映画レビュー0855 『逃亡地帯』

今回は50年以上前の古い映画ということで、BS録画から…だと思うでしょ!? 残念これもネトフリ終了間際シリーズでしたー。(どうでもいい)

逃亡地帯

The Chase
監督
脚本
リリアン・ヘルマン
原作
『The Chase』
音楽
公開
1966年2月19日 アメリカ
上映時間
134分
製作国
アメリカ
視聴環境
Netflix(PS3・TV)

逃亡地帯

一人の囚人・ババーが脱獄し、さらに逃走途中に殺人を犯した上に故郷へ戻ろうとしているらしいと聞いた街の人々は、それぞれの思いで彼の帰還を懸念し、また正義を振りかざし待ち構えるのだった。

正義による自己正当化 vs 抑圧的な権力 vs 無責任な群衆の三つ巴 + 脱獄囚。

7.5
今の時代も変わらない、正義の名の元に暴走する愚かな人々
  • 小さな町に訪れる「顔見知りの凶悪犯の脱走」という事件
  • 「脱走した」事実だけで均衡が崩れる脆い社会はとても示唆的
  • 地味でスッキリしない映画ながら、今も通じる一般人の生々しさは観る価値あり

「逃亡地帯」ってタイトルもよくわかりにくい気がしますね。ちょっとアクションっぽい感じもあるし。このタイトルはあんまりアテにしない方が良いと思われます。

舞台はタール市という小さな町なんですが、小さな町故に誰もが顔見知りで、近い範囲で浮気しちゃったりというなかなかドロドロした人間関係がありつつも当然ながら表面上はおくびにも出さない、まあよくあるコミュニティと言ったところでしょう。

この街出身で当然ながら住民もみんな知っているババーという男(ロバート・レッドフォード)がいるんですが、彼はある罪で服役中だったものの脱走、故郷のタールへ向かおうとするところから物語はスタート。

彼はこれまたタールの住民たちも知っている男とともに脱走するんですが、その男が逃走中に車を奪おうとして男を殺害してしまいます。が、それがどうもその話がタールに着いた頃には「どうやらババーが脱走した挙げ句、途中で人を殺したらしい」と噂になってしまい、「凶悪犯のババーが帰ってきたらこの街は大丈夫なのか!?」と市民たちが不安と反発で徐々に沸騰していくわけです。

タールの治安を守る保安官・カルダー(マーロン・ブランド)は「ババーは人殺しをするような男じゃないし帰ってきても俺が捕まえるだけだ」と至って冷静なんですが、しかし市民たちの不安は収まらず、おまけに町の有力者に取り立ててもらっているカルダーに対する妬みのような感情も相まって、「あんなやつに任せておけるか!」と自らババーを捕まえに行こうとする連中まで現れる始末。

果たしてババーは街へ帰ってくるのか、はたまたその時街はどうなるのか…というような物語になっております。はい。

上記の通り、物語のキーマンである脱獄囚・ババーを演じるのはまだ駆け出しの頃のロバート・レッドフォードなんですが、この人選がまず良いんですよ。

「ヤンチャっぽい感じはあるけど悪い人間じゃなさそう、むしろ善人じゃないのか」と思わせる雰囲気。おまけに殺人は冤罪だと最初にわかってる。つまり観客は彼寄りのポジションで映画を観ることになります。

しかし街の人々はババーは脱獄した殺人犯という極悪人だと思っていて悪意剥き出し、おまけに普通であれば最も頼りにすべき存在である保安官への不信感も根強い。なので「正義の名のもとに」自分たちでどうにかしてやろう、という思いが暴走していくお話です。

この保安官のカルダーは一応主人公ということもあって、小さな街の権力者と言える存在でありながら、そのことを重々承知しているために非常に抑圧的な振る舞いをする、ある意味理想的な「権力者」です。まあ当たり前っちゃー当たり前なんですけどね。ただアメリカ映画の保安官ってなんかすぐ銃ぶっ放すイメージがあるので、「銃はあるけど極力手をかけない」振る舞いだけでなんかかっこよく見えちゃう不思議。

彼は彼以上の権力者である、街一番のお金持ちのロジャースという男に保安官にしてもらった経緯があるらしく、実際は彼に対しても言うべきことは言う人物でありながら、街の人々からは「ロジャースに媚売って今の地位にいる」と思われているためになかなか市民側に味方してもらえない、という結構しんどいポジションにおられます。

まあ彼は彼で言いたいことは言うし、ややシニカルな振る舞いが目につく人物でもあるので、行動原理は立派でもカリスマ性には劣るような面はあります。それ故に“ババー脱走に対する市民感情”にうまく寄り添うことができず、深刻な事態を招くことになるわけですが…。

今もSNS等でよく言われていることですが、「自分が正しければ何をしても許される」と思って行動する風潮に対する警告のような映画で、それ故今も十分あり得そうな人間の嫌な部分が生々しく可視化されたなかなか(良い意味で)嫌な話になっていると思います。

50年以上前の映画ですからね。いかに人間は変わらないのか、むしろ劣化していってるんじゃないのかと思うとこれまた結構気持ちが暗くなるような話ではありました。

法に照らし合わせれば、ババーが最も“悪”に近い存在なのは間違いないんですが、しかしこの映画を観ているとまったくそうではないわけです。

暴走する人たちは、その法を根拠に「凶悪犯であるババーを許すな」とばかりに私刑を目論むわけですが、しかし法で言えば彼らよりもより“正義”に近い存在である保安官さえも反故にし、自らの正義に酔って暴走し始めるわけですよ。

これがねー、ホント今の時代でもよく見る話だな、と思うとなかなかしんどくてですね。

いわゆるネットリンチなんてまさにこの延長線上に位置するわけで、その醜悪さと善悪の判断の怪しさを観ていると、自省も込めてよく心に留めておくべき話だな、と思いました。そう言った意味でもまったく古くない、とても良く出来た映画だと思います。

一応ジャンルとしてはサスペンスらしいんですが、そんな話なのでむしろ社会派フィクションドラマと言った方が印象的には近いかもしれません。

序盤はなかなか地味で人間関係(固有名詞)もよくわからないし、正直かなり退屈な話ではあるんですが、しかし中盤以降の物語はそんなわけでなかなか看過できない生々しさを帯びている話なのが良かったですね。今の時代だからこそ観るべき映画かもしれません。

ということできっとこの映画を観た誰もが言いたくなる一言を最後に記し、終わりたいと思います。

「ババーの母ちゃんクソババー!!」

ネタバレ地帯

カルダーをボコボコにした連中が一番許せないのは当然なんですが、ただ彼らを放置していた一般市民もまた同罪なんですよね。ここにとても重要な問題があるんだと思います。

よく「いじめは無関心も加担になる」と言われますが、まさにそれと同じ構図。嫁さんの浮気も責められず、悪い連中の行動も見ているだけのロバート・デュヴァル、空気のような存在でしたが彼もまたそう言った意味では同罪と言っていいでしょう。こういう日和見な人間をきっちり可視化させている点もこの映画の良いところだと思います。

それとやっぱり暴徒化したキッズたちですよね。なんで火炎瓶なんて持って来てんだよ、って問題はありますが、しかしノリで悪びれることもなく遊び感覚で悪人(ババー)を追い込んでいく姿は、ちょっと渋谷のハロウィンウェイ系を連想させるものがありました。そういう面でもとてもリアル。

最終的にババーは撃ち殺され、ボンボンジェイクも助からず、両方愛したババー妻・アンナは悲しみに暮れる…って展開はちょっとやりすぎと言うか、ドラマチック過ぎるんじゃないかいという気はしましたが…まあ一応映画なのでそこはやむなしってところでしょうか。

街を去るカルダー夫妻の姿がとてもやるせない。ちょっとアメリカン・ニューシネマの予兆を感じさせるような、なかなか味のある良いエンディングでした。

このシーンがイイ!

ラストの雰囲気、好きですねぇ…。この頃の映画らしい味わいがある気がする。

あと物語的には割とどうでもいいシーンですが、マーロン・ブランドの元にロバート・デュヴァルが訪れるシーンはもう大興奮でしたね。ビトーとトムの対面ですよ! あれより先に共演があったとは。

ココが○

散々書いている通り、今になってよりリアリティを増している物語の核の部分。

自分の独善的な正義に染まりそうな時、この映画を思い出せるか否かが割とその後の行く末を左右するレベルで大切なことのような気がします。

ココが×

やっぱり中盤まではかなり地味で人間関係も入って来づらい面があるので、正直ちょっと眠くなるような部分はありました。

最後まで観れば何か感じるものがある話だと思うので、その辺も我慢してしっかり観ましょう。

MVA

ロバート・レッドフォードはその後の彼のキャリアからすれば驚くぐらい出番が少ないんですが、上記の通り彼がやっていること自体に意味があってそこが良かったなと。

とは言え結局は無難にこの人。

マーロン・ブランド(カルダー保安官役)

まあさすがに「20世紀最高の俳優」と言われるだけありますよねと。

やや気だるく熱のない人物っぽいんですが、しかし一番正義の意味をわかっているように見える内に秘めた正義感の覗かせっぷりが素晴らしい。

この頃のマーロン・ブランドは色気もすごいし、かと言って媚びた雰囲気もなく力もいい感じに抜けた演技力。さすがでした。

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