゃんの方だなと思うし、っていうか当時もちゃん付けなんてしてなくてBって呼び捨てだったけどそんなのはどうでもいい話ですねわかってます。

そんな諸々を考えるとですね、なんか自分にとってBちゃんを当てはめてこの映画を観ると、ものすごく切ないノスタルジックパンチでダメージを受けるんですよ。

別に恋愛感情はなかったのに、でも今思えばなんか好きだったような気もしてくるし、何十年も経ってから気付かされる「大切な存在が自分にもいた」という事実に取り返しの付かない後悔が押し寄せてくる感覚があって、それはある意味この映画を観て“酔って”いるだけだとも思うんですが、ただそうだったとしても急に過去の輝きが増したような、ものすごく平凡な思い出に拡張パッチが当たったようなありがたさを感じます。(言い方)

それもこれも僕が今幸せならおそらく感じなかった感情だと思うので、一人でいるからこその豊かさなのかもしれない、とちょっと強がりもするわけです。

まあその辺含めていろいろ考えると、きっと誰もが同じように憧れると思うんですが…やっぱり幼馴染と長い付き合いを経て結婚し、そのまま一生を終えていく人生ほど幸せなものはないだろうなと改めて思いましたね。

果たして前世でどれだけ徳を積めばそんな人生が歩めるのか。

楽してお金がほしい、日々ラッキースケベに満たされたいとしか考えていない自分には来世でもきっと無理だなとロングスパンの諦めが発生しています。

誰しもグッと来る面があるのでは

ちょっと余計なことばっかり書いてしまいましたが。

過去何度か言っていますが、やっぱり人間誰しも「共通の思い出ではないけど重ね合わせることができる過去のポイント」みたいなものがあって、そこを突いてくる映画というのはどうしてもグッと来ちゃうものだよな、と思います。

この映画に出てくる風景も、異国の地なのに懐かしさを感じるし、昔自分が遊んでいた風景とどこかで重なる気がしてくるんですよね。

きっとこの映画のような幼馴染がいた人もいなかった人も、羨ましかったり懐かしかったりで過去の感情を揺さぶられる面があるんだと思うんですよ。

そういう感情に訴えてくる映画はやっぱりどうしたっていろいろ考えちゃうし、歳を取ってもう戻れない子ども時代の羨ましさも含めて、誰でもちょっと後ろ髪を引かれちゃうものがあるんじゃないかな、と。

やっぱり大人になってから子どもの頃を振り返れば、それはもう今まで歩んできた結果を知っているというのもあってなんですが、後悔と当時持っていた“可能性の塊”みたいなものへの郷愁は誰しも感じるものだと思います。

「あのときああしていれば…」の積み重ねが一気に押し寄せてくるノスタルジックな映画は、やっぱり映画そのものが紡ぐ物語以上に心に響くものがあるなぁ、と思いますね…。

ぼくのネタバレ

少しだけ。

ラストシーン、成長したノイナーが見たかったなぁと思う気持ちもありつつ、でも過去の記憶で終わらせる描写は脳味噌をガツンと殴られた感覚があってすーごく良かったですね…。ガツンと脳味噌ですよ。(ガツンとみかんの亜種)

成長してすごく綺麗になりました、はそれはそれで「おおー」だとは思いますがそれ以上のものってない気がするし、あそこで「ずっと記憶のまま、自分にとってのノイナーはこの人なんだ」と伝えるエモさはなかなかすごいなと。

そしてそれは同時に、やっぱりものすごく好きだったんだな、想い続けてたんだなと思わせるエンディングだし、そこがもうエモエモのエモですよ。たまりませんね。

このシーンがイイ!

ジアップ父が劇中最後に「カットする」シーンがすごく良くて好きでした。

それと「子どもの日」だったか、出し物みたいなものを演じるシーンのノイナーがめちゃくちゃかわいく撮れてるのがすごいなと。

急にスポットライトを浴びて「ただの幼馴染」ではなくなる感じの説得力として見事な見せ場で。当人(ジアップ)はあんまりそんな感じではなかったので考え過ぎかもしれませんが。

ココが○

さすが「エポックメイキング」と説明されているだけあって、今のタイ映画の良さの大元になっているような仕立ての良さを感じます。

特に劇伴の使い方は20年前の映画でありながら今でも違和感がない上手さがあり、全体的に高レベル。

ココが×

まあどうしてももどかしさみたいなものはね…あるよね…しょうがないんだけどさ…。

それがなかったら話が変わっちゃうし、子どもだからもどかしくなっちゃうのも重々理解しつつも、でもやっぱり「もうちょっとさ…!」みたいなものはありました。

MVA

ジャイアン役(ジャイアン役ではない)の子の憎たらしさとそれっぽさがすごくマッチしていて彼もいいなと思いつつ、やっぱりこの人でしょうか。

フォーカス・ジーラグン(ノイナー役)

幼馴染女子。

まーかわいい。気取ってない身近な感じも幼馴染っぽくてとても良かったです。

今はかなり美人になっていろいろ出ているのでは…と思って調べましたがお綺麗なもののあんまり映画の情報は出てきませんでした。そもそもタイ映画の情報が入ってきにくい面もあるんでしょうが…。

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