映画レビュー1305 『サンドラの週末』
この日は気軽な映画が観たいなーと思っていたのにちょっと気が滅入りそうなこちらの映画を観ました。前々から気にはなってたんですけどね。
サンドラの週末
ジャン=ピエール・ダルデンヌ
リュック・ダルデンヌ
マリオン・コティヤール
ファブリツィオ・ロンジォーネ
オリビエ・グルメ
モルガン・マリンヌ
ピリ・グロワーヌ
シモン・コードリ
カトリーヌ・サレ
2014年5月21日 ベルギー
95分
ベルギー・フランス・イタリア
JAIHO(Fire TV Stick・TV)
考えさせられるが設定にちょっと無理やり感も。
- 人手を取るかボーナス支給かで従業員の分断を煽るボスの判断に振り回される主人公
- 一旦はボーナス支給で決定したところをなんとか再投票に持ち込む
- 従業員たちを翻意させるために奔走する週末の物語
- 資本主義のエグさを感じつつそもそもの設定に無理やり感も
あらすじ
いかにも世知辛い現代らしいテーマの社会派ドラマで良かった…んですが、さすがにここまで“悪魔的発想”の経営するかな? と少々疑問もあったのが残念。フランスじゃあり得るのかな…。
夫とともに子ども二人を育てるサンドラ(マリオン・コティヤール)はうつ病だったかを患い休職中だったようですが、もう良くなったとのことで復職を目指します。
しかしタイミング悪く…というか彼女の復職のタイミングを見越してなのか、会社側は「従業員にボーナスを支払うからサンドラは解雇になる」と非常な通告。
そのことを仲のいい同僚のジュリエッタ(カトリーヌ・サレ)から聞いたサンドラは、彼女とともに社長に直談判。「再投票なら認める」との言質を取ります。
会社側は「ボーナスを支給するならサンドラは雇えないし、サンドラを雇うならボーナスは払えない」立場。つまり再投票とは、各従業員に「サンドラを取るか、ボーナスを取るか」の二択を迫るもの。
働けなければ暮らしていけないサンドラは、なんとか各人からの支持を取り付けようと話を聞いた直後の週末を利用して同僚たちに会いに行きます。
果たしてサンドラの復職は叶うのか、それとも…。
お金は欲しいけどお金を選ぶ人になりたくない
もうあらすじを見ればわかる通りの世知辛い話ですよ。
「復職したいからボーナスを諦めて私に投票して」と本人に説得させるという鬼畜仕様。ちなみにボーナスは1000ユーロって話だったので大体今のレートでざっくり15万円弱、ってところでしょうか。
従業員は誰しも“末端社会人”なので喉から手が出るほど欲しいボーナスであり、支給前提で予定を組んでいる人も多いために当然交渉は難航します。
確か従業員はサンドラを除いて16人だったので、過半数は9人。つまり土日の週末を使って(最初に一緒に直談判に行ってくれたジュリエッタは元々サンドラ派としてカウントして)最低8人は翻意させなければサンドラは復職できないということになります。
サンドラ自身もメンタルに問題を抱えているために交渉そのものが負担になってしまう面もあるし、描写は無いですがかつて一緒に働いていた頃の彼女の人となりも当然交渉に影響を与えてくる面もあるし、映画で描かれる時間以上にいろんなものが見えてくる、考えてしまう映画でした。
まあもう言うまでもなく大前提として「金を取るか人を取るか」の選択を弱者(従業員)の側に迫り、弱者同士の分断を誘う強者(社長)の倫理がクソすぎてクソですよ。クソオブクソ。
弱者自らが弱者に対して「お金を諦めて欲しい」って言って回る、その構図自体が吐き気がするぐらいクソで、こんな誰も幸せにならない話はないなとムカムカ来ました。
サンドラはサンドラでいろいろ「うーん」と思う面はあるものの、しかしそれでも彼女が悪いわけではないし、当然「ボーナスを選ぶ」従業員も悪いわけではないのが本当に胸クソ悪い話だなと思います。社長は高みの見物で、下々が争ってるのを観てるだけという構図。
「お前断るにしても断り方ってもんがあるだろ!」と言いたくなるやつもいましたが、それにしたってやっぱり被害者ではあると思うし、いくらなんでもこのやり方はひどすぎる。
そしてひどすぎるが故に「さすがに実際にこんなことは無いでしょ」とちょっとファンタジー…は言いすぎですがフィクション感が強く出てしまう設定は少々もったいないかな、とそこが結構引っかかりました。すごくいい映画ではあるんですけどね。
仮に交渉がうまく行って復職できたとしても、その後居づらいったらないでしょう。ボーナスを選んだ人たちからはどう考えたって恨まれるわけだし。
従業員間のコミュニケーションにも甚大な影響を与えるのは見るからに明らかなわけで、さすがにこんな浅はかでクソみたいな経営をする人間はいないと思うんですよね…。
なのでもうちょっとそこのリアリティがあったら良かったのにな、というのは思いました。
基本的には最初と最後を除けば、サンドラが交渉に行って従業員と会話し、その従業員の考え方や環境を聞いて相談の繰り返しなので、割と同じような場面が続きます。サンドラの説明も一緒だし。
でもそこに各人の生活だったりサンドラとの関係性が見えてきたりするので不思議と飽きず、なんなら自分も同僚の一人としてこの問題を考えている感覚すら覚えるのが面白いところです。
やっぱり自分ならどうするか考えながら観ていましたが、まー綺麗事かもしれませんが僕はサンドラを選びますよ。これはもう絶対に。
お金超欲しいけど、お金と人どっちか選べって言われたらそりゃお金を選ぶ選択肢は無いですよ。それはもう自分の美学とか哲学とかそっちの問題です。
この場合サンドラに対して自分がどう思っているか、サンドラがどういう人物かはあまり関係ありません。(あまりにもクズ野郎だったらさすがにお金を選ぶと思うけど)
そこにはもしサンドラが復職したら気まずくてしょうがない、という打算的な考えもちょっとはありますが、でもやっぱり「困ってる人とお金の天秤」でお金を取るような人間にはなりたくないなと心底思いました。それは強がってでも。武士は食わねど高楊枝の精神ですよ。
なんなら僕はこの「再投票」の時点で社長に文句言うと思いますね。「人か金かを選ばせるなんて正気ですか」って。
そもそも金を選んだにしても「人のクビ切ってもらった金で食う飯は美味いか問題」が勃発ですよ。ボーナスを選んで何かと後悔が残るのは目に見えてるし、万が一サンドラが自殺でもしたら一生引きずりますよね。
そういうところまで見て考えられるか、普段からどんな考えで生きているのかが如実に現れる問いなのがこの映画の深いところなんでしょう。
なのでリアリティ云々言いましたが、本来であればこれは(フィクションだし)“思考実験”の類であり、あまりその設定に物申すのも筋違いなのかもしれません。
そもそも「だったら転職しろよ」で済んでしまう設定でもありますからね。そう言っちゃう人間嫌いだけど。
時代に合っている一方で、合っていないのかもしれない
ということでいろいろ考えて結局良い映画だなという結論です。
上に書いた通り、設定の意地の悪さは脇に置いておくのが正解なんだと思います。
サンドラ自身にいろんな問題が見える(そもそも病み気味でもある)のも、誰もが味方するような主人公だったら話に深みが出ないので当然なんですよね。
所々で地雷を踏んでいるように見えたんですが、それも含めて“人間”だし、それも含めて考えるための映画なんだと思います。
いずれにしても、もう9年前の映画ではありますがなんとも現代的で世の中に余裕がなくなってきている時代を反映しているような物語は、その内容以上に様々なものに思いを馳せざるを得ないものになっていて、そこが面白いと同時に切なくもありました。
これが30年前なら絶対にこんな話は出てこないと思うし、今は日本に限らず世界的に資本主義の限界が見えてきている時代なんでしょう。
そしてこの映画以降の10年程度で各国揃って自己中心的・排他的な極右が台頭してきている事実もものすごく考えさせられます。
つまりきっと今の世の中では「サンドラを選ぶ」人がもっと減ってきている…もしかしたらこの設定自体が企画として通らないぐらいに自己中心的な世界がより進行してきているのが想像されるわけで、となるともはやこの映画も逆の意味で時代にそぐわない内容になっているのかもしれません。
グッバイ、性善説。
はー、暗い気持ちになるな、これは…。
このシーンがイイ!
サッカーを教えてるティムールに会いに行ったシーンが一番響きましたね。我ながら単純ですが。ああいう人間でいたいと思います。
ココが○
単純なテーマで単調な展開のように見せて、本当に考えさせられることがいろいろあってものすごく後に残る映画でした。
この映画を観て心に留めていられるか否かできっと人に対する何かしらの行動が変わってくると思います。僕はまた一つ優しい人間になりましたよ。
ココが×
一つだけどうしてもサンドラにダメ出ししたいのが、最初からずっと味方でいる同僚のジュリエッタはかけがえないのない存在だと思うんですよ。絶対にサンドラに入れてくれるわけだし。
それでもいくら病み気味とは言え彼女からの連絡をシカトするのはさすがにダメでしょう。しかも何度も。
絶対自分の味方をしてくれる人には同じぐらいその誠意に応えてあげないと人として良くないなと思いました。
MVA
まあほぼこの人の映画なので。
マリオン・コティヤール(サンドラ役)
主人公。
いつもの美貌は封印して生活臭丸出しのパートさん、って感じでさすがでした。
いかにも問題を抱えているっぽい立ち居振る舞いが見事でしたね。絶妙に「誰も味方してくれないのでは…」と不安にさせる不安定感がありました。