映画レビュー1036 『殿、利息でござる!』
今日は久しぶりの邦画ですが、いつも通りのネトフリ終了系です。
これ公開時からちょっと観たいなと思っていたのでちょうどよかったなと。
殿、利息でござる!

まさかのじんわり涙しちゃういい話!
- 厳しい“お勤め”を何とかするべく前代未聞の奇策を生み出した男たち
- 殿様にお金を貸した利子で費用を賄おうと考えるも当然一筋縄では行かず…
- ある意味ジャケ写詐欺で思いの外感動的なお話
- しかも実話
あらすじ
これ本当にジャケ写詐欺だと思うんですよ。公開当時も軽めのコメディなのかなと思ってたんですが、確かに笑いも織り交ぜて観やすいものの、そのイメージよりももっとちゃんとした感動的かつ普遍的な価値を描いたとても良い話でした。
ああいうビジュアルにしないと客が入らない、目を引かないからああしたんだろうと思うんですが、となると「洋画のポスターが日本だけダサい問題」と同様、逆説的に我々一般客層の見る目の無さを突きつけられている気がして、もうちょっと受け取る側のレベルも上げていかないとどうにもならないな、と思います。
これ、引いては「洋画の吹き替えを素人同然の芸能人にやらせてプロモーションに活用する問題」ともつながっている話だし、本当に一般消費者の映画に対する理解度の低さがいろいろ不幸を生んでいる話だと思うんですが、ただこの話を掘り下げると長くなるのでとりあえず「この映画はジャケ写詐欺だよ」とだけ強調しておこうと思います。
舞台は仙台藩領内の宿場町、吉岡宿。ここは田舎の小さな町なんですが、宿場町間での物資の輸送を行う「伝馬役」を課せられておりまして、これがエラい大変なわけですよ。
詳しくはわかりませんが、この「伝馬役」は、お偉いさんの遠征に合わせて物資その他をともに運ぶ必要があり、その運び手として馬と人材を工面し、次の宿場町まで無事送り届けなければいけない…というお仕事のようです。
当然お金もかかることなので、普通であれば藩からある程度の費用負担があるらしいんですが、この吉岡宿は藩の直轄領ではないためにそれもなく、費用を自費で賄う必要があり、そのおかげでとにかく疲弊してるわ夜逃げも多いわで崩壊寸前なわけです。負のスパイラル系。
おまけに一度二度の話ではなく定期的にあるようなので、そりゃもう行く末はわかりきっているようなもの。現代で言えば社長に「毎日俺の荷物を会社まで運べ、ただしお前の金で」って言われてるようなもんですよ。は? ガソリン代ぐらい出せよ、みたいな。
そんな藩の窮状を直訴すべく、造り酒屋の当主・穀田屋十三郎(阿部サダヲ)はお代官様に訴状を渡そうとしますが、それを京から若い奥さんをもらって帰ってきたばかりの茶師・菅原屋(瑛太)にすんでのところで止められます。そんなことやったら斬られちゃうよ、と。
しかしこのままでは穀田屋さんの言う通り、吉岡宿はどうにもならない…。ある夜今で言ういわゆる居酒屋的なところで偶然顔を合わせた二人、「何かいい方法はないんですか!?」と穀田屋さんに詰められた“吉岡宿一の切れ者”菅原屋は、最近お上がお金を必要としているウワサを元に、「銭をかき集めてお上に貸し、その利子を伝馬役の費用に充てるのはどうでしょうか?」と奇策を提案します。
とは言ってもとんでもない額の銭が必要で、もし集められたとしてもお上がその案を飲む保証もなく、夢物語にすぎないと“酒の席の話”で終わったと思っていた菅原屋ですが、ある日穀田屋が自らの叔父(きたろう)を“出資者”として連れてきたところで「あ、本気にしてたんだ」と行動を開始させられる羽目に。
まあそうは言っても肝煎(町長のような人・寺脇康文)が反対するでしょう、と相談しに行くと思いの外乗り気、でも肝煎がOKでも大肝煎(県知事のようなもの・千葉雄大)に断られちゃおしまいだしねぇ、と話に行くと逆に感激される始末。
こうして後に引けなくなった菅原屋、やむなく町を巻き込んで出資者を募り始めますが…果たしてどうなることやら。
今の時代だからこそ知るべき話
ジャケ写詐欺の続きですけどね、どっからどう見ても阿部サダヲ主役のように見えますが実際は瑛太が主役だと思います。まあ阿部サダヲももう一人の主役だしどっちでもいいんですけどね!
ということで、僕はてっきり観るまでは「お上にお金を貸してもらった利息でがっぽり儲けてウハウハな商売人」のお話なのかと思っていたんですが、実際は「お金を貸して町を救う」ために奔走する百姓(商売人もいますが大きな意味で“武士ではない者たち”的なニュアンスのようです)の話であり、メインはお金を集めるまで、つまり「計画が実行に移せるのかどうか」が中心のお話です。全然金持ちお気楽路線のお話ではありませんでした。
わかりやすく言えば「経済版七人の侍」と言ったところでしょうか。当然人数も違うし映画の雰囲気もまったく違いますが、「町を救うために自らを犠牲にする」人たちの話であり、そうして描かれる価値観の素晴らしさには舌を巻きましたね。まさに今こそこういう話をいろんな人たちが知り、他者のために何ができるのかを考えるようにならないと、どんどん日本はおかしくなっていってしまうのではないかと思います。新自由主義クソくらえ、ってね。
ちなみにこの話には原作があるんですが、その原作についても「この話を広めて欲しい」と原作者に送られた手紙がスタートだったそうで、「誰かに伝えたくなる良い話」という意味では実に見事な映画化だと思います。原作は読んでないけど。でもニュアンス的にきちんとその熱のようなものを引き継いでいるのが素晴らしい。
さらに原作から映画化の流れも色々と熱のこもったお話になっているようなので、今時珍しい成り行きがこの映画の内容にまた見事に合致しているのがすごい。この辺り興味がある方は調べてみてください。
いろんな人が知ってほしい話
コメディ仕立てで観やすいのも素晴らしいし、また当たり前ですが出資者全員が“聖人”ではないリアリティも素晴らしい。こういうやついるよな〜的な楽しみもありつつ、でも最後に目指すものの正しさを考えればその力も必要で、これもまた今の時代に欠けがちな“清濁併せ呑む”強さにも見えます。
本当に今の日本に対する強烈なメッセージが込められている映画だと思うんですが、そう感じさせない軽さは観やすい反面“考えさせる”動機を弱める危険性もあり、コメディ仕立てなのは諸刃の剣かもしれません。
が、おそらく真面目な時代劇にしてしまうと観る人は減る(自分も観るかどうか怪しいところ)だろうし、そもそも新自由主義的な立場に立つ人間はこういう話に感化されたりしないんだろうな、と少し悲しくもなりました。ノブリス・オブリージュぐらい考えろよと。ただまあ、映画とは関係のない話です。
結局は「余裕のある人間が他人に対して力を行使するかどうか」は世論(人の目)の部分も大きいと思うので、そういう意味でもこういう話を知る人が増えれば増えるほど、世の中全体はきっともっと良い方向に行くと思うんですよね。
そうなることを期待して、この映画はいろんな人に観て欲しいと思います。
このシーンがイイ!
なにせ訃報直後だったこともあり、竹内結子演じる女将さんが一肌脱ぐシーンはグッと来ましたねぇ…。
ココが○
時代劇はどうしてもとっつきにくい印象がありますが、そのとっつきにくさをコメディタッチで埋めてくれているのがやはり上手いところなんでしょう。
役者陣も現代劇で見慣れた方々なので観やすさに貢献していたと思います。
あとは何と言ってもエピソードそのものが素晴らしい。
ココが×
特にこれと言っては無いかなぁ。時折垣間見えるわざとらしさのようなものも、コメディだからこそ味になっている感もあってその辺りお上手。
MVA
皆さんとても良かったです。
阿部サダヲはもっと笑わせに来るのかと思っていたんですが、非常に真面目な人物でそこがとても良かった。
あと映画では初めて観たんですが、寺脇康文は結構昔(SET隊の頃)から注目していた人なので妙な感慨深さが。同じように堀部圭亮もずっと観ていた人なのでグッと来たんですが…やっぱりタイミングもあってこの人かな…。
竹内結子(とき役)
居酒屋的な町民憩いの場・煮売り屋「しま屋」の女将。
この映画を観たのは最初に書いた通り、「元々観たかった映画がネトフリ配信終了のため」だったんですが、たまたまこれを観た直前に彼女が亡くなってしまったため、「ああ、竹内結子出てたんだ…」となんとも複雑な気持ちになりました。
しかし“女将”らしいきっぷの良さと、作中随一の美人っぷり、本当につくづくもったいないし悲しい。こんな素敵な人がなぜ…と考えますが、しかしそれを問うのもまた酷なんでしょう。
とても素晴らしい演技でした。ご冥福をお祈りします。