映画レビュー0788 『シンドラーのリスト』
おなじみネトフリ終了間際シリーズということで、まだ観てなかったんかいというこちらの超有名作を観ることにしましたよぉー。
シンドラーのリスト
世に知らしめるという意味でのスピルバーグという強さ。
- 私欲から始まった救済は綺麗すぎないリアリティを感じさせる
- さすが超メジャー作品だけあってホロコーストを知る上で欠かせない映画かも
- エピソードに無駄がなく、あまり長さを感じさせないのも◎
割と尺の短い映画が多いスピルバーグにしては珍しく195分という3時間超えの長尺映画で、なおかつメインテーマがホロコーストという重い映画なので、僕も観るまでに結構な気合いを要した(間違いなく配信終了が近付いてなければ観てなかったと思われます)映画だったんですが、実際は長さの割に(言葉は悪いですが)飽きずに観られる、ある意味でわかりやすい映画だと思います。この辺はさすがスピルバーグ、と言ったところなんでしょう。
これは功罪両面あるとは思いますが、やはりテーマがテーマだけに、当然ある程度悪逆無道な行為である点を強調しつつも、あまりにも史実に寄せすぎてシビアでしんどくなりすぎない程度に、ホッとできるシーンであったり、悪役にも人間味を感じさせる見せ方であったりと、とてもバランスの良い作りになっている気がしました。
おそらく一つ一つの描き方で言えば特にすごいとか珍しいとかは無いんだろうと思うんですが、でもやっぱりこの辺はスピルバーグのうまさなんでしょう、描いている事実に対して観客の入りやすさ、理解のしやすさがこの手の映画にしては群を抜いて巧みだったと思います。その丁寧さ込みでの長尺でもあったのかなと。
なぜドイツ人の実業家であるシンドラーがユダヤ人を救うことになったのか、その足跡をきっちり辿れる丁寧なストーリー展開は見事。元々どんな人でどういう価値観を持っていて、それが後々どう反映されていくのかが納得できるものになっているので、「いきなり良いやつになっちゃった」とか「元からユダヤ人を救おうとしていた聖人君子」みたいな嘘くささがない、すごくリアリティを感じられる内容になっていて、そのおかげでより響いたのかなぁという気がします。
物語は第二次世界大戦中、ドイツ軍がポーランドを占領したところから始まります。そのポーランドのクラクフというところに主人公であるオスカー・シンドラーが「潰れた工場を買い取って軍相手の商売をやって一儲けしてやろう」とやってきます。
彼は一人のユダヤ人会計士に協力を求め、彼に工場経営を丸投げして自分は軍将校に取り入る営業活動に精を出し、また従業員には賃金の安いユダヤ人を多く雇用することで思惑通りに事が運び大儲けするんですが、しかしその後はご存知の通りナチスによるユダヤ人迫害が苛烈になっていくことで次第に工場経営にも影響が及び始めます。
当地のユダヤ人たちは「クラクフ・ゲットー」に強制移住させられ、さらにこのゲットーから大量のユダヤ人たちが(罪の有無に関係なく)近くのクラウフ・プワシュフ強制収容所に入れられていくことになるんですが、この強制収容所で恐怖政治を敷いていたのがSS将校アーモン・ゲート少尉という男。まだ若くキリッとした男前のレイフ・ファインズが演じる彼によって、ユダヤ人たちは日々理由もなく殺されていくことになります。
強制収容所近くで工場を経営していたシンドラーは、このままでは工場の稼働に支障をきたすということもあり、ナチスとのコネクションを利用してゲートと知り合い、交友を深めていくんですが…あとはご覧くださいませ。
簡単な構図で言えば、主人公オスカー・シンドラーは正義の味方、対する強制収容所所長のアーモン・ゲートはド悪役、ではあるんですが…シンドラーは元々ナチス党員であり、さらに大佐クラスの将校とも親交があったため、単純に「ナチスの迫害からユダヤ人を守るんだ!」というようなお話ではないところがこの物語の面白いところであり、またリアルなところでもあるでしょう。
当時のナチス・ドイツというのはおそらくこの映画でも描写がある通り、「ユダヤ人は人間ではない」というような価値観が蔓延しているような状況で、今では考えられないほど差別的扱いが公然と行われていたわけですが、シンドラーは元からそういったユダヤ人に対する偏見は持っていなかったようで、むしろ「安い労働力として活用できてラッキー」ぐらいに考えていたような感じ。
ナチス将校との交友についても、おそらくはハナから「自分の商売に利用できる」というような打算的な読みから付き合いを深めていったと思われ、つまり早い話がイデオロギー的なものよりも単純に自分の利益になるか否かで立ち位置や人との付き合いを決めるような人物だったんでしょうね。まさに実を取るタイプの人物。
それ故に彼がユダヤ人たちを救うことになる一連の流れはただの綺麗事ではなく、まず最初に自分の工場(=自分の利益)があり、それを維持またはより高めるためにユダヤ人たちが必要だということで、うまく自分の立場を利用してゲートを始めナチス将校や「ユダヤ人迫害の風潮」に抗っていった、という形。
僕はこのシンドラーという人は、観るまではてっきり(こっちも詳しくは無いですが)杉原千畝的な人物で、正義感や義憤からユダヤ人を救った人物なんだろうと思っていたんですが、実際はあくまで先に自分の利益があり、それを追い求めていくうちにいつの間にかユダヤ人を救える位置、環境に身を置いていたことで歴史に名を残すことになった、というのがとても生々しく、スッと腹に落ちる話だなと思いましたね。
おそらく当人はこの当時、後世に名を残すことになるだろうとはまったく思っていなかったと思うんですよね。語弊がある言い方かもしれませんが、おそらくはそんな志が高い人物でもなかったと思うんですよ。ある意味で功罪両面併せ持った人物で、だからこそ特異なポジションにいることができたからこその物語なんだろうな、と。それがすごく(言い方は悪いですが)面白いなと思います。
改めて書くまでもないですが、シンドラーはドイツ人なんですよ。祖国が推し進める差別的な政策に波風立てずに裏から抗う、っていうのは相当な大人物でないと無理だと思うんですよね。まさに清濁併せ呑むような器がないと。そういう面がシンドラーにはあったと思うんですが、その発端は完全に自分の利益だった、っていうのがある意味でいろいろと学ばせてくれる面があるような気がします。
儲かるからと始めたことが、最終的にはその人の人生の価値を決める“真実の瞬間”を導く、というのは偽善ではない力強さがある話で、今の時代を見る上でもいろいろと参考になる面があるんじゃないでしょうか。
一方でこの映画における悪役であるゲートについても、彼はシンドラー同様に自己中心的に自分の立場を利用していただけなんですよね。ある意味でこの二人は合わせ鏡で、立場を入れ替えれば、もしかしたら「ゲートのリスト」にもなり得たのかもしれない。それもまたすごく考えさせられる面白い部分だったと思います。
片や歴史に残る正義の人、片や歴史に残る大悪人なんですが、その二人が映画でも描かれていたように仲が良く、ある種似た者同士だった面があるというのはなんとも皮肉で、この二人の対比もまたこの映画の“映画的面白さ”につながったのではないでしょうか。
(だいぶ毛色の違う映画ではありますが)「グレイテスト・ショーマン」同様、映画で描かれた“本人”と史実とではおそらくだいぶ違う面もあるんだろうとは思いますが、しかし重要な事実を伝えるために観客に観やすく感情移入しやすい形でオスカー・シンドラーという人を描いた、というのはとても価値があることでしょう。
こういう話を本国ドイツが作ったりすると、もう反省と真面目さが全面に出すぎて単純に「良い話なんだけど映画として面白くないんだよね」みたいになりがちな気がするんですよね。それはそれで大切なんですが、ただこういう事実を広める上で、ある意味娯楽としてきちんと消化できる作りにしつつ、下世話な話「しっかりと興行収入を稼げる」物語に仕立てるスピルバーグの手腕とそのネームバリューというのはかなり大きな意味を持っていたのではないでしょうか。
僕の中ではスピルバーグという人は「基本的に外さないけど大当たりもない」ようなイメージが強く、言ってみればそつなくまとめる無難な印象なんですが、その“そつがない”クレバーな技量がこういう映画にはすごくマッチしやすいのかもしれません。
どんなに良い話でも、世に知らしめるべき話でも、大前提として観てもらわなければ始まらないわけで、そういう意味でもスピルバーグなら手腕は確かだし、そんなに映画が好きではない人たちにも名前が知られているというのが大きいと思うんですよ。スタートの時点でかなりブーストがかかるというか。
これが例えばノーランであれば技量的には文句無かったとしても、やっぱり一般人にはどうしても「ダークナイトシリーズの監督が」とか枕言葉が必要になると思うので、マスに向けての訴求力が弱まるのは否めません。
そういう意味での「監督スピルバーグ」というチョイスの良さもあった上で、スピルバーグ自身がユダヤ系というのも大きな意味があるわけで、ことこの映画に関しては監督が歴史に選ばれたというか、それこそ現実にこの物語が進行していた第二次世界大戦の頃からの歴史の延長線上で監督をやるべき人がやった映画という意味でもかなり特別な映画かもしれません。
おまけに彼は「血に染まった金は貰えない」と監督料も受け取らなかったそうで。それだけやはり自分のバックボーンを含めた、仕事とは別の動機が働いていたことは間違いないでしょうし、だからこそこれだけ後にも残る映画にもなったんでしょう。
そもそもスピルバーグはルーカスとかコッポラみたいにサイドビジネスに軸足を移すこともなく今も映画を撮り続けている、っていうのが純粋にすごいし映画ファンとしては嬉しいんですよね。この前の「ペンタゴン・ペーパーズ」みたいに「早く世に出すべき映画だ」となるとさっさと撮って公開にこぎつけちゃう、というようなフットワークの軽さも見事だと思います。
そんなわけでこの映画は描かれている物語以上に、それを伝える・広める意味でのスピルバーグの力量というものにも敬意を表したくなる、そんな「ただの良い話」ではない映画的巧妙さを感じる映画でした。
このシーンがイイ!
やっぱり終盤のシーンは一つ一つが良いですよねぇ…。詳しく書いちゃうとね。アレなんで書きませんけども。
ココが○
僕は元々シンドラーがドイツ人ということも知らなかったんですが、やっぱりこういう時代にこういうドイツ人がいたんだ、という事実を知るだけでも観る価値のある映画だと思います。
その上しっかり出来てますからね。評価は人それぞれでしょうが、やっぱり一度は通っておくべき映画だと思います。
それと基本モノクロなんですが、それ故にカラーの使い方がさすがにお上手で印象的だったのも書いておきたいところ。
ココが×
モノクロでだいぶ助けられはするんですが、やはりいともあっさりと射殺される人たちがボロボロ出てくるので、それなりに残酷な面は覚悟しておく必要があります。
ただなんかボフッてクッションを撃ち抜いた感じの散り方が多くてそこもまた気になったんだけど…。なんか人の撃たれ描写が軽い感じがするというか…。
あとベン・キングズレーのヅラの境目がすごく目立ったような気がしたんですが…気のせいなんだろうか…。
MVA
確かリーアム・ニーソンはこの映画から世界的スターになったような記憶があるんですが…さすがにそれも納得。シブくてカッコイイ。ただご本人は当然ながらこんなにいい男ではなかったようだし、ちょっと綺麗に見せすぎな面はあるでしょう。
アーモン・ゲート役のレイフ・ファインズはまだ若い頃でかなりいい男感が強いんですが、太っていたらしい本人に近付けるためにお腹も出してなかなかの役者魂を感じさせるこれまた名演でした。が、今回はこの人にしたいと思います。
ベン・キングズレー(イザック・シュターン役)
ヅラの境目が気になりつつも、迫害される立場らしい控え目な立ち居振る舞いと信念を持つ芯が強い雰囲気、とても良かったです。
どちらかと言うとコメディ的な演技の記憶が強い人なんですが、なかなかどうして…泣かせるじゃないか…!