映画レビュー1317 『項羽と劉邦 鴻門の会』
そもそも今年はあんまり映画熱が高まらない上にゲームの方に時間が取られていることもあって更新が捗らないんですが、それに加えて最近PCの調子がすこぶる悪く、なんの前触れもなくすべてのデバイスが全切れするという地獄が起きているためイラストも(無駄になったときのショックを考えると)描けず、その分更新も停滞気味です。
たださすがにもう我慢ならんぞ、といきり立って後先考えずに新しいMac Studioを注文してしまったのでそのうちまた平常運転に戻ることでしょう。きつすぎるぜ、円安…。
さて、今回は特に観たいものもない中、なんとなくこの映画をチョイスしました。
「項羽と劉邦」は歴史解説系のマンガ(横山光輝じゃないやつ)で読んだ記憶があります。懐かしい。
項羽と劉邦 鴻門の会
ルー・チュアン
ルー・チュアン
リウ・イエ
ダニエル・ウー
チャン・チェン
チン・ラン
チー・ダオ
シャー・イー
リー・チー
ルー・ユーライ
リュウ・トン
2012年11月29日 中国
116分
中国
JAIHO(Fire TV Stick・TV)
権力の恐ろしさ。
- 劉邦の半生を追いながら、項羽や配下の武将たちとの関係を描く
- この手の歴史映画らしい戦闘やアクションはあまりなく、人間関係重視のドラマ
- 権力そのものと、そこにいる者の哀しさが漂う物悲しい歴史映画
- 若干間延びしている感はあり、娯楽としては今ひとつ
あらすじ
一言で言えば「映画としては不満も多いものの話自体はとても良かった」というところでしょうか。この辺りは映画の作り方の違いとかもありそう。
すでに天下統一を果たし、漢王朝の皇帝となった劉邦(リウ・イエ)。
しかし体調も優れず、あまり先は長くないと思われる晩年においても、何度も悪夢として現れ彼を悩ませていたのは、かつて生死の境目に立たされた「鴻門の会」なのでした。
そしてその悪夢と同様に彼を悩ませるのは、部下であり天下統一最大の功労者でもある韓信(チャン・チェン)が謀反を起こすのではないかという疑念。
猜疑心に取り込まれてしまった彼は、ついに手を下すことを決断。やがて目の前には韓信の首が捧げられます。
かつて最も信頼していた部下の一人の首を前に、劉邦は天下統一までの自らの歩みを振り返りますが…あとはご覧ください。
古くてすごい
あらすじの通り、劉邦は漢王朝、厳密に言えば前漢を打ち立てた人物であり、元々は「漢中」という一地方の呼び名でしかなかった「漢」という言葉が、やがて中国そのものを表すようになったぐらいに中国史を語る上ではかなり重要な人物です。
要は「漢字」という名称も、劉邦が天下統一をしたからこそ「漢字」になったわけで、その影響力の大きさが伺えます。
時代としては紀元前200年近辺のお話なので、もうその時点で古すぎてすごいな、っていう。(語彙力)
当然それだけ古いと残っている史実もどこまで真実なのか眉唾な面はあるだろうと思いますが、しかし紀元前のお話が伝承され、おまけに他国でも知られているぐらいに愛されているのはさすがに中国4000年の歴史だな、と適当なことを言いたくもなりますね。
ちなみに劉邦は“あの”始皇帝の行列を見たエピソードが残っているぐらいには古い人なんですが、その人がどうやって天下統一に至ったのかがある程度残されているのも(仮に大部分が創作だったとしても)やっぱりすごいと思わざるを得ません。
日本で「一番古い有名人は?」と聞かれたら、まあ大体の人は「卑弥呼」って答えると思うんですが、彼女の名前が歴史に登場するのは西暦240年頃ですからね。そこからさらに400年ぐらい遡った時代の人なので、そりゃあ古いわすごいわともうさっきからそれしか言ってない。
ちなみにこの卑弥呼が登場した頃、中国はおなじみ三国志の時代、それももう終わりかけです。曹操も劉備も、諸葛亮でさえ死んだあとです。
三国志も相当古い話が長く愛されてるなと思いますが、それよりももっと古い「項羽と劉邦」が今もこうして新しい作品として作られているのはやっぱりすげえ、とそれしか言えないわけです。
どうでもいい前フリが長くなりましたが、本題。
この映画は物語開始時点で既に天下統一を成し遂げている劉邦の最晩年の姿から始まり、タイトルでもある「鴻門の会」を含め、彼が「反秦連合」と呼ばれる…早い話が反乱軍に参加し、項羽の元に加わる初期の話から天下統一までを振り返りつつ、劉邦自身がどう変わっていったのか、そして彼とその妻である呂雉や、その配下の武将たちとの関わり、変遷を振り返っていくドラマになっています。
一応最初にドーンと首が捧げられちゃうのと、史実でもわかっていることなので書いちゃいますが、「最大の功労者である韓信をなぜ切ることになってしまったのか」が一つの大きなテーマにもなっていて、そこに権力者の哀しい化け物っぷりが透けて見えるぜ的な映画になっております。しみじみと。
同時に、とかく蛮勇ばかりが強調され、現代的に言えば「ただの筋肉バカ」的に語られがちな項羽についても、今までのそう言った印象とはまるで違う高潔な人物として結構新鮮な描かれ方をしていて、年老いて猜疑心の塊となり老醜を晒す劉邦と合わせて「項羽と劉邦」の人物像を一新するような映画と言えるでしょう。
ただ後世に伝わる話としては、こうなってくると逆に極端に振り過ぎな感もあり、双方「こういう面はあっただろうね」ぐらいに取っておいた方が良さそうではあります。
ちなみに項羽はあの「四面楚歌」の元となるエピソードである、「四方から自分の故郷の“楚の歌”が聞こえてくる=自らを包囲する兵士たちにももう自分の故郷の人間が大量に取り込まれている」救いようのない状況に晒された人です。
そんな劉邦の半生をしっかり追えるという意味で非常にありがたい映画ではあったんですが、不満も結構あってですね。
まず第一に時系列がかなり前後します。ノーランかよ、ってマジで思った。「プレステージ」かよ、って。
統一前と現在で劉邦の見た目はかなり変わるのでそこで判断できる部分もあるんですが、統一前に関してはその中でも時代が前後する部分も多く、どっちが先でどっちが後かがかなりわかりづらい。
1人の人物を取っても、囚われていたと思ったら開放された後だったり、足を引きずってるかと思ったら普通に歩いてたり…とまあわかりづらい。基本的にこの頃の中国史を知っている、つまりは自国の観客向けの感覚が強いのかなと。
もう1つ、宮殿のセットを始めとした美術面はかなりしっかり作られていて見応えがあったものの、その中での所作や階級による対応の違いもかなりリアルに再現しようとしているためか、一つ一つの動作が丁寧で遅い。それをしっかり見せようとするからテンポが悪い。
この辺りは日本の時代劇も同様だろうとは思いますが、あまり細部に拘りすぎると娯楽としての映画の面白さが削がれてしまう面があり、それが良いか悪いかは置いといてもう少し今風に細かく繋いで作ればだいぶ冗長な感覚が薄れて良かったのではないかな、と素人ながら思いました。
良く言えば重厚、悪く言えば冗長。なんならちょっと眠くなります。
重要なところでしっかり見せるのは良いんですが、割とどうでもいい(何度か繰り返されるような)爺の疑心暗鬼を見せるようなシーンをあまり丁寧に見せられると正直飽きてくるし、引いてはその冗長さが内容の薄さに繋がってしまう面もあって、だったら上映時間を短くするか、もしくはもうちょっと盛り込んでも良かったのでは…という気がしました。
それと…これはおそらく日本の字幕版に限った問題だと思いますが、主要人物の人名が何度も何度も出てくるんですよ。今までに観たことがないレベルで。
確かに見分けづらい人もいるし、格好が違えば印象も違うから何度か出してくれるのは親切だなとも思うんですが、それにしても回数が多すぎてさすがに「わかっとるわ!」と突っ込まざるを得ませんでした。
ひどいときは名前が出る→違う人のシーンで名前が出る→戻ってきてまた名前が出る、って感じでバカにしてるんですか!? みたいな。
何度か出すにしてももうちょっとルールを決めて出した方が良かったじゃないかなと思いますね。なんか適当にポンポン出してくるから気が散るんですよ。これには参りました。
自分がそこに立っても変わらずにいられるか
そんなわけで、映画として・娯楽としては結構不満が多く、もうちょっとなんとかなったでしょと思う面も多いんですが、ただ話としてはかなり好きなものではありました。
やっぱり「かつて同じ目標のために寝食をともにした仲間を手に掛ける」ことの切なさは2000年以上経っても変わらんな、というか。
「もっと良い世の中にしよう」と同じ志で一つになれたのに、いざその地位を手に入れると今度はその地位を守るために猜疑心に蝕まれていく、狂っていく権力者の悲哀ったらないですよ。
観ていてじんわりと「KCIA」の「あの頃は良かった」のセリフのシーンが浮かびました。あの映画も史実だし、権力を手にする前と後とで関係性が変わってしまった話なので、やっぱり人間変わらないんだな、と同時に誰であってもそうなってしまうのかな、と…。
この映画では劉邦が「欲の扉を開かされる」シーンが出てきます。本人が自覚的にそう感じるシーンが。
それを観て、自分もその立場に立ったらこうなってしまうのかもしれない…とものすごく考えさせられました。
それは今の自分が「2億ぐらい手に入ったらもうそのお金で完全リタイアでいいでしょ」と思う気持ちが、本当に2億手に入った時点で変わるのかもしれないという“疑念”にも繋がったんですよね。
そして昔からずっと思っていた「なんでお金持ちはお金を持った時点で満足しないんだろう」という問いに対する別の角度からの解答に感じられて、それもまたすごく考えさせられたんですよ。
人は「欲しい物を手に入れて満足する」なんてことはなくて、何か一つ手に入れば、また別の…その手にしたものを踏まえたもう一段上のものが欲しくなる、それが人の性なのかもしれない、と。
自分自身を取っても、例えば「AVアンプも買ったしもうこれでしばらく欲しいものはないな」と思ってても結局次から次へと欲しいものが出てくるのが不思議でしょうがなかったんですが、これが答えなのかもしれないと妙に納得しました。程度としては比にならないぐらい低いものですが、でもきっとステージが上がっても感覚は同じなんでしょうね。このレビュー(の下書き)を書いたあとにもMac Studio買っちゃったしね。
これは物やお金に限らず、浮気なんかも同じ理屈なんだろうな、とか。
だから今枯れっ枯れの自分が「浮気なんて絶対しない」と思っててもそれはある意味当たり前で、綺麗な彼女ができたら「もっと上を」と思っちゃうのが人の性なのかもしれないと思うと、やっぱり自分は自分が思っているほどよくできた人間ではなく、きっと今与えられているものの少なさ故に清貧でいられる(清貧だと思える)だけなのかもしれないと改めて自らを律することになりました。
同じくこういう話を観ていても「俺が国を手にしたらそこそこ美味しいものを食べて良いベッドに寝られればあとはみんなにお任せで楽して暮らせれば良いや」ぐらいに思ってましたが、そんなことを言いながらきっと部下がコソコソ話してるだけですぐさま「あいつ絶対俺の寝首をかこうとしてやがる…!」と粛清に走るのかもしれない、と自らの小ささを改めて見つめ直した次第です。
「立場が人を変える」とは言い得て妙で、結局誰が上に立っても同じようなことを繰り返す、それが人の歴史なんだろうと学びました。哀しいですがそれが事実なんでしょう。
このシーンがイイ!
韓信が「なぜ項羽の元を離れて劉邦についたのか」を端的に表す“忠義の元”のシーンはグッと来ましたね…。ある種の答え合わせとして、そして哀しいエピソードとして。
映画としては「個人の歴史を記した書簡」を数人分読み上げるシーンがすごく良かった。サスペンス的な盛り上がりとしても。
ココが○
各人の心情を伺わせる物語の描き方が秀逸。全体的には予想以上に良かったです。
また例によってこの手の歴史モノはWikipediaの閲覧が捗ります。小説とかも読んでみたくなるなぁ。
ココが×
良さを帳消しにしてしまう不満点がつくづく残念。特に上に書いたような時系列の不親切さとやや冗長な作り。
MVA
肝心の劉邦がいまいち大げさな演技に見えてちょっと残念でした。あと若干の空耳アワー感ね。
他の皆さんはそれぞれ良くて、特に準主役と言える韓信を演じたチャン・チェン、丞相の蕭何を演じたシャー・イー、参謀としておなじみの張良を演じたチー・ダオとどの方も良かったんですが、でも結局はこの方・この役かなと。
チン・ラン(呂雉役)
劉邦の正妻、呂雉。いわゆる皇后でもあります。
呂雉と言えば悪女の代名詞なんですが、しかし今作では若かりし頃の姿も描かれ、彼女もまた劉邦と同様に権力を得て変わってしまったことが伺い知れる内容と、「悪女」という言葉ほど強さを感じられないリアルな人物像が良かったですね。
しかし終盤に向けて徐々にその後世における“評価”を感じさせる人間になっていく様がサイドストーリー的に描かれていくのには震えました。
劉邦が変わってしまったために呂雉も変わっていったのか、それともその逆なのか…これまた考えさせられたのが良かったです。ある意味ではお似合いの夫婦というかね…。