映画レビュー1241 『パリ、テキサス』
この日は久しぶり(1か月ぶりぐらい)にウォッチパーティではなく選んで映画を観ました。
タイトルとしては結構有名な作品だと思いますが、初鑑賞です。
パリ、テキサス
L・M・キット・カーソン
サム・シェパード
ハリー・ディーン・スタントン
ディーン・ストックウェル
オーロール・クレマン
ハンター・カーソン
ナスターシャ・キンスキー
1984年9月19日 フランス
147分
フランス・西ドイツ・イギリス・アメリカ
JAIHO(Fire TV Stick・TV)
古い男女の関係性、でもそこが良い。
- “ワケアリ”の兄が突然姿を現し、預かっていた息子と再会する
- 最初は馴染めなかった息子とも徐々に打ち解けてきた後、妻と再会すべく旅に出る
- 男女の関係性がやや古くも感じるが、情感豊かな物語によってリアルさも感じられる
- 妻の美しさが物語の印象を強く残す
あらすじ
例によってお昼ご飯の後に観ちゃったもんで正直に言うと途中で寝ちゃったりもしたんですが。
でも良い映画だったなぁ。やっぱり80年代らしい湿り気のある物語というか。そこがたまりませんでしたね。
テキサスの砂漠で息も絶え絶えの男が突如倒れ、病院に運ばれます。
男の名はトラヴィス(ハリー・ディーン・スタントン)。4年ほど前に姿を消し、家族からは死んだものと思われていたところに突如発見された…とのことで連絡を受けた弟のウォルト(ディーン・ストックウェル)が迎えに行きますが、感動の再会も何もなく、一言も喋らない上に目を離すとすぐに逃走する兄に手を焼くウォルト。
飛行機で帰ろうとするも頑なに拒否する兄に折れたウォルトは、時間をかけて車でようやくロスの自宅に帰宅。家ではトラヴィスの息子であり、彼の失踪以来ウォルト夫婦が「実の息子同然」に育ててきたハンター(ハンター・カーソン)も待っているのでした。
まだ小さかったために父の記憶もあまりないハンターはよそよそしく父と接しますが、交流を続けゆっくりと親子関係を取り戻す二人。
やがてトラヴィスはウォルトの妻・アン(オーロール・クレマン)から自らの妻・ジェーン(ナスターシャ・キンスキー)がちょくちょくハンターのために送金してきている事実を聞き、彼女を探すべく再び旅に出ることに決めるのでした。
二人はスペシャル
実は上記あらすじは結構中盤ぐらいまで触れているので若干申し訳ない気持ちもありつつ、ただ序盤だけだと何の話かよくわからない…というかこの映画の良さに1mmも触れていない気がするので今回はちょっと先の方まで書きました。
つまり逆に言うと、割と序盤〜中盤はいわゆる「前フリ」の側面が強いため、結構退屈でより眠気を誘うよ、という話でもあります。
最初は弟さんが主人公なのかなーと思いながら観ていた(それこそ飛行機拒否の逸話からミッドナイト・ランにおけるデ・ニーロっぽい)んですが、実はもう全然脇も脇で中盤以降に話はガラリと変わります。
とは言えそこに至るまでには序盤の説明がないとそれはそれでイマイチピンとこない気もするし、少々古い映画らしくピークが極端にあとの方にある映画という印象です。
序盤、発見後にまったく話もせず弟の手助けも拒絶せんばかりの彼の“ワケアリ”感も、過ぎてしまえば何だったんだよ感が無いわけでもなくて、あれはあまりにもこの4年間で人と接しなさすぎたがための一時的な症状だったんでしょうか。
ロスのウォルト宅に帰還した後のやや子どものような行動も結構不思議で、それと終盤との人物像の違いに結構違和感がありました。終盤のトラヴィス像からすれば、やっぱり中盤までの彼はもう少し違った描き方で良かったような気がします。そこに違和感があって少し乗り切れなかったような面も少なからずありました。
当初ロードムービーと聞いて、迎えに来た弟と車でのんびり帰るまでのお話かと思いきやウォルト宅には割と早々に帰還してしまい、そこでの生活の話が中心になってくるので「これロードムービーじゃなくない?」と思っていたらその次の旅があるよ、という二段構えがなかなかニクい。
後半の旅に関しては、目的もはっきりしてるし受け身の情報しかなかった前半の旅と違って俄然興味を惹かれる内容になっていて、そこからさらに“ワケアリ”の本当の部分を答え合わせしていく物語はなかなか良いものでした。
特に序盤の砂漠地帯の乾いた風景から一変してだいぶウェットな、湿り気のある昭和の物語といった印象の後半戦は「古き良き男と女のメロドラマ」感があって好きです。
今となっては(詳しくは書きませんが)この男女の関係性はやや古い気がするし、そこにリアリティの無さも感じはするんですが、ただセリフと演技の良さのおかげで「古臭い関係性に見えるけどこの二人には確実にその時間が存在した」手触り感が伝わってくるものになっていて、そこになんだか妙に惹かれてグッと来てしまいましたね…。
一般的にこんなことは今の時代無いだろうけど、でもこの二人の間にだけはあったんだよね、みたいなスペシャル感とでも言いましょうか…。極稀に存在する、特別な二人。
恋愛なんてみんな「その二人だけの歴史」だとは思いますが、特にこの映画では「特別な二人の歴史」がありありと浮かんでくるようなやり取りが素晴らしく、この辺りの描写は今になっても古くないし他に観たこともない“味”を感じました。すごく良かった。
またこれは言ってしまっていいのか微妙なところでもありますがどうしても書いておきたいのは、やっぱり「実際トラヴィスの奥さんはどんな人なんだろう」という観客の興味の先に現れる彼女が…すごく良いんですよ。
どこがどう良いのかは観てもらうとして、「この人だからこの話は成立するんだろうなぁ」としみじみ感じてしまうぐらいに存在感のあるキャスティングになっていて、なんと言うか…「画面に出てきた時点で説得力が生まれる」俳優の使い方の凄みみたいなものを感じました。
憧れる危険性
僕ももういいおっさんなのでトラヴィスにちょっと憧れる気持ちも無いと言えば嘘になるんですが、ただまあこれは本当に特別でこんな出会いもこんな結婚生活も無いよねと改めて悲しい気持ちにもなるわけですよ。
むしろ逆にこういう話に「いいな」と思ってしまう危うさみたいなものも感じていて、それ故に勘違いするおっさんが大量に世に蔓延ることとなって「勘違いするんじゃねぇぞおっさん」と非難を受けまくる悲劇が想像に難くないのもつらいところです。
いずれにしてもトラヴィスのように、最も価値のある出会いを得られた人は、どんな結末を迎えようが幸せなんだろうと思いますね。
話の結末は当然書きませんが、最後まで観て諸々考えた上で彼の人生はなんだか羨ましいなと思いました。
その上で自分ならどうするだろうなとまた考えながら、結局代わり映えのしない日常に戻っていくわけです。泣けますね。
このシーンがイイ!
やっぱり…電話越しの会話のシーンしかないでしょう…。あそこすごくよかったなー。表情もセリフも間も全部素晴らしかった。
ココが○
アマアマではない男女間を描いた物語としてはかなり好きです。大人の男女の話。
ココが×
ただ前フリが長いのも事実で、それが良さにつながってもいるとは思うんですが…前半はどうしても飽きちゃうよなぁ。
MVA
主演のハリー・ディーン・スタントンは脇役俳優なんですが、もう「脇役俳優が主役を演じる」だけで大体良い映画になっちゃうお約束があるので彼にしたいところではあります。が…この映画はこの人だと思います。
ナスターシャ・キンスキー(ジェーン・ヘンダースン役)
トラヴィスの奥さん。いわゆる名字が変わってないところを見るとまだ離婚してなかったのかな?
なぜ彼女なのかは観ればわかると思います。
出番は相当少ないんですが…すごく良かったな…。