映画レビュー1315 『月は上りぬ』

相変わらず「なんたら製作委員会」的な電通とテレビ局が組んで金を出してる邦画にはあまり興味がないんですが、今でも配信にあがってくるような古い邦画は良い映画が多いのではないか、という当然の結論をひらめいたため、古い邦画はちょこちょこ観たいなと思ってチョイスしましたこちらの映画。

月は上りぬ

The Moon Has Risen
監督

田中絹代

脚本

斎藤良輔
小津安二郎

出演

笠智衆
北原三枝
安井昌二
杉葉子
三島耕
山根壽子
佐野周二
田中絹代

音楽
公開

1955年1月8日 日本

上映時間

102分

製作国

日本

視聴環境

JAIHO(Fire TV Stick・TV)

月は上りぬ

面白いんだけどさすがに価値観的にしんどい。

7.0
一時滞在の青年と姉をくっつけたい妹がアレコレ奔走
  • 一時滞在でやってきた知り合いの青年と姉がいい感じではと思いいろいろ画策する妹
  • 青年の友人であり妹とよく遊んでいる男が一緒になって二人をくっつけようと奔走
  • 邦画における初期のラブコメ?
  • しかしいかにも昭和の男女像がさすがに厳しい

あらすじ

なかなか軽快で観やすく面白かったんですが、おそらく一番見せたかったのであろう展開の部分が今の時代からするとどうにもしんどくて、時代を考慮しながら観た昭和のおっさん(おれ)ですら「さすがにそれはないでしょ」と引いてしまうぐらいに厳しいもので、そこが非常に残念でした。

ある日、奈良のお寺に間借りして暮らす無職の男、安井昌二(安井昌二)の元に同級生の雨宮(三島耕)が遊びにきます。

なんでも数日(1週間ぐらいだったような)ゆっくりしていく、とのこと。

昌二といつも一緒に遊んでいるご近所の浅井家の三女・節子(北原三枝)が、姉で次女の綾子(杉葉子)に雨宮の話をすると、昔彼が遊びに来たことやその時の様子をよく覚えていたため、「これはもしかするともしかするのでは」と彼と姉をくっつけようと画策、昌二とともに下働きも駆使してあれやこれやと二人にお節介を進めます。

どっちにも嘘をついて呼び出したりと好き放題やる二人ですが、なかなか進まない雨宮と綾子の関係にヤキモキしつつ、やがて迫る雨宮帰還のとき。

果たして二人はどうなるんでしょうね…!

安井昌二って誰やねん問題

主要人物の関係性が非常に分かりづらい…というか、まず役名も芸名も一緒の安井昌二が(今観る)観客にとって一番の謎で、こいつ誰やねん問題によって頭がいっぱいになってしまうわけですが、なんでも「心機一転頑張るぞ」ということで映画デビューとなるこの映画の役名をそのまま芸名にしたそうです。そんなん知るか!

その昌二さん、「寺に居座っているニート」ぐらいの説明だけで、寺の近くに暮らす浅井家の三女と「なんかいつも一緒にいやがるな何者だよ」という不思議な存在だなと観ていたんですが、あとから調べたところなんでも浅井家長女・千鶴の夫(故人)の弟らしいです。そんなん知るか!(二度目)

ニートで寺に住まわせてもらっているくせに妙に大物感漂わせてゆったり暮らしている時点でかなり謎の人物なんですが、そこはまあ良いでしょう。時代がゆるかった、ということもあるし。人間自体は優しい男でもあったし。

その彼が、いつも一緒にいる節子と二人で年頃の雨宮と綾子をくっつけようと“余計なお節介”を働くラブコメということになるんですが、まずその手口が結構強引。

二人にはバレずに、でもそれぞれが惹かれ合っているような錯覚を起こさせるため、まず節子は浅井家の下働きの米や(よねや。名前です。米屋じゃないよ)に「綾子の声真似をして雨宮に電話しろ」って言うんですよ。米やそこそこおばちゃんなのに。

まあ黒電話よりさらに前の据え置きタイプの電話の時代だしそんなに声の違いはわからないのか…? とは思いましたが、それ以前に(使用人なのはわかるんだけど)年長の米やに対する節子の立ち居振る舞いがちょっと気になったりもしました。立場の違いはわかるけどもうちょっと気を使えよ、っていう。

とは言え節子もまだ二十歳そこそこらしいので、ちょっと子どもっぽいところがあるのは致し方ないかなとも思ったのでまだセーフ。ここまでは。

ちなみに米やを演じるのは田中絹代、つまり監督です。

この当時に女性監督って相当珍しかったのでは…と思って調べたところ、田中絹代はなんと日本で2人目の女性監督だそうです。1人目の坂根田鶴子はドキュメンタリーを除けば1作しか撮っていないそうなので、まさに日本における女性監督の“走り”と言って良いでしょう。日本人大リーガーで言えばマッシー村上のあとに2人目の日本人大リーガーとなった野茂英雄のポジションです。(野球に例えるやつはおっさん注意)

そんな女性監督の作品ということを念頭に置いて観ていたんですが、それでも家父長制とか男尊女卑的な価値観がすごく見え隠れする内容に結構な衝撃も受けました。

内容はコメディだし深刻なものではないんですが、だからこそなおさら「当時の基本」がこれほど遅れていたのかと思ってしまい、内容以上にそこが気になって仕方がなかったのも事実です。

特に「こういうお話を描きたかったんだよ」と理解できる、終盤のとあるシーンではもう大げさでなくドン引きしました。

話の帰結の方向としては結構好きだったんですが、その方向性とは別にとある男のセリフがちょっと今では考えられないレベルにひどいもので、しかも笑顔で決め台詞的に言うのでそこで「うそーん」となってしまい、さすがに時代を考慮したとしてもしんどいな、と思いましたね。

考えてみれば当然なんですが、当時の女性監督と今の時代の女性監督ではやり方も違うだろうし、観客(≒世間)が求めるものも違うはずなので、「女性監督だから家父長制におもねらない作品を」なんて価値観で作られてはいないんでしょう。

むしろ当時は「女性でもいい作品を撮れることを証明」するために主流(男性)監督に寄せていく作り方のほうが当然だったのかもしれません。

さらにこの作品はご覧の通り、脚本に名を連ねるのは小津安二郎なんですよね。

「なんですよね。」なんてわかった風に言ってますが小津安二郎に詳しくないのでなんなんだよ、って話なんですけど。

まあその詳しくない人間が素人考えで推測すると、「小津先生の顔に泥を塗らないようにきっちり作らなければ」とまで言うとちょっと卑屈かもしれませんが、片や大監督なのでいくら田中絹代が大女優とは言え監督として大先輩の小津安二郎に「このセリフはちょっと」なんて言えるはずもないだろうし、内容に関してはやっぱりそこまで“女性的目線”が影響するようなこともなかったんでしょう。

そもそも当時のムーブメントとして「家父長制許すまじ」とか「男女平等を」とかが主流でも無かっただろうし、田中絹代としては至って普通に「脚本通りに良い映画を」と作っていた可能性のほうが高いと思われ、であれば「女性監督だから云々」と期待するほうが間違っているというか、ズレた見方なのかもしれません。

とウダウダ考えながら思いました。

決して監督が悪いわけではなく、当時の世相を考えれば至って真っ当な内容が今となってはしんどい、というだけの話でしかないんでしょう。

笠智衆は癒やし

なおキャスティング上トップに名前が来る(劇中でもそうでした)笠智衆は脇も脇で大して登場もせず、そこも結構びっくり。

笠智衆が父親役という辺り、いかにもこの頃の映画らしいし小津作品っぽいなと思ったりもするんですが、一方で笠智衆の演じる父親像は大抵の作品で(当時としては)あまり家父長制を匂わせない、とにかく優しくて理解のある父親っぽさがあり、そこが救いであり癒やしだなとも思います。

これで父親役が別の人でゴリゴリの家父長制タイプだったら観ていられなかったでしょう。小林亜星とかさ。(例えが古すぎ注意)

そこでバランスを取っているということもないでしょうが、今の時代に観ると本当に笠智衆の“父親”は普遍的な良さを持っているのでは…という気がしてなりません。

結構中身から逸れた話が多くなってしまいましたが、話としては面白いもののいろいろしんどいよ、というまとめ。

逆にこの映画を観て「男女はこうでないと」みたいな(終盤のやり取りについて)肯定的なことを言う人とは結婚しないようにしましょう。今の若い人でそんな人いるとも思えないけど。

おっさん爺さんはこれ観て「やっぱり男はこれぐらい言えなきゃダメだ」とか言う人多そうで嫌。なのでこの映画の感想は結構良いリトマス試験紙になるかもしれないですね。

このシーンがイイ!

ラストの父親笠智衆と長女の会話のシーンはすごく良かったですね。

ここでもちょっと引っかかる部分はあったけど、それでもやっぱりすごく良いシーンだなと思いました。あれを最後に持ってくるのがまた良い。

ココが○

内容関係なく、いかにも昔の日本っぽいなと思ったのは、皆さんまあとにかく所作が綺麗で品がある。演技だろうともう今の日本では見られないものなので感銘を受けるレベルで綺麗でした。

価値観の変化はこういった“良さ”とのバーターなのか…? とか考えたりも。

ココが×

上に書いた通りですが、「男性像がいかにも古く、価値観が合わない」のはもちろんのこと、それだけでなく「女性は尽くすもの」という女性側からの姿勢にも古さが強く出すぎていて不憫に感じられてしまいました。

このことを当時の女性たちがどう考えていたかは関係なく、男女双方の性に根ざした役割の描写に違和感があるのでなかなかしんどいよね、というお話です。

つまり終盤の「見せ場」は男性側のセリフだけでなく、それに従う女性側の姿勢にも強烈な違和感を覚えたよ、と。

引いては「それ」を良しとしていた社会の問題でもあるし、そのことを知ることができるという意味では今でも観る価値があるのも確かなんですが、ただ価値観としては率直に受け入れがたいと思います。

MVA

笠智衆…と言いたいところですがあんまり出てこないし選択に面白味もないので、この方に。

北原三枝(浅井節子役)

安井昌二こと安井昌二と仲良しの浅井家三女。21歳ぐらいだった気がします。

上にも書きましたが使用人への態度にちょっとモヤモヤはしましたが、それも含めて若さと快活さがあって演技もとても良く、かわいらしい女優さんでした。

で、調べたらなんと石原裕次郎の奥様だったんですね…。全然知らなかったよ…。

他にも関口宏のお父さんが出てたりして、その辺のつながりが観えてくると古い映画を観る楽しみの一つになりますね。

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