映画レビュー1170 『リプリー』
これもずっと観たいと思いつつ延び延びになっていたんですが、JAIHOで公開&そろそろ終了と言うことでちょうどいいタイミングかな、と観ました。
リプリー
『太陽がいっぱい』
パトリシア・ハイスミス
1999年12月25日 アメリカ
140分
アメリカ
JAIHO(Fire TV Stick・TV)
より情感豊かに、よりサスペンスフル。
- とっさの嘘で大富豪の息子の友人を装った結果、いい“儲け話”のオファーが
- 嘘の友人関係から別の感情が膨らみ、やがて後に引けない状況へ
- 「太陽がいっぱい」と同原作、かつより原作に忠実な作り
- 役者陣もより物語にマッチしている…気がする
あらすじ
あのアラン・ドロンの出世作「太陽がいっぱい」と同じ原作を映画化したものですが、「太陽がいっぱい」よりも原作に忠実だそうでなるほどいろいろ違いました。が、実際問題「太陽がいっぱい」もそんなに覚えていないという…。
冴えない孤独な青年のトム・リプリー(マット・デイモン)は、ある日借り物のジャケットを着て代役でピアノを弾いていたところ、出席していた大富豪のグリーンリーフ(ジェームズ・レブホーン)に「息子と同じ大学だね?」と尋ねられ、その場しのぎで話を合わせたところ気に入られてしまい、なんやかんやあって「$1000やるから地中海で遊び呆けている息子のディッキーを連れ戻してきてくれ」と依頼されます。
元々ヨーロッパには行ってみたかったこと、そして何より報酬も魅力的だったために依頼を受けたトムは単身イタリアへ。
道中、グリーンリーフ同様に大富豪の名家の令嬢・メレディス(ケイト・ブランシェット)と知り合い、これまた咄嗟に嘘をついてディッキーのフリをしてお近付きになりつつ、目的地へ到着。
問題のディッキーを発見したトムは“発端”と同じく「同級生のフリ」をして近付き、ディッキーもあまり周りにいないタイプだったトムを気に入ったためにしばらく同じ家で過ごすことに。
「ミイラ取りがミイラになった」トムはグリーンリーフからディッキーに送られる莫大な“小遣い”のおこぼれに預かりつつヨーロッパの生活を満喫しますが、次第にトムを疎ましく思い始めたディッキーによって徐々に居場所を無くしていき…おっとあとは観てチョーダイだぜ。
「太陽がいっぱい」とは同原作ながら別物
と言うことで不朽の名作「太陽がいっぱい」の亜種。リメイクでもないし続編でもないし、今風に言うなら「リブート」的な感じでしょうか。
原作こそ同じものの、内容的にはだいぶ違っていてあくまで別物の映画として観て問題ありません。大枠の流れ(一応は伏せます)は同じですが、その前後もだいぶ違うし、本当に別物でした。どっちも面白かったけど、どちらかと言えばこっちの方がより深みがあって好みです。
とは言え僕自身「太陽がいっぱい」をほとんど忘れていると言うのも見逃せない事実です。忘れてるから新鮮、みたいな。アテにならないレビューだぜ…!
ほとんど忘れつつ比べてみれば、なんと言っても主人公のトム・リプリーについてはマット・デイモンの方が断然合っている気がしましたね。もちろんアラン・ドロンも好きですが、あれだけの美男子になってしまうと「孤独で貧しい青年」と言う設定自体に無理が感じられるぐらい顔面が強すぎる。こんだけ顔が良けりゃウハウハで金もどうにかなるだろうよ、みたいな。
一方マット・デイモンに至っては、若かりし頃のやや間抜け面感ある風貌がまさにトム・リプリーにピッタリ。凡庸なようでいてある種の才能を持ち合わせているイメージを上手く演じていました。さすがです。
またボンボンのディッキーについても、「太陽がいっぱい」の“完全に脇役”だったモーリス・ロネと違い、ダブル主演的に見事な遊び人を演じたジュード・ロウが素晴らしい存在感を発揮しています。
展開についてはネタバレ的に言及を避けますが、ある意味単純でわかりやすかった「太陽がいっぱい」の諸々と違い、より感情的に複雑な世界を見せるこちらの方が奥行きを感じる物語になっていて、「普通の男が段々と後に引けなくなっていく」姿がとても印象的で面白かったですね。
エンディングに関しては、オチとしての気持ちよさこそ「太陽がいっぱい」の方が上だった気がしますが、こちらはよりズーンと響く重みのあるエンディングになっていて、その終わり方もしみじみ良い。「太陽がいっぱい」は娯楽としてよくできていた映画だと思いますが、こちらはより“罪”の意識を強く感じさせる、まさにサスペンスとして上質な映画になっていると思います。
豪華キャスト故の奥行き
正直メインの展開については別に書いちゃっても良いような気がするんですが、とは言えそれも知らないで観たほうが面白いことは間違いないので避けておきます。となるともう書くことがないよ、っていうね。
差し障りのない点で言えば、やっぱり一般的にはどうしても「アラン・ドロンの映画」と思われがちな「太陽がいっぱい」と違い、こちらはマット・デイモンにジュード・ロウ、グウィネス・パルトローにケイト・ブランシェット、さらにフィリップ・シーモア・ホフマンまで出てきて今観ても豪華だね、というのが嬉しいところかなと。
当然ながらその豪華キャストに意味があるように各人しっかり役割があり、それ故より立体的な物語になっているのもポイントです。「太陽がいっぱい」はどうしてもトムとフィリップ(今作におけるディッキー)の2人+マルジュの映画、という印象が強かったですからね。
それが悪いと言うわけでもなくて、絞ったからこそわかりやすく面白いとも言えると思うんですが、物語をよりサスペンスフルに展開するのであればこっちの方が向いているような気がするわけですよ。
「太陽がいっぱい」はトム(アラン・ドロン)がひたすら悪いやつだなと思った印象が強いんですが、こっちのトムは悪いやつなんだけど「道を誤ってしまったがために不可逆的に進んでしまっている」感覚が強く、それはつまり自分ももしかしたらそう言う生き方をしかねない生々しさにつながっていて、そこがまたすごく良かったです。
若干長めではありますが、それだけしっかり見せてくれる重めの良作です。
ちなみに「太陽がいっぱい」はその後のトム・リプリーを描いた続編的な映画として「アメリカの友人」がありますが、「リプリー」では同様の立ち位置に「リプリーズ・ゲーム」があります。
「アメリカの友人」ではアラン・ドロンがデニス・ホッパーになっちまったぜ…と時の残酷さを味わいましたが、なんと「リプリーズ・ゲーム」のトム・リプリーはマルコヴィッチが演じているらしく、それはそれで変わりすぎだろと突っ込みつつも観てみたい。いつか観ます。
このシーンがイイ!
ラストシーン良かったなぁ…いや良くはないんだけども…。終わらせ方が見事でしたね。
ココが○
複数の主要人物によってトムの綱渡り的な立ち回りが浮かび上がる構成は非常に巧みで、終始嫌な緊張感が楽しめます。
なんでしょね、悪いやつなんだけどやっぱり主人公だし彼の悲しみもわかるから、どうしてもトム目線で観ちゃうんですよね…。その辺りの感情移入のさせ方もお上手。
ココが×
正直追う側がポンコツすぎるだろと思わなくもない。まあ作り物にそんなマジレスするのもアレなんですけどね…。もうちょっとうまく展開させて欲しい気はしました。
MVA
今や「ゴージャスお姉様」的イメージのケイト・ブランシェットがすごくかわいくてビックリ。
彼女も良かったしジュード・ロウも良かったんですがやっぱりこの映画はこの人でしょう。
マット・デイモン(トム・リプリー役)
主人公。なんだかんだ生きるのが上手い。
上にも書いた通り、アラン・ドロンよりも普通な感じがそれっぽく、また垢抜けていったり悩んだり冷酷だったり諸々がお上手。さすがです。
あとやっぱりフィリップ・シーモア・ホフマンがねー。そこまで登場シーンは長くないんですが、ポジションといいキャラといい、まさにこの人らしい絶妙な塩梅でした。この人の存在こそが「太陽がいっぱい」よりも深く見えるいやらしさを感じさせてくれたとかなんとか言う噂です。亡くなってしまったのが本当に惜しい…。