映画レビュー0921 『クレージーの無責任清水港』

この日はちょっと気楽に観たかったので、録ってあった無責任シリーズからチョイス。

ちなみに劇中及びBSプレミアムのご紹介では「無責任清水港」なんですが、正式には「クレージーの無責任清水港」らしいです。

クレージーの無責任清水港

The Boss of Pick-pocket Bay
監督

坪島孝

脚本
出演
音楽
公開

1966年1月3日 日本

上映時間

94分

製作国

日本

視聴環境

BSプレミアム録画(TV)

クレージーの無責任清水港

既視感強め。それでも観られるのはさすがの植木大先生故。

6.5
クレージー映画の「時代劇シリーズ」3作目
  • 口がうまく機転が利く一匹狼がご当地の闘争に巻き込まれる時代劇コメディ
  • いわゆる清水次郎長の世界に放り込まれる植木大先生の図
  • “いつもの調子”でうまく立ち回る姿は既視感強めながらも相変わらず軽快に魅せる
  • 特に何も考えずに観て何も残らない良い娯楽

あらすじ

クレージー映画は傍系含めて全部で34作あるそうなんですが、その中で4作ある時代劇作品の中の3作目にあたる映画だそうで。

全体の時系列で言えば(おそらく)13作目、時代劇作品では「花のお江戸の無責任」の次作、全体で言えば「大冒険」の次作にあたる模様。とか書くとちょっとMCUっぽくていいでしょ。クレージーシネマユニバースですよ。CCU。

主人公はご存知植木大先生演じる追分の三五郎という…浪人なのかなぁ。武士ではあるようです。

彼は定職もなく腹ペコ故、ある店で適当に言いくるめて無銭飲食したところ当然ながらしょっぴかれてしまい、牢屋行き。

牢屋では先輩方にチンチロリンで勝負を挑んでは勝ち続けることで居場所を確保、タダ飯も食えるぞってことで囚人生活を満喫していたんですが、ある日看守からスッた小判を持って街へ繰り出し捕まったきっかけとなったお店で飲食代をきっちり支払ったところ「罪が無くなったんだから出ていけ」となって渋々出所、牢屋で知り合った森の石松と行動をともにすることになり、石松が世話になっている清水次郎長親分のところに身を寄せていたところ、次郎長一家と敵対する廣岡の勘介一家との闘争に巻き込まれていくことに…。

いつもの感じの安心感と既視感

これまた申し訳ないところですが、この時はちょっと他にやらなければいけないこともあってあまり集中して観られる環境になかったため、内容的にもしっかり理解していません。

逆にそういう環境だったので邦画で気楽に観られそうなこの映画をチョイスしたわけですが、実際その“狙い”的には良いチョイスだったというか、まあぶっちゃけクレージー映画を何本か観ていれば「ああいつもの感じね」と片手間に観られちゃうような映画かもしれません。

それは別につまらないと言うわけでもなく、どちらかと言うと「映画を観る」というよりは「バラエティ番組を観る」感覚に近かったような気がしますね。

ただ「バラエティ番組」と言っても今のそれとはレベルが全然違うちゃんと作り込まれたものだし、きちんと観るに値するものでもあるでしょう。

ですが…時代劇ということもあってか、印象としてはかなり前作の「花のお江戸の無責任」に近く、細部を観れば全然違うのもわかりつつ、なんとなーくの全体的な印象は「同じ感じだねぇ」で一括りにしたくなっちゃうような既視感に囚われました。役こそ違えど出てる人たちも大体同じだし。植木大先生と谷啓コンビが中心なのも変わらないし、親分的存在がハナ肇なのもまた然り。

おそらくは今の時代でも「人気グループ主演の映画」となると同じような作り方になっていくんでしょうね。一番人気が主演で、二番人気がその相棒で、みたいな。

その文脈で考えると、クレージー映画はアイドル映画の一種なのかもしれません。(スタッフを含めた)当人たちの意識や演技のレベル等に関係なく、「世の中で人気だからまたこいつら使っていつものパターンのやつで行くか!」というようなちょっとした濫造感を初めて感じたクレージー映画ではありました。

要はおヒューのラブコメと同じポジション

これが例えば「特捜部Q」みたいな、役も一緒のシリーズ物であればまた違う話なんですが、クレージー映画は(多分)全部設定も人物も違うんだけど展開が似通っているように見えるので、どうしても「一緒の感じね」と思っちゃう側面は仕方ないんでしょう。

機転が利く主人公(植木等)が口のうまさで周りを丸め込み、持ち前の器用さでその場を切り抜け、気付けば一目置かれる存在になり、ヒロインから惚れられる、というパターン。

これの難しいところは、一概に「同じ感じだからダメ」というわけでもないんですよね。言ってみればおヒューのラブコメだってこの枠に当てはまってくるじゃないですか。

個々の物語は違うんだけど、ざっくりと捉えると「ほとんど一緒」っていう。

それでも僕はおヒューの映画は好きだし、なんならもっと見せろと言っているわけで、要は「似通ってくるからダメ」なのではなく、おそらくは「こういうものが求められている」から作られているんですよね。

となると「クレージー映画が好きならぜひ、そうでないなら観なくても良いかも」というおなじみのありがち結論に帰結するわけです。おヒューのラブコメなんてまさにそれだし。

僕としては一作目の「ニッポン無責任時代」が超のつく傑作に感じられただけに、その後の作品はどれも若干パワーダウンしているように見えちゃうんですが、これはきっとまだまだクレージー愛が足りないということなんでしょう。

好きだけどね。好きだけど、もうちょっと違う感じを観たいなとは思います。

ただそれも(今回に関しては)時代劇というジャンルに対する自分の興味のなさもある程度影響しているような気がするし、これが現代劇であればもうちょっとまた感じ方も違ったのかもしれません。

見る元気玉

既視感が強い話をツラツラと書きましたが、これは裏を返せば「初めてだったらものすごく面白い」かもしれないわけで、この映画からクレージー映画を観始めるのも別に悪くないチョイスかもしれません。

まあなんと言っても「大先生」と言いたくなるぐらいに植木等のパフォーマンスが素晴らしく、残念ながら今の芸人では到底叶わないものがあるのも事実だと思うので、とりあえず未見であれば一度は観て欲しい“大スター”ですね。

なんだかんだ「一緒だな」と言いつつも不思議と元気をもらえる、「見る元気玉」植木大先生、と。

いや本当にこの人のような“華”を感じられるスターというのはもう二度と現れないレベルかもしれませんね…。

このシーンがイイ!

序盤ですが、牢屋で例の「誠に遺憾に存じます」を歌うんですよ。ちらっと。

もー「日本一のホラ吹き男」のときからですが、この曲が最高すぎて。

特に(ホラ吹き男の方の)歌詞が好きですね。改めて青島幸男ってすごい人だったんだなと。

ココが○

エログロの類は一切無し、家族で観られる安心感。この時代はクレージー映画が良い教育材料になっていた…のかもしれません。

価値観として良いものを訴えているわけでもないんですけどね。ただやっぱり全体的には“粋”な文脈が流れていると思うので、今の時代とは少し違う人物像の良さがあるのは間違いないんじゃないかと。

ココが×

んー、やっぱり既視感のある内容でしょうか。

植木大先生が強すぎるんですよね。きっと。設定的にはある意味でかなりのチートキャラなんですが、それに説得力が出るぐらいにこの人自身がチートキャラっぽいというか。危機を感じさせなさすぎる強さが良くもあり、悪くもあり。

MVA

まあ結局この人ですよ。やっぱり。

植木等(追分の三五郎役)

主人公。

口と機転と手先の器用さと俊足ですべてに勝利するチートキャラ。強すぎる。

そしてそれをすべて軽々と笑いながらこなすバイタリティ。すごすぎますよやっぱりこの人。今の日本にいて欲しい感。

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