映画レビュー0322 『アーティスト』
言わずと知れた直近(2012年2月)のアカデミー賞作品賞その他を受賞した作品。劇場に行こうかとも思ってましたがタイミングが合わず、ブルーレイでの鑑賞となりました。
アーティスト
映画自体への賛美に溢れた、意味のある作品。
かなり話題にもなったので今さらな説明ではありますが、全編モノクロ&サイレント(演出的に音を入れた一部のシーンを除く)の映画。おまけに古さを出すためにフレームレートを低くしたり等、「最新の技術で古い映画を作る」ことに力を入れられています。ちなみにフレームレートというのは、僕も大して理解しているわけではないですが、簡単に言えば1秒間のコマ数のことで、要は数値が高ければ滑らかに見えるし、低ければカクカク方面に寄っていくようなものです。その辺がどれだけ作用しているかはわかりませんが、確かにブルーレイの割に(良い意味で)精細さがあまり無く、古い映画っぽい質感はよく出てたように思います。やり過ぎると鬱陶しいので、その辺はさすがきっちり踏まえた作りでしたね。
さて、話の内容ですが、舞台は映画がサイレントからトーキーに移る時代、1920年代後半から30年代前半にかけて。
主役のジョージはサイレント時代の大スターで、気さくな人柄もあって誰からも好かれる人物のご様子。対するペピーは、劇場前で他のファン同様彼を眺めていたところ、ちょっとしたアクシデントで彼とお近付きになったことが翌日の新聞に載り、それを手に撮影所に乗り込んで女優を目指すという破天荒な行動に出るも、寛容な時代のおかげかトントン拍子に役を得ていきます。やがてトーキーの波が訪れる中、トーキーを認められず、「サイレントは芸術だ、私はアーティストだ」と言いながら時代から取り残され堕ちていくかつてのスター・ジョージと、時代に乗ってスターへ上り詰めていくペピーの交流を描いた内容になっております。
舞台設定的に、「雨に唄えば」と近いイメージですが、あっちはトーキーの波に乗ってイケイケの明るいお話、こっちはトーキーに乗れない男と乗った女の影のある物語、という感じ。監督兼脚本を書いたミシェル・アザナヴィシウス(ザック・カリフィアナキス的な読みにくさ)が「全盛期のサイレントはメロドラマだ」と考えた、とのことで、確かにメロドラマ的で、良くも悪くも既視感のあるお話ではありました。「こんないい女いねーよ」と思いつつ観たというのも否定できません。
そう考えると、これが“普通の映画”として描かれていたら、やっぱりきっとそこまで評価しなかっただろうなぁと思うんですよね。当たり前ですが。
きっとこの映画を評価したくなる理由というのは、実際のところ「映画史に含まれるノスタルジックなテーマ」である話の内容も含めて、やっぱり3D全盛のこのご時世に、「サイレント」という時代に逆行する映画を冷やかしではなく真っ当に作って、“映画に対するリスペクト”がギンギンに伝わってくる、っていうのが大きいのは間違いないでしょう。そういうところがまた、歴史あるアカデミー賞みたいな権威に好まれた理由のような気もするし。
映画好きは、映画自体を賛美する映画に弱いです。これは間違いない。もちろん、僕も含めて。
ただし、「モノクロのサイレント」という今の時代からすれば奇をてらった変化球で作るだけに、中途半端にやると「ナメてんのかお前」と思われるのも間違いないわけで、そのリスクを回避するために費やしたであろう時間と情熱には頭が下がります。
聞けばヒッチコックやワイルダーなどかつての巨匠たちに触発されている、と難読監督が言っている通り、かなり緻密に過去の映画へのリスペクトが込められた映画なんだと思います。僕はその辺りの巨匠たちに詳しいわけではないので、観ていてピンときたわけではないんですが、それでもやっぱり、話の内容も絵作りも劇伴も、全体的に映画への愛情が溢れていたと思うし、「真面目にしっかりいいものを作る」という至極真っ当ながら最近は疎かにされがちな部分をきっちり見せてくれたと思うので、その“無言の迫力”に圧倒される思いでした。僕が観た中では「ライムライト」に近い感覚。あれはトーキーでしたが、チャップリンといえばサイレントの名優ということもあり、この映画で描く時代を象徴する人物の一人と言っていいと思いますが、その辺りのエッセンスというか、この時代の映画特有の“何らかの文脈”がこの映画にも込められているおかげで、もっと映画が上質な娯楽だった時代の質感を伝えてくれているような気がします。
ちょっとややこしくなりました。戻します。
サイレント映画というのは実は僕自身、観るのは初めてでした。これはこの映画に限らず、サイレント全般に言えることだと思いますが、やっぱりセリフがない分、想像力に頼る部分が大きく、想像力に頼るということはつまりその話に入り込んでいくことになるわけで、「サイレントならでは」の世界の広がりだったり、不思議な没入感のようなものがあって、やっぱり今の時代あえてやる意味はあるんだな、と納得。
何度か書いてきていますが、最近の映画はことさら観客をバカにしている(=観客がバカになってきている)作りのものが多くて、「ただ過激な映像を流せば評価されると思ってる映画は大嫌いだ!」と
僕にとって、この映画の見せ方、哲学は痛快ですらありました。セリフ(音声ではなく字幕)も数えるほどしか無く、会話の大半は何を言っているのかわかりません。そもそも「会話」自体そんなに数多く出て来ません。だからこそ、セリフが出てくるとしっかり観るし、考える。冗長な物語よりもよほど感情的に多弁な映画になっていて、観客の想像力を信じて委ねる勇気がある映画でした。そこがすごく好き。
最初に書いた通り、振り返ってみれば話の大枠は目新しいわけではないんですが、その真摯な作り方と見せ方、そしてサイレント時代をリスペクトした役者陣の名演と、決して「変化球」に終わらない堂々たる作り。
この映画がダメだ、って言う人は本当の意味での映画好きではないと思う。この映画で「サイレントを初めて観た」僕が言うんだから間違い無い。こうやって歴史が紡がれていくことを思うと、そのことだけでも涙が出そうです。今の時代にこんな映画を作ってくれたことがすごく嬉しい。
これが“過去の名作”だったら、それでもまたこんなに評価はしなかったと思うので、やっぱり今の時代に作った意味、そこを評価してあげたいです。
このシーンがイイ!
サイレントについてあーだこーだ書きつつも、劇中出てくる「音アリ」のシーン。ここはハッとさせて、しっかり惹きつける良いシーンだったと思います。素直にうまい演出。
ココが○
上にも散々書きましたが、「今の時代にサイレントを作る」という意味と、その作り方に対する真摯さが最もいい点ではないかと思います。誇張しがちな変化球を「あの頃のストレート」で勝負に出る潔さが素晴らしい。
ココが×
特には無いかなぁ。物語自体の新鮮さはありませんが、それをやっちゃうとこの映画の意味合いがズレてくるとも思うので、この映画はこの話でいいんだと思います。
MVA
ワンコがまたねー。ものすごく名演なんですよ。これどうやって撮ったのかなぁ。すーごい苦労したんじゃないかと思いますが。ただ犬にはやれぬ! といういつも通りの自己規定により、コチラの方に。
ジャン・デュジャルダン(ジョージ・ヴァレンティン役)
主人公の元大スター。
もう本当に当時の人なんじゃないか、っていうぐらいサイレントがすごくうまい。すごく親しみのある表情と、堕ちていくダメ男の感じと二面性も抜群で、もうこの人以外主役は考えられないですね。素晴らしい演技。
相手役のペピーは好みで言えばもう少し若く見える人でもいいかなと思いましたが、でもやっぱり表情その他この人だな、と納得できる素晴らしさ。
普通の映画以上に役者が大事な映画だと思うので、この主演二人の功績は大きいですね。