映画レビュー0916 『映画 聲の形』

一時期鬼のように配信終了が迫ってきていたNetflixですが、ここ最近はだいぶ大人しくなってきてくれたおかげで安心してゲームに浮気しております。よくない。よくないけどしょうがない。

で、久しぶりに「これは観ておかないと」と思った配信終了映画、それが今回のこちらですよと。なんプロでは激レアのアニメ映画です。

ちなみにこれを観たのは結構前なんですが…この後ご承知の通り、京都アニメーションの事件がありまして…。そのニュースでこの映画を作ったところというのも知ったんですが、それだけになんともやるせない気持ちになりました。

この場を借りて、被害に遭われた方たちのご冥福をお祈りします。素晴らしい作品をありがとうございました。

映画 聲の形

the shape of voice
監督

山田尚子

脚本

吉田玲子

原作

『聲の形』
大今良時

出演

入野自由
早見沙織
悠木碧
小野賢章
金子有希
石川由依
潘めぐみ
豊永利行
松岡茉優

音楽

牛尾憲輔

主題歌

『恋をしたのは』
aiko

公開

2016年9月17日 日本

上映時間

129分

製作国

日本

視聴環境

Netflix(PS4・TV)

映画 聲の形

様々な共通感覚を呼び起こす傑作。

9.0
かつていじめていた聴覚障害者の女子と再会。それは禊なのか、それとも…
  • いじめっ子が人生に悩んだ果てに再会した「いじめていた女子」との交流
  • 現在と過去の友情や恋愛感情や人間関係が丁寧に世界を形作る
  • いろいろな面でリアルで生々しいので人によっては鑑賞注意
  • 聴覚障害に頼りすぎない繊細な傑作

あらすじ

ほぼアニメを観ない僕ですらタイトルを知っていたぐらいに公開当初から「傑作」と聞いていた作品で、だからこそ今回あまり時間もない日に意を決して観たわけですが、その評判通りのとても良い映画でしたね…。

主人公の石田将也は高校3年生。“いろいろ”あって(その辺は徐々に語られます)身辺整理し、橋からの飛び降り自殺を試みるものの結局出来ず、変わらない辛い現実に向き合わざるを得ない状況に身を置いたまま、再び日常に戻っていきます。これがプロローグ。

一方過去の将也は小学6年生。悪ガキ仲間と毎日楽しく過ごすガキ大将的な存在です。

ある日彼のクラスに聴覚障害者の硝子が転校してきます。彼女は「筆談用ノート」を使ってクラスメイトと交流しようとしますが、小学生の“無邪気な素直さ”故なのか…やはりあまり馴染めず、次第に将也(とその仲間たち)は彼女をいじめ始めます。

やがて彼女の高価な補聴器が(将也たちのいじめによって)頻繁に紛失する事態が発生、校長先生も出席の元にクラス会が開かれた結果、将也が主犯格として祭り上げられることで彼はクラス内の立場を失い、また硝子も転校してしまいます。

そして話は現在に戻り、「あのクラス会を契機に」自身も非主流派≒いじめられる側となってしまった彼は、ずっと引っかかっていた“かつていじめてしまった彼女”に会って話をしようと行動を起こすんですが…あとはご覧くださいませ。

小学校時代は観ていられないぐらいに辛い

ということで「聴覚障害者へのいじめ」が発端のお話になるので、いじめ関係にデリケートな人、要はかつて同じようにいじめられた経験がある人は結構観るのがしんどい映画だとは思います。

僕としても、前フリとして大事なことは重々承知しつつも、やはりその小学校時代の硝子へのいじめはかなり観るのが辛かったですね…。

正直に言ってしまえば、僕も小中学生時代に、例えば「あいつ無視しようぜ」みたいないじめに多少なりとも加担していた経験はあるので、今となっては考えられない残酷なことをしていた過去の自分を認識させられるような形で…まあしんどかったですね。本当に。すごく観るのが辛い話でした。小学校時代の話は。

きっと誰もが大なり小なり自らの過去を覗き見て辛くなる面はあるんじゃないかと思います。そうさせるようなリアルな人物像が数人登場するのもよくできています。

一見すると硝子に優しいポジションのように見えて実際はいじめに加担している、という硝子からすれば一番辛いんじゃないかと思える存在も出てくるし、必ずしも将也だけが悪いわけではないリアルさ。むしろ彼以外の存在に居心地の悪さを感じる人は多いのではないでしょうか。

将也はなぜ硝子に会いに行ったのか

やがて現在に戻り、自分も「学校生活に馴染めない人間」になってしまった将也。

彼がなぜ硝子に会いに行こうと思ったのか、その詳細については語られないんですが、やっぱり自分の立場が堕ちていくきっかけの存在でもあっただけに、ものすごく大きな後悔をずっと抱いて生きてきたんでしょう。

ただ彼が「100%贖罪のため」に会いに行ったのかと言うとそこは微妙な気がするんですよね。

僕が思うに、きっと彼は“安心したかった”んじゃないでしょうか。もちろん贖罪の気持ちもありつつ、同時に「高校生になって仲間と楽しく生きていてくれれば、自分の罪が和らぐ」ように思っていたんじゃないのかなと。

今もいじめられてたりとか、もっと言えば自殺してたりしたら(自分も自殺しようとしただけにそう考えるのも自然なはず)再度自分の自殺願望の背中を押す形になるだろうし、言ってみれば「どっちでもいい」ぐらいの気持ちで会いに行ったのかもしれません。今生きているのか、幸せなのか、確認だけでもしておきたいみたいな。彼女が元気であれば自分は救われるし、そうでないなら自分の罪の深さを再認識して決心できると。

結局彼女は元気に生きていたんですが、いろんな意味で“変わった”将也を知らない彼女にとっては当然「いじめっ子の会いたくない存在」なので、再会を喜ぶようなことにもならないわけです。

そこに彼女と将也の現在の人間関係+過去(小学校時代)の人間関係も絡みつつ、“変わろうとする人”、“変わろうとするけど変われない人”、“そもそも変える必要を感じていない人”と、それぞれの精神面を丁寧に描き出す内容が本当に素晴らしかったですね…。

この人間関係の悩みこそが「青春」なのかもしれない

一見するとそんなに近く感じない気もしますが、僕はこの映画は「桐島、部活やめるってよ」にすごく近い印象を持ちました。

学生生活主体、っていうのももちろんあるんですが、やっぱりまだまだ迷いも悩みも多く、“定まっていない”不安定な人間たちが相互に影響し合いながら自己を確立していく姿がとても生々しく描かれている点が似ている気がするんですよね。その姿はもどかしさもあるし、羨ましさもあるし。

僕自身、紛うことなきおっさんになった今でも悩みも迷いもたくさんあるんですが、ただやっぱり歳を取るとそれだけ良くも悪くも諦めることを覚えるし、ここまで濃密な人間関係って築けないじゃないですか。

それは距離感という意味ではなく、自分の中にある世界に占める割合という意味で。

この映画に登場する彼ら(桐島以下略も同じく)にとって、ここでの人間関係はもうその時点での人生のほぼすべてなんだと思うんですよ。

一人一人との関係性の重みが、歳をとったおっさんとはまったく違うと思うんですよね。それだけ世界が狭いし、それ故悩みも深い。

世界が狭いのは決して悪い意味ではなく、むしろこれだけ良くも悪くも心を通わせることができる人間関係の中に日常があることの羨ましさをつくづく感じました。

そしてそれこそがきっと、いわゆる“青春”ってやつなんだろうな、と。定義するなら「濃厚な人間関係の中に“しか”日常が存在しない」状態、それが青春なんじゃないかと。

今回初めて、自分の中で「青春」を定義できた気がする。それぐらいに意義深い物語を見せてもらったと思います。

重さもあるけど観て欲しい

割と「聴覚障害者へのいじめ」という文脈で捉えがちな面はあるし、実際その部分が生々しくエグい面もあるんですが、実際はその要素はあくまで導入に過ぎず、おそらくそこを取っ払っても同じように深い話になるだけの地力のある物語だと思います。なのであまりそこに着目して観る・観ないを決めて欲しくはないですね。

硝子の属性に関わらず、相互の人間関係が丁寧に描かれ、またわかりやすい描写よりも観客の経験を信頼した語り口は見事でした。

ただその入口があるからこその辛さ、後ろめたさは間違いなくあるし、だからこそ救いを求めて観ることで感情移入を高める作りになっているのも確かでしょう。

なかなか重い話でもありますが、しかし同じ年に公開された「この世界の片隅に」同様、誰もが一度は観て欲しい傑作ではないかと思います。

ネタバレの形

少し気になった点を。

一つは、花火大会の日の硝子の自殺未遂について。

彼女はなんであの日に自殺しようとしたのか、そこが少し解せない部分がありました。

めっちゃ幸せな日だったと思うんだけど…幸せすぎて「ここで終わろう」と思ったのか?

いや、やっぱり本人が言った通り「私といると不幸になる」から、将也が好きであるが故にこれ以上深入りしたくない(もしくはさせたくない)から死を選ぼうとした、ってことなんでしょうか…。いずれにしても悲しすぎる。

ただ彼女を助けた結果、将也が落ちたって展開はちょっとドラマチック過ぎて少しだけ惜しい気もしました。あそこはもう少しサラッとやり過ごしても良かったんじゃないかなぁ、って。

最もあれで将也が死んでたらやりすぎですが、そうしなかっただけでも良かったんでしょうね。きっと。

もう一点は、硝子のキャラクター。

早い話が「ものすごくかわいくてものすごく優しい」からそりゃ(将也も)好きになるだろうし、逆に言えばかわいくなかったらこんな話にならんでしょ、という説。割と男性陣の感想に多い模様。

これは僕も観ながらちらっと思いました。っていうか小学生の時点でかわいいしあんなひどいいじめしないんじゃない? って。

ただそれは裏を返せば「かわいいかわいくない関係なくいじめてた」過去があるだけに、きっと容姿は問題じゃないんだろうな、と判断したんですが。

ですが実際問題、多少なりとも容姿が接し方に影響するのは人間として当然だと思います。なので「硝子がかわいいからこうなった」のは当たっている部分もあるんでしょう。

まあ将也についてはそれでいいとして、問題は観客の側にそれを問うてる部分があるんじゃないのかな、ということ。

つまり、観ている方が(僕のように)「かわいいからじゃないの?」と感じることは織り込み済みで、その一歩先の「硝子がかわいくなかったとしてもあなたはこういう行動を取れますか?」という問いを突きつけているのではないかな、と。

そう考えるとこれまたさらに深い話になってくると思うんですよね。硝子がかわいくなかったら惚れてないのか、そして惚れてなかったら彼女の自殺を助けたのか。

しかしそうやっていろいろ考えていくと、結局気付くんですよ。「聴覚障害関係ないな」って。

将也が彼女を助けたのは聴覚障害者だからではなく、単純に好きだったからなわけで、結局「かわいいからこうなったんでしょ」は聴覚障害関係ないじゃないですか。

やっぱりなんとなく観客にも「聴覚障害者はかわいそう」という固定観念があって、それ故恋愛感情とは別の理由をくっつけたがる目線があるんじゃないか、と自分自身でも気が付いたんですよね。

要約すると、「硝子をかわいく優しい女子にすることで、聴覚障害者への無意識の差別をあぶり出す」内容になっている映画だったんじゃないか、という。

いや深い。反省すると同時に感謝したいですね、この映画は。

このシーンがイイ!

いろんなシーンでハラハラしたり、辛くなったり悲しくなったりホッとしたり、本当にあらゆる感情を揺さぶられる映画だったんですが…一つ挙げるなら…ポニーテールのシーンかな!

僕は別にポニーテールフェチではないんですが、ただ同じような経験があって、普段違う髪型の女子がポニーテールにした途端になんかドキッとしたんですよね。

甘酸っぱい何かを思い出させてもらって、やっぱり今でもこういうのあるんだな〜とほっこりしました。

ココが○

上に書いた通り、「観客の経験を信頼している」作りに尽きると思います。

それ故に本当にいろんな感情を刺激されたし、改めて価値観を植え付けられた面もありました。

この話は「変わろうとすることの尊さ」を教えてくれる面もありますが、同じように「変わりたいけど変われない人のもどかしさ」への優しい眼差しもあったように思います。

今目の前にいる人が変わろうとしているのか、それとも変わろうとしているんだけど変われないのか、個人個人のその歴史の上で今そこにいるということに、今一度しっかり目を向けて接するようにしたいと改めて思いましたね。

ココが×

やはりいじめ描写の辛さは一応心に留めておいた方が良いと思います。

暴力的な面は薄いものの、精神的にはかなり辛いものがありました。

それと、手話で会話するシーンはわざわざ説明セリフっぽく言わせるよりいっそ字幕を入れちゃった方が自然で良いんじゃないのかなと言う気はしました。

ただそれはそれで今度は(耳だけで楽しめるのかは置いといて)視覚障害者に優しくないのでおそらくそうしなかった面もあるんでしょう。

もっとも自分も手話で会話するとなったら、結局この映画みたいに手を動かしながら喋っちゃったりするのかもなぁ。

MVA

誰もがそうだと思うけど永束くん好きだわー。ヤーショー!

石田将也を演じた入野自由の自然さも良かったんですが、やっぱりこの人かなぁ。

早見沙織(西宮硝子役)

聴覚障害者なのであまり声を発するシーンは無いものの、その分発する時はとても印象的だし惹きつけるものがありました。

最近この人の声、いろんなところで耳にするんですよね。僕の場合主にゲームなんですが。

そのどれもがキャラクターが違うし、これぞプロの声優さんだなという感じで。今回も御本人は当然聴覚障害者ではないものの、しっかり違和感のない演技を聞かせてくれて素晴らしかったと思います。

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