映画レビュー1304 『否定と肯定』
今回はJAIHOから。
大好物の法廷物ということで観てみることにしたんですが、奇遇なことに(?)2連続ナチス映画…になるのか…? アフリカン・カンフー・クンフーはナチス映画なのか…?(深まる謎)
否定と肯定
ミック・ジャクソン
『否定と肯定 ホロコーストの真実をめぐる戦い』
デボラ・E・リップシュタット
2016年9月30日 アメリカ
107分
イギリス・アメリカ
JAIHO(Fire TV Stick・TV)
今なお重要さを増している知性の戦い。
- 現実の裁判を元にしたナチス絡みの法廷物
- 原作者=主人公で他の類似作よりも再現映画に近い…かも?
- 例によって地味ながら知的好奇心を刺激する良作
- 主人公の性格が綺麗すぎないのがポイント
あらすじ
やっぱり法廷物、良いですね。好きです。
おまけに今作は実際の裁判を元にしていて、当事者である主人公が原作者でもあるというかなり事実に近い作りなのではないでしょうか。たぶん。
ユダヤ系アメリカ人のホロコースト研究者であるデボラ・E・リップシュタット教授(レイチェル・ワイズ)は、かつて著書で「ホロコースト否定論者」としてこき下ろしたイギリス人歴史小説家のデイヴィッド・アーヴィング(ティモシー・スポール)から名誉毀損で訴えられます。
訴訟はイギリスで起こされたため、「被告側が立証責任を負う」イギリスのルールによって「デボラ側がアーヴィングの(ホロコースト否定論者ではないという)嘘を証明すること」が求められる形に。
デボラはダイアナ妃の離婚裁判を担当したことで名を揚げた事務弁護士のアンソニー・ジュリアス(アンドリュー・スコット)に弁護を依頼、法廷弁護士は彼の推薦によってベテランのリチャード・ランプトン(トム・ウィルキンソン)が担当することになりました。
アーヴィングの嘘を暴くため、彼の20年もの長期に渡る日記を提出させ、内容を精査。さらにホロコーストの現場であるアウシュヴィッツ強制収容所へ赴いての調査等を進めていきます。
世間の注目も大きなこの裁判、弁護団の意向によって公での一切の発言を制限されたデボラは不服ながら従い、弁護団の方針に命運を委ねますが…さてどうなるのでしょうか。
若干ややこしいイギリスの裁判
法廷物としては去年観た「コリーニ事件」に似たトーンを感じる、地味ながら実直で現在の問題にも視座を持たされる良い映画でございましたよ。
当然ながら僕も知らなかったので勉強になったんですが、イギリスの裁判(すべてがそうかはわかりません)は非常にややこしい制度になっていて、いつも観るようなアメリカが舞台の映画とは違う分、そこがまず新鮮でした。
あらすじにも書きましたが、まず第一に「被告側が立証責任を負う」点。つまり訴えられた側が「間違っている」と立証しなければいけないわけです。これはなかなかにしんどい。
劇中のセリフにもありますが、これはつまり「推定無罪の原則」が無いことになるわけで、アメリカはもちろん日本の司法制度からしても馴染みがなく普通に考えてかなりしんどい話だな、と思います。スラップ訴訟みたいなものがよりまかり通るような制度に見えるし、イギリスは大丈夫なんかいなと心配にもなりました。
第二に「事務弁護士」と「法廷弁護士」の2種類の弁護士が担当する、という点。
これまた日米その他では両方1人の弁護士が兼務する…というか区別しないのが普通だと思いますが、イギリスでは分けられているのでそれぞれが別の役割を持って動く形になります。
これについては兼務の場合の業務量を考えれば分けられている方がメリットが多そうな気がしましたが、ただ当然事務弁護士と法廷弁護士で意見の齟齬も出てくるだろうし情報の共有が問題になったりもするだろうしで一長一短ありそうです。
ですが劇中でアウシュヴィッツに行くシーンでは法廷弁護士がついていったりしているので、事務弁護士と法廷弁護士の境目もよくわからなかったりもしました。やっぱり基本的には法廷弁護士の方が“花形”で、事務弁護士はそのサポートやら軍師的な役割で全体の作戦を決定したりという役割になるんでしょうかね。他の例というか映画も観てみたいところです。
この映画は実際にあった「アーヴィング対ペンギンブックス・リップシュタット事件」を元にしていて、また最初に書いた通り主人公のデボラは実在の人物であり、彼女が書いた書籍が原作になります。
こういった「当事者が書いた原作を元にした映画」となるとことさら主人公が善良に描かれていたりしそうで(レイチェル・ワイズとは似ても似つかないだろとか見た目は置いといて)ちょっと嫌だったりするんですが、この映画はそこまで主人公を美化している感もなく、なんならちょっとヒステリックで(弁護士側目線だと)ぶっちゃけ邪魔じゃね? ぐらいのキャラクターになっていたのがすごく良いなと思いましたね。
当然裁判はプロである弁護士に任せて、素人の“被告”である主人公は出しゃばらないのが一番だと思うんですが、劇中でも出しゃばろうとする主人公を弁護士側がなだめるシーンが多く、きっと現実でもやや扱いにくい被告に苦労したんだろうな…と思わせる内容になっていてなかなか真摯な作りなんじゃないかなと。少なくともそう見えました。
尺の都合上やむを得ないと思いますが裁判自体は飛び飛びで結構省略されている面も多いんですが、セリフはすべて実際の裁判で飛び交ったものそのままだそうです。
その辺も含めて、もちろん脚色も多いんでしょうが比較的現実に近い、再現に近い映画なんじゃないかなと思います。
それともう一つ書いておきたいのが、「ホロコーストの否定」はつまり「誰もが知っている事実はしかし実際にはほとんどの人が見ていない問題」みたいなものへの問題提起の要素があるな、という点です。
もちろん実際に経験した人、見た人は存在しますが、数の上では圧倒的に「それが事実と聞いているだけ」の人ばっかりなわけですよ。
それ故にそこの認知が歪んでくると歴史修正主義者になっていくし、それが高じていくと地球平面説に寄っていったりするようになってしまう、と。ワクチン打って5G受信だぜ、みたいな。
この問題はすごく頭の痛い大きな問題で、誰がどんな情報を信じているのか、どこに共通の解釈を設置できるのかがこの先もまた大きな問題になっていくと思うんですよね。それによって国の作りまで変わってきてしまうという。
今まではそんな人たちはごく一部だったし声が大きくもなかったので問題にならなかったところが、ネットの普及のおかげでその人たちが集まって声が大きくなってきているというのが困りもので、この先非常に大きな社会問題となっていくのではないかと思います。もうすでになっている部分もあるとは思いますが…。
だからこそ知性や知識が大事な世の中になるんだと思うんですが、一般の流れとしては逆に向かっているように見えるだけに、そこがものすごく怖いなとこの映画を観ていて感じたりしました。
他人事ではない原告
一方原告であるアーヴィングに関しては、いわゆる「歴史修正主義者」の類なのであまり他人事に見えないのも考えさせられるところです。
作家かつ歴史修正主義者となると…田んぼが百ありそうな感じですがまあかの御仁と同様に差別主義者でもあるという、見事に「どこの国にもいるんだな」と既視感アリアリのクソ野郎なので、相手にするのも疲弊しそうだし主人公サイドの苦労のほどが伺い知れます。
ただこの手の人たちはある意味わかりやすいために対処がそんなに難しくないのもまた世の常で、よく言われる「トランプだからまだ対処しやすかったけど賢いトランプが出てきたら比にならないほど厄介だぞ」みたいな面も間違いのないところです。
事実その「賢いトランプ」の異名を持つデサンティスみたいな人も出てきているだけに、反知性主義との戦いは今後より一層厳しくなっていくんでしょう。
そんな現実を無力に眺めながら、この映画のような知性、知識に根ざした活動や実績が地道に積み上がっていく世界を希望として胸に抱いて眠りたいぜ、と思うわけですよ。
本当にこれから先どうなっちゃうんだろね、この世の中…。
このシーンがイイ!
やっぱりアウシュヴィッツのシーンはものすごく胸に来るものがありましたね…。雪というロケーションもまた観ているものを真摯にさせるというか…。
ココが○
ナチスにホロコーストという「共通言語」を元にしているだけに、おそらく法廷物としてはわかりやすい部類でしょう。興味の対象としても入口で興味があるか否かで判断しやすいのもポイント。
ココが×
やや裁判が飛び飛びだったところぐらいでしょうか。思いの外世間の評価がイマイチだったんですが、その割には全然良かったな、と思います。
あとすごく細かいんですが少し気になったのは渡英中の愛犬の世話をどうしてたのか、という点。戻ってきて元気だったから良かったけど、愛犬家としては預けるシーンがほしかったな…。
MVA
アーヴィングを演じたティモシー・スポールとすごく悩んだんですが、やっぱりこの映画はこの人かなぁ。
トム・ウィルキンソン(リチャード・ランプトン役)
デボラの雇った法廷弁護士。イギリスらしく、例のかつらを被って法廷に立ちます。
まあこの人は相変わらず確かな仕事をする人だよねと安心して観ていましたが、すごく味があって良かったですねぇ…。知的で優しくて強い。
トム・ウィルキンソンは一時期「どの映画に出てても脱いでる」印象(そこまで脱いでもいないはずなんだけど)があったんですが、こういった実直で真っ当な役もやっぱり素晴らしいぞと。