映画レビュー1336 『いのちの食べかた』

先週はネット回線引き直しのため10日ほどネットに繋げない期間があり、ずっとゴロゴロしていたので更新もできませんでした。

ということで今回はこれからは率先してドキュメンタリーを観ていくぞシリーズ。ネーミング適当です。

この作品はタイトルを認知して以来、いつか観なければいけないだろうなぁと思いつつでも観るのが怖い気持ちもあって先延ばしにしてましたが、JAIHO配信終了が迫ってきたので意を決して観ました。

いのちの食べかた

Our Daily Bread
監督
脚本

ニコラウス・ゲイハルター
ヴォルフガング・ヴィダーホーファー

公開

2006年4月21日 オーストリア

上映時間

92分

製作国

ドイツ・オーストリア

視聴環境

JAIHO(Fire TV Stick・TV)

いのちの食べかた

観る価値はあるものの見せ方に良し悪し有り。

7.0
普段食べているものがどのように“処理”されているのか
  • 野菜・穀物・魚・肉の処理過程をつないだドキュメンタリー
  • 例によってナレーションやBGM等は一切無く、解釈は観る人任せ
  • 当然それなりにしんどいシーンも多い
  • 現場で働く人たちの食事シーン等もあり

あらすじ

予想通りいろいろと考えさせられる面はありつつ、ただ見せ方の部分でもう一つな部分もあり、評価が難しい映画ではありました。が、やっぱり今を生きる人間としては直視しなければいけない側面があることも事実です。

野菜や穀物、そして魚に肉と人間が口にする様々なものは当然「収穫する」「処理する」工程があるわけで、それを淡々と映像に収めたドキュメンタリーです。

ただその工程部分のみを観ていくわけでもなく、時折現場で働いている人たちの休憩や食事のシーンも挟まります。ですが会話もすべて字幕にはなっておらず、何を話しているのかは(ドイツ語等がわからない人は)わかりません。

嫌でも人間の罪深さを感じさせられる

眠れぬ夜の仕事図鑑」と同じ監督の作品ということで、まったく同じような作りのドキュメンタリーになります。

Wikipediaからの引用ですが、この映画に登場する生産現場は以下の通り。

  • トマト
  • キャベツ
  • キュウリ
  • リンゴ
  • アーモンド
  • パプリカ
  • ホワイトアスパラガス
  • ヒマワリ
  • 岩塩
  • サケ
  • 鶏卵
  • 鶏肉
  • 豚肉
  • 豚の種付け
  • 乳牛
  • 牛肉
  • 牛の種付け
  • 牛の出産

まあ当然ですが…“動物”の処理・加工についてはやっぱりどうしても人間の罪深さを感じずにはいられず、観ていて非常につらいものがありました。

常日頃から「命を頂戴している」意識を持ってはいるものの、やはり実際にその意味するところを目の当たりにすると「お前がしていることはこういうことだぞ」と見たくない現実を直視させられている気がして、「人間が生きる」ことそのものの意味について考えざるを得ません。

これが仮に「丁寧に1匹1匹送り出す」ような形であればまだ心の免罪符にもなると思いますが、当然効率第一の現代社会にそんなことは望むべくもなく、最大限効率よくスピーディに“処理”されていく動物の姿には言語化できないつらさを痛いほど感じました。

直前まで生きている、コミュニケーションも取れる存在だった動物が、その数秒後には動かなくなり、そのさらに数秒後にはもう2つに分かれて「食肉」として認識する姿になっていく衝撃。

何が衝撃って観ていて「食肉」となった姿には情も湧かない、もうそれを物体としてしか認識しなくなる自分の冷たさに衝撃を受けました。見慣れているのもあるんでしょう。

それでもついさっき、声を上げていた動物が動きを止めたときに感じた痛みを数秒後にはまるで感じなくなってしまう冷たさを自分が持っていることに、また大きな贖罪の意識を感じましたね…。

一方野菜や穀物の収穫風景についてはだいぶ心理的な負担も軽いので一旦ホッとするんですが、交互に現れるそれらの生産現場を眺めていると、徐々に「これ…どっちも一緒だな」と気付く瞬間があって、それによって植物にも贖罪の意識を持たされるのが興味深いというか、新たな視点をもらった感覚がありました。

結局人間は最大の効率でエネルギーを得ようとしているだけで、どちらも罪なのであればそこに罪の大小は無いのかもしれません。

対象が声を発するのか、知能があるのかの違いがあるだけで、「命を頂戴する」ことには変わりがないというか。そんなようなことをウダウダモヤモヤと考える時間でした。

ふとそんなことをいろいろと考えているとき、数年前に亡くなったとても優しい叔父が若い頃に牛の屠殺の仕事をしていたことを思い出しました。

叔父曰く給料はとても良かったそうなんですが、なんでも“その瞬間”の前に得も言われぬ悲しい目をするそうなんですよね。牛が。

それがつらすぎてやめた、という話を聞いたことがあって、この映画を観ていてその気持ちがよりリアルに理解できました。

叔父が働いていたのはもう何十年も昔の話なので、その表情を読み取るだけのある意味で時間的な余裕があったんでしょうが、この映画が撮影された時代では当然もっと効率化されているので、牛は何が起きるかわからない、でも恐怖を感じているような状況で“処理”されていきます。あのシーンは本当に観ていてつらかった。

もうそばにいる人間にすがるような時間もないんですよ。考えようによってはその方が良いとも言えるんですが、それでもやっぱりそこまでドライに割り切れなくて、ナイーブだろうがなんだろうがやっぱり自分が生きていくことの罪深さについて考えないわけにはいきませんでした。

それでも僕は当然これからもいろいろ食べていくと思います。そうしないと生きていけないし、それが人間だとも思うので。

ただこれからも生きていく中で、本当の意味での「いただきます」を言って、残さず食べることの大切さをより強く意識するようになったのは間違いありません。

結局ヴィーガンだろうが罪深いことに変わりはないので、となるとそうやって「自分は肉を食べない(から関係ない)」と振る舞うよりも、いかに食品ロスを減らして命を無駄なく繋いでいくようにするのか、そこを大切にしていくことが重要なのではないかな、という気がしました。

映画としてはもう一つな気も

…と殊勝なことを考えつつも、映画としての評価はまた別です。

「眠れぬ夜の仕事図鑑」もそうでしたが、この監督のドキュメンタリーはどれも映像を流すのみで演出はほぼないものなので、その分思想を誘導するような側面はないものの、どうしても単調で面白味にかける部分はあり、そこが映画として若干評価を下げざるを得ない面はあります。

それと個々で感覚は違うでしょうが、僕は観ていて1シーン1シーンが長いと感じました。「眠れぬ夜の仕事図鑑」もそうだったので、きっとそういう作風なんでしょう。

やっぱり1シーンが長いと飽きるんですよね。どうしても。

特に考えさせられるわけでもないシーン(従業員の休憩時間とか)は長いと単純に飽きるし、メンタルに訴えてくるしんどいシーンが長いと余計しんどくなるしであんまり良いことがないわけです。

「考える」という意味では良いのかもしれませんが、ただなんでもかんでも長く感じるようだとちょっと尺を稼いでいるような気もしてきてしまい、正直微妙だなと。

ただこれは現代人の病みたいな面もあるんでしょうね、きっと。何かと飽きがちですぐ時間を潰したがる傾向が。

それでも「このシーンこんな回す必要ある?」と思うシーンも少なくなくて、やっぱりちょっと個人的には作風が合わない気がします。もちろんテーマにもよるんでしょうが。

特に従業員たちのシーンは本当にいるのか疑問でした。せめて何を食べているのか(豚肉を処理する工場で働く人がハムを食べるのかはちょっと気になる)とか最低限の情報があれば良いんですが、それもないので「ただ従業員の休憩を観ているだけ」になってしまい、集中力が途切れます。

もっとも原題は「わたしたちの日々のパン(糧)」という意味らしいので、そういう意味では邦題によって先入観を左右されている面も否めず、監督はもうちょっとフラットに捉えてほしいと考えているのかもしれませんね。

特に動物の処理工場で働く人たちに対して、「慣れてるんだろうけどよく平然と仕事できるな…」と冷たい人間に思いがちな部分もあるんですが、ただきっとこの人たちは僕たちのような“現場”から遠い人間が見ないようにしている「見たくないもの」に直接触れて、理解した上で戦っているわけで、その意味では僕なんかよりもよっぽど真摯で偉い人たちなんだなと思いました。

誰かがやらなければいけないことをやっている、それはつまり僕のようなやっていない人たちが押し付けていることを引き受けてくれているわけで、その仕事ぶりは冷たいどころかかっこいいものなんだなと。

そこに楽しさ、快楽のようなものを見出してきたらまた話は別ですが、大多数の人たちはきっと戦ってるんだと思うんですよ。人間の罪深さと。

それによって人間の生命活動が維持されていることを考えれば、そこにいない人間が「冷たいな」なんて思うのは筋違いも甚だしいなと気付きました。

動物たちにも感謝、そしてそれを処置していく人たちにも感謝しなければいけないな、と改めて。

とまあいろいろなことを考えさせられる意味で観る価値があるのは間違いありません。

観るまでは気が重いし避けたかったものでもあったんですが、観たら観たでやっぱり観るべきだったなと思います。この先も生きていくための通行証のような気がして。

ただやっぱりつらいことは間違いなく、逆に言えばつらいと感じないような人だときっとあまり観る意味もないので、「つらいのはわかりつつ観るべきだ」と思える人だけ選べば良い映画なのかなと思います。

こういうものに触れて自らの罪深さを知ることが“業を背負う”ことなんだろうし、それによって消費活動が少しでも変わっていくならそれが一番良いことなんでしょうね、きっと。

このシーンがイイ!

良いと言うか…やっぱり動物たちのシーンは牛・豚・鶏どれも印象深かったですね…。

一番はやっぱり牛のシーンかな…。

ココが○

きちんと向き合うべきことに向き合っていくぞと思える人にとっては最良のドキュメンタリーのひとつだと思います。自分自身もそういう人でありたいと思っているので観てよかった。

ココが×

どうしてもつらいシーンがあるのと、上に書いた通りやや冗長なシーンが多い点。

好みの問題かもしれませんが同じ題材でもう少し上手く見せられるような気もするし、その辺りちょっとモヤモヤも残ります。

MVA

例によって中心人物がいるわけでもないので該当者無しで。

というか出てきた人の名前誰一人わからないっていうね…。

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