映画レビュー1302 『洲崎パラダイス 赤信号』

この日も特に狙いの映画はなかったんですが、なんとなく古い映画が観たいぞということでちょうど配信中だったこちらの映画。モノクロです。内容もタイトルもまったく知らない映画でしたが…。

洲崎パラダイス 赤信号

Suzaki Paradise: Red Light District
監督

川島雄三

脚本

井手俊郎
寺田信義

原作

『洲崎パラダイス』
芝木好子

出演

三橋達也
新珠三千代
轟夕起子
河津清三郎
芦川いづみ

音楽

眞鍋理一郎

公開

1956年7月31日 日本

上映時間

81分

製作国

日本

視聴環境

JAIHO(Fire TV Stick・TV)

洲崎パラダイス 赤信号

なんだかなぁと思いつつもほっておけない二人。

8.5
金のない二人の男女が赤線地帯手前の洲崎で借りぐらしを始める
  • ダメ男と元娼婦の女が金も無いままアテもなく“ワケアリの街”洲崎にやってくる
  • 女は居酒屋で、男は蕎麦屋でそれぞれ住み込みの仕事を始める
  • どう考えてもいい相手ではないのに共依存してしまう二人の歯がゆさと人間臭さが素晴らしい
  • 古き良き日本の風景が味わい深い

あらすじ

いやーこれはあまり期待していなかったせいもあってか、なかなか予想外に良かったです。今の日本ではおそらく描けない話であろうところも妙な郷愁を誘ってたまらなかったですね…。

舞台は売春防止法施工直前の東京。

所持金がほぼ底をつきかけているにも関わらずタバコを買ってこいと命じるぐらいのダメ人間、義治(三橋達也)。その彼のうだつの上がらなさに嫌気が差しつつも別れられない女、蔦枝(新珠三千代)。

二人は定住もなく東京中をさまよってその日暮らしで生きていましたが、その後についてどうしようかと尋ねてもはっきりしない義治についに業を煮やした蔦枝はバスに飛び乗り、後を付いてきた義治とともに「洲崎弁天町」のバス停で降ります。

そこは洲崎川を挟んだ先に「洲崎パラダイス」と呼ばれる赤線地帯がある街で、その入口のすぐ目の前にある居酒屋に飛び込んだ二人は、一人で店を切り盛りしている女主人・お徳(轟夕起子)になんとか働かせてくれと頼み込み、ひとまずの寝床を得るのでした。

しかし店で必要とされているのは蔦枝のみだったため、お徳のツテで蕎麦屋の仕事を紹介された義治は蔦枝と離れたくないとゴネながらも渋々働き始め、そちらの方で住み込みのご厄介に。

かつての経験を活かしてか、客の心を掴んで居酒屋繁盛に貢献した蔦枝はある日一人の羽振りのいい男とともに寿司を食べに外へ。

彼女に会いに来た義治はそれを聞いて居ても立ってもいられずにあちこちの寿司屋で蔦枝を探して回りますが見つかりません。

夜遅くになっても帰ってこない蔦枝。心中穏やかでない義治。

この二人、どうなるんでしょうね…!

ボーダーラインでもがく二人

Wikipediaによると「義治と蔦枝は夫婦」と書いてあるんですが、劇中その説明はなく、僕も観ている間は「別れたくても別れられない腐れ縁カップル」なのかと思って観ていました。

夫婦だとまたちょっと見え方が変わってくるような気もしますが、いずれにしてもはっきりせずにウジウジクサクサ系男子の義治がまーイライラさせてくれる前半戦。

こんなやつがなんで(器量の良いパートナーがいることも含め)生きていけんの!? と不思議で仕方なかったんですが、後半になると今度は蔦枝の方が人としてどうなんだ的な感じになってくるのが面白いところ。

つまりはどっちもどっちなんですよね…。

最初は完全に女性上位のカップルに見えたのが、実はどっちもどっちで強烈な“共依存”の関係なんだとわかってくると「この二人、なんだかなぁ…」とうんざりしつつもすごく羨ましく見えてきてしまい、そこも含めていろいろ考えてしまう物語でした。

昭和らしい人情噺ではあるので、あまり細かく個々人の気持ちをあーだこーだ説明するような映画でもないしそんなに書くことも無いんですが、ただフワッとしたイメージで申し訳ないんですが「昭和の人情噺」という字面から受けるベタな感覚とは少し違う、なんとも言えない味があって良い映画だなとしんみりしちゃう“なにか”がありました。

それはもしかしたら「洲崎パラダイス」(看板のデザインが最高にレトロで素晴らしい)のたもと、つまり「赤線地帯の手前」という立地がすごく大きかったのかなとも思います。

ちなみに僕も詳しくないんですが、「赤線地帯」というのはいわゆる“遊郭”が多い…今で言う吉原みたいな場所のイメージでしょうか。事実当時は吉原か洲崎か、ぐらいの都内有数の歓楽街だったようです。

で、「洲崎パラダイスに行く」ということは、つまり男性であれば「女性を買う」、女性であれば「体を売る(商売に就く)」ことを意味するわけです。

特に後者の意味で、そこには明らかに「落ちるか留まるか」のボーダーラインを思わせる場所に見えるんですよね。

何度も書いている通り、僕は風俗嬢という仕事が悪いとはまったく思っていませんが、しかしそういった個々人の感覚を除いたとしてもやはり「一度入ったら戻れない」ような、自分の人生における大きな分水嶺の一つになる決断だろうとは思うんですよ。風俗を仕事に選ぶというのは。悲しいかなそこから転落していってしまう話もよく聞くし、それを食い物にする存在がいることもよく聞くだけに。

同時にそれはある種のセーフティネットでもあって、言ってみれば女性における最終手段みたいなニュアンスも少なからず含まれているんだと思います。「ここを渡れば最後」、その前と後では人生が変わってしまうぞ、と。

その“際(きわ)”に位置する居酒屋を舞台に男女の物語が紡がれるのは、その場所と同様になんとも言えない危うさをはらんでいて、そこにすごく惹きつけられたような気がしてならないんですよ。

悪い例えかもしれませんが、溺れかけた人が必死に陸に上がろうとする「生きていくための本能」みたいなものが垣間見えるような気がして。

しかも最初にサラッと触れられる設定として、蔦枝はかつて娼婦をやっていたというのがあります。義治も「また戻るのか」と気が気でない。

そんな危うい道を軽やかに進む蔦枝と、ウジウジしながら心配する義治の姿がなんとももどかしくもいじらしいというか。

本当に観ていていろんな感情を抱かざるを得ない、しみじみ味わい深い映画だなと思います。

弱さに依存できる羨ましさ

展開的に「それはどうなの」と思う部分もいろいろあったんですが、しかし結局「男女のことは当事者にしかわからない」で納得せざるを得ない面もあるし、今だったらこんな二人は成り立たない…ように見えて実は普遍的で今もいそうな気もするし、共依存の男女ってきっとこんな感じなんだろうなと思ったり。

最初は「しっかり者なのになんでこんな男と一緒にいるの?」と思った蔦枝でさえ、人は一人で生きていけないことをはっきり体現してしまうところも考えさせられるし、二人とも意識していなくても自分の弱さに忠実で、その弱さに依存できる生き方なのがとても羨ましく感じました。

そしてその弱さを支えてくれるのが義治にとっての蔦枝であり、蔦枝にとっての義治であるという点も。

終わってみればお似合いすぎる二人、序盤の「なんで一緒にいるの?」からの(目線)大逆転劇がすごい。面白いですね、これは…。

僕も今からでも依存できる女性を募集していこうと意を強くした次第です。金銭面でも依存したい。(一番のダメ人間によるレビュー)

洲崎ネタバレス

一応ネタバレになってしまうのでここに書きますが、まあなんと言っても女将さんがいい人すぎて、この人だけは幸せになってほしい(義治と蔦枝は別にどっちでもいい)と思いながら観ていたんですが…この結末だけは悲しすぎますよ。女将さん…。

ずっと待っていた旦那が帰ってきたにも関わらず帰らぬ人となってしまい、果たして彼女の人生はなんだったのかと。

この先その「旦那が帰って来るかもしれない」という希望すら無くなってしまった彼女は生きていけるんだろうか…とものすごく心配でした。

面倒見てやった二人は(おそらく)恩返しもせずに洲崎からいなくなっちゃうし、ただ一人割を食ってこの先も一人洲崎パラダイスの入口で商売をやっていく…って悲しすぎてもう…。

映画としては描かれなかったものの、将来的にうまく行った二人がきっちり恩返ししに来て欲しいけど。どうなんでしょうね…。

もう一人、玉ちゃんも気の毒すぎる。

あんないい子いないでしょ!? かわいいし。蔦枝より絶対玉ちゃんでしょうよ…。

しかし二人の関係は二人にしかわからない、なんですよね…。玉ちゃんも幸せになってほしいわ…。

このシーンがイイ!

すごいどうでもいいシーンなんですが、蕎麦屋のラジオから「かわいい魚屋さん」が流れるシーンがあるんですよ。

この曲、僕が幼少の頃に家の近くにやってくる移動販売の魚屋さんが流してた曲で、数十年ぶりに「うおおおおおこの曲は!!」と思い出して懐かしさに打ち震えました。こんな昔からある曲だったのか、と驚き。

ココが○

上にいろいろ書いた通りです。この手の昭和メロドラマにこんなにグッと来るとは思わなかったなぁ。

ココが×

僕としても主人公の二人はどっちも好きではないタイプだったので、そこが引っかかる人はダメかもしれません。でも憎めないんだよな…。

MVA

玉子役の芦川いづみが非常にかわいらしくて素敵でしたと残しつつ、この方にします。

轟夕起子(お徳役)

二人が世話になる居酒屋「千草」の女主人。

もうめちゃくちゃいい人なんですよ。いい人すぎて心配になるぐらい。昭和の人情丸出しです。今じゃこんないい人見つからない気がする。

それだけに幸せになってほしいともう途中からずっと女将さんに感情移入してました。義治と蔦枝はどうでもいいよと。

その結末についてはもちろんここでは書きませんが、まあこの「昭和の母」っぽさを感じさせる風貌といい、なんとも言えない存在感が素晴らしかったですね。

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