ビビの話

映画にまったく関係なく、また極めて個人的な話なんですが、個人のブログなのでお許しください。

自分自身何かに吐き出さないと何かが保てないような気がして、そして自分の中で完結するのではなく外に向けてまとめることで踏ん切りをつけようと思い、ここに思いの丈を書き殴ろうと思います。

この記事は後日消すつもりです。

そして最初に書いておきますが、ある程度落ち着くまでは少し更新をお休みしようと思います。もしかしたら来週にはまた更新するかもしれないし、もうしばらくお時間を頂くかもしれません。

先日の「なんプロアワード」でも少し書きましたが、昨年末に我が家の愛犬ビビが余命1か月ほどと診断され、そして今日1月15日の午前8時13分頃、僕の腕の中で息を引き取りました。

「眠るように」なんて言えたら良いんでしょうが、実際はとても苦しみ、昨日の夕方頃から稀に人間の赤ちゃんのような壮絶な鳴き声で叫んだり、また抑えるのも大変なぐらいの痙攣を起こしたりしていて、夜通し看病していました。看病とは言っても実際はさする程度のことしかできず、ただ見守るだけ。

その痙攣の間隔が徐々に狭まっていき、最後は震えるように、文字通り命を燃やすかのようにして力を発散しながら旅立って行きました。

ビビは2004年12月29日、我が家で飼っていた父犬・モグ(ヨークシャテリア×シーズー)と母犬・ユフィ(ミニチュアダックスフンド×シーズー)の間に長男として生まれました。モグは7年ほど前に他界、ユフィは今も元気です。

元々は「代を重ねた方が失ったときの悲しみも和らぐだろう」と考えて、雄雌2頭飼いしてたんですね。

その時ユフィ(通称ゆーちゃん)は4匹の子供を産むんですが、最初に生まれてきたのがビビでした。

ゆーちゃんは初めての出産、しかもまだ若い(1歳)こともあってか、自分から出てきた子供が“何なのか”をまったく理解していない様子で、「キャン!」と一声上げてスポッと子供の入った袋が飛び出てきたものはいいものの、完全にキョトンとしちゃって「え? なにこれ?」状態。

もしかしたらご存じない方もいるかもしれませんが、犬って袋に入って出てくるんですよ。個包装です。僕も見るまで知りませんでした。

そのとき僕は横に座っていたので、このまま何もしないのはまずいだろうと慌てて当時のかかりつけの動物病院に電話し「人の匂いがつくと親犬が食べちゃうことがあるので、匂いがつかないようにタオルとかで袋を破いてあげてください」と言われ、焦りながら袋を破ったところ、それを見た母犬・ゆーちゃんがペロペロと顔を舐め始め、ようやくその生まれた子犬は息をし始めました。

それで彼女は理解したのか、2匹目から4匹目は普通に自分で袋を破き、ペロペロと舐めて無事出産は終わりです。

確か雄・雌・雌・雄だったかな。

年明けに当時の勤め先の朝礼で出産を報告、うちで残った1匹を飼うから3人まで欲しい方にあげますと言ったところ、2人欲しい人がいて、うちに来ました。

2人はそれぞれ長女と次男を引き取り、うちに残ったのは2匹。

でも2匹は飼えないなぁと思っていたら、当時隣に住んでいた猫を飼っている方が遊びに来て、「かわいい〜」と次女にメロメロになってしまい、引き取って行きました。

残ったのは長男、最初に僕が袋を破って取り上げた子です。

僕はあくまで「残った子を」と思っていたし、そもそも雄より雌の方が飼いやすいということもあって、自分から彼を選んだり欲しいと言ったりはしなかったんですが、でも内心はやっぱりこういう出来事もあったし、できたらこの子が残って欲しいなとは思ってました。そして残った、と。

こういうのが運命ってやつなのかなぁと思いましたね。陳腐すぎるけど、きっとそうなんじゃないか、って。

察しの良い方はおわかりかもしれませんが、我が家の犬は代々FFシリーズのキャラクターから名前を取っていました。モグはFF5で仲間になるモーグリの名前、ユフィはFF7で仲間になるキャラクターの名前です。

僕がFFシリーズで一番好きなのは9。

その中でも特に好きなキャラクターが、号泣させられたエンディングで流れる手紙の書き主でした。

あのエンディングを観て以来、「これだ! って男の子にはこの名前をつけよう」と決めていました。

それが「ビビ」です。

FF9の「ビビ」は、黒魔道士の男の子で純粋無垢、話し方も動作も子供っぽさが抜けないひたすら健気でかわいく、臆病なキャラクターです。

そして両親とともに暮らし、4か月までは弟と妹も一緒に過ごした我が家の「ビビ」は、本当にびっくりするぐらいFF9の「ビビ」と似た純粋無垢で優しく、またいつまでも子供っぽい犬に育ちました。そして臆病なところもそっくりでした。人に吠えるどころか、散歩してても子供から逃げ回るような犬。

今までも何匹か犬は飼ってきましたが、ここまで天真爛漫な子は初めてでした。いわゆる「老犬」と言われるぐらいの歳になっても、知らない人にはいつも驚かれるぐらいに若く、無邪気で裏のない犬でした。

犬を飼ったことがある方ならわかると思うんですが、犬でも怒られると申し訳無さそうな表情をしたり、また怒られそうな行動を取ろうとしていたところを見つかったときも「やべっ」みたいな顔をするんですよ。

ビビはそういう部分がまったくなくて、怒ろうと思っても真っ直ぐな目でこっちを見つめてくるし、なんなら常に甘えてくるような犬でした。毛を切ろうと仰向けにすると遊んじゃうし、シャワーしてても人のことを舐めようと寄ってきてやっぱり遊んじゃうし。

そもそも怒るような機会がほとんどない犬でもあったんですけどね。本当に賢くて、人の心を察し、無駄吠えもまったくしない本当に手のかからない子でした。

人の口を舐めるのが大好きで、一度ペロペロ始まったらしっかり引き離すまで全然やめないんですよ。

一回酔っ払ったときに「いくらなんでもほっといたら飽きるだろ」と思って横になって口を舐めさせてたんですが、ウトウト軽く寝ちゃって2時間後に起きたときにも舐めてました。そんな犬です。

顔を上に向けて口の位置が上に上がっていくと爪で引っ掛けて自分の口元に寄せるような強引さも併せ持った、とても強い「人間ラブ」な犬でしたね。

ペットを飼っている人であれば誰しもがそうでしょうが、彼との思い出は尽きることなく、書ききれません。

生まれた瞬間から一緒にいて、一番キリッとかわいい子犬だったのになぜかうちに残った“運命”を持った、果てしなく天真爛漫な犬。そして最期のときも、一緒にいることができました。

文字通り生まれてから亡くなるまで、ずっと一緒にいられたことは彼にもらった最高のプレゼントの一つだと思います。

本当に愛しすぎて好きすぎて、まだまだ若い5歳ぐらいの頃からもうすでに別れの時を思うと涙するぐらい、何ものにも代えがたい存在でした。

僕の人生計画では、彼が亡くなるであろう15年後(当時から15年ぐらいだろうなとは思っていました)ぐらいにはもう結婚してるだろうし、痛みを分け合える伴侶がいるだろうと思っていたんですが、結局予想が当たったのは寿命だけで、伴侶なんて影も形もなく、一身にその痛みを浴びているのが現状です。なんでなんだ。

よくある話で、きっと喪失感はあとから来るものなんでしょう。

ただ今は、二度の手術もしながら長く闘病生活を送り、特にこの半日ずっと苦しんでいた彼がその苦しみからやっと解放された、その安堵の気持ちのほうが強いです。

もしかしたら、眠るように旅立っていたら、ものすごく大きな喪失感を抱いていたのかもしれません。

ですが、彼にはつらいこととは言え、苦しんだ後の旅立ちだったので、そのとてつもなく大きな喪失感は安堵感という緩衝材によって幾分前を向かせてくれたのも事実です。

「それもわかってた…のかなぁ」

絶対そんなことは無いんですが、ただ今までの彼の生き様を見ていると、それも見越して「お兄ちゃん、僕の戦うところを見て、励まして」って言ってたのかなと、そんな気持ちもどこかにあるのです。

「虹の橋」はご存知でしょうか。

この世から旅立ったペットたちが、すべての病気から解放され、やがてあとから来るであろう飼い主を待ち、楽しく暮らす場所です。

彼らはそこであとからやってきた飼い主を見つけると駆け寄って、一緒にその虹の橋を渡って天国に行くと言われています。

もちろん、そんな場所なんて無いと思ってますよ。僕も。

ただ、どこかでほんの少しだけ、「あったらいいな、もしかしたらビビも待っててくれるんじゃないかな」と思っているんです。

そう思うことで気持ちが楽になるのもあるし、何よりそれが自分の希望でもあるから。

だから昨日もずっと、「愛してるよ」「本当にありがとう」「大好きだよ」「向こうで待っててね」と繰り返し言い聞かせました。

もう耳もほぼ聞こえてなかったんですが、それでもきっと伝わったと信じています。

そしてもし、ビビが虹の橋で僕を待っていてくれるなら、自分が死ぬこと自体が今までほど怖いものではなくなるなと感じたのです。

向こうでビビが待っているなら、死ぬことは必ずしもつらいことではないと。

先日も書きましたが、もしこれを読んでいる人がペットを飼っているのであれば、常に「愛してるよ」「大好きだよ」「いつもありがとう」と伝えてあげてください。

そして虹の橋で待つその子たちを思うのであれば、「待っていてね」とも伝えてあげてください。

別れはいつ来るかわかりません。

不幸中の幸いで、ビビは2週間前におおよその余命を知ることができたので、たくさん言葉を伝えることができました。だからそのことに後悔はありません。

ですが、以前飼っていた子は、9歳の若さで亡くなったことがありました。

あとから振り返れば、そう言えば朝少し元気がないなと感じたような気もしましたが、特に苦しい様子もなく、そして何より小型犬で9歳はまだまだこれからだと思っていたので、特に気にすることもなく、普通に「行ってくるね」と挨拶して仕事に行ったんですが、帰ってきた頃にはもう焼かれたあとだったことがあります。

その時の後悔は今でも忘れません。なぜあの時病院に連れて行ってあげなかったのか、それでなくてももっと思いを伝えておくべきだったと、強く後悔しました。

当然ですが彼らは言葉を話せません。

だからこそ、普段から自分の思いを伝えて、大切な存在であることを知っておいてもらわないといけないんだと思います。

それが今日、世界一愛する家族の旅立ちを看取った、僕からのお願いです。

すべての“家族”たちに、幸せな日常と、後悔のない別れが訪れることを願っています。

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