映画レビュー0433 『左きゝの拳銃』
今年はいい加減録り貯めてあるBSの映画をさばくぞ、と息巻いているわけですが、もう録画した時期が古い映画に関してはなんでこれを観ようと思ったのかがまったくわからないような映画も結構あったりするわけで、今回はその映画の一つ。またも西部劇です。
左きゝの拳銃

それなり。
かの有名な、僕ですら名前は知っている「ビリー・ザ・キッド」の人生を脚色も交えて映画化した作品。これは想像ですが、タイトルの「左きゝの拳銃」というのは、「左ききのガンマンと言えばビリー・ザ・キッド」的な、アメリカではいまだに西部開拓時代の象徴の一人である彼を表す一つの熟語みたいなものなんでしょう。メキシコで「さっさと終わる」ことを「マルちゃんする」と言うのと同じような感じでしょう。たぶん。※割といい加減な情報なので鵜呑みにしないでね
そのビリー・ザ・キッドを若かりし頃のポール・ニューマンが、そしてヒロインのセルサをリタ・ミランというどう見ても梅宮アンナにしか見えない女性が演じています。
さて。
まだ西部劇自体そんなに本数を観ていないのであまり的確な言い方ではないかもしれませんが、いかにも西部劇のイメージを踏襲した、ある意味安心できるような作りと、(アメリカでは)伝説の人物であるビリー・ザ・キッドの人生を描いたストーリーということで、さぞかし当時のアメリカではウケたんだろうな、と思いますが、やっぱり日本人としては西部劇そのものにさしてシンパシーを感じないこともあり、今の時代に生きる人間が観たところで、どこをどうひねっても「超おもしれぇ!」とはなりにくいかな、と。
んー、なんでしょうか。例えるなら、アメリカ人が水戸黄門を観る感じ、ですかねぇ。
やっぱりビリー・ザ・キッドその人に対する思い入れもなければ、西部劇にもさして強い関心や知識があるわけでもないいわゆる普通の日本人としては、そこまでのめり込む要素ってないのかなと。ましてや古い映画なのでキャスティングへの興味も薄いし、映画の作り自体も(良くも悪くも)シンプルなものなので、よほどこの辺の要素に食いつく人でない限りは特に観て何かを受け取る感じもないです。
確かに「ビリー・ザ・キッド」その人については正直名前しか知らないレベルの知識だったので、「へぇ~、そういう人だったんだ」というような思いはありましたが、それ以上の感想は特に無く…。どうしてもベースに「あのビリー・ザ・キッドの映画か!」みたいな感覚が持てるであろうアメリカ人とはちょっと違う視点になるのは致し方ないのかな、と。
もっとハードボイルドな内容であったり、裏切りや復讐がドロドロ深堀りされていればまた違うのかもしれませんが、恩人はオープニング近くであっさりと死んじゃうし、その後の展開もお決まりのような内容なので、イマイチ深さに欠ける感が。
とは言え、シンプルであるが故に鼻につくいやらしさもないし、いかにも「古きよき娯楽映画」っぽさもあるので、観る価値無し、とバッサリ切り捨てる感じでもないです。
ポール・ニューマンの若い頃であったり、娯楽映画の走りとしての西部劇を勉強する、みたいな目的があったりするのであればちょっと観てみてもいいかもしれません。
ただ、僕としては想像以上に何も入ってこなくて、単純に「馬ってすげーなー」ぐらいのことしか考えてませんでした。倒れたりとか大丈夫なのかな、って。
このシーンがイイ!
特になかったんですが、強いて言うならエンディングですかねぇ。間をたっぷり取りつつ、ポール・ニューマン渾身の演技、という感じ。
ココが○
復讐と友情、そして破滅という感じで、それなりにオーソドックスなテーマは描かれていると思います。
なんとなくですが、「スカーフェイス」を思い出す、そんなストーリーでした。
ココが×
やっぱりどうしても「今あえて観る意味があるのか」と聞かれると辛いものが。懐古主義的な見方ができないのであれば観なくても構わない気がします。
MVA
おそらく自分が観た中では最も若い頃のポール・ニューマンだったんですが、想像以上にヤンチャでチャラいイメージでビックリ。「未来は今」の頃、爺さんになってからのほうがかっこいいという不思議。そのチャラさ故、演技的にも特に好きでもなく、かと言って他に特に記憶に残る人があまりいない中…消去法的にこの人。
ジョン・デナー(パット・ギャレット役)
まあ、ある意味で準主役なので、無難なチョイスというか…。オッサンいいよね、という程度の感じで。


