映画レビュー1017 『ライフ・イズ・シネマ』
本日も例によってネトフリ終了間際シリーズです。
「13th」を観て以来、にわかにドキュメンタリー熱が高まってきたので観てみることにしました。
ライフ・イズ・シネマ
ピーター・スヴァテク
ピーター・スヴァテク
マッシモ・ボットゥーラ
Antoine Binette Mercier
2016年9月17日 スペイン
93分
カナダ
Netflix(PS4・TV)

それだけでは解決しないことも込みで描いているのが◎。
- 一流シェフによる食品廃棄物の有効利用と貧困対策を兼ねた一石二鳥の計画
- 食べに来る人も働く人も問題を抱えた人たちが多く、それ故に計り知れない社会的な意義がある
- とは言えこれだけで解決する話でもない、ということを当事者に語らせる大事さ
- 映画としての引きの強さはそれなり
あらすじ
毎度のことですが、僕の採点は「(観ているその最中に)映画として純粋に楽しめたかどうか」という単純な指標のため、ドキュメンタリーはよほど知的好奇心をそそられるようなものでもない限りはどうしても点数が低くなりがちで、今回もその流れで低めに見えますが決して「観なくていいよ」という話ではなく、「面白いかと言われれば微妙だけど観る価値はある」映画であることはまず最初に書いておきたいと思います。
2015年のミラノ万博開催前、有名な一流シェフであるマッシモ・ボットゥーラによって「ミラノ万博で出た廃棄食材を利用したレストランを作る」という計画が実行に移されます。
これは日本も同様ですが、大元の問題として「まだ食べられる食材が大量に廃棄されている」という問題の解消に加え、それによって作った料理を無料で提供することでホームレスのような人たちに温かな食事を食べてもらって貧困対策も兼ねましょう、というもの。
本編で明確に語られているわけではありませんが、そこにさらに「通常とは別の創意工夫を凝らすことによって料理人としてもう一歩成長する」きっかけにしよう、という意図もあったのではないかなと思いますが、そんないいことずくめのプロジェクトを追ったドキュメンタリーです。
別の不満は進んだ証
オープニングに出てくるのが主要登場人物の一人であるホームレスの女性なんですが、そのことからもわかる通り、メインで追うのは「レストランにやってくる人」が多く、シェフたちの時間は控え目に感じました。
時間的な配分は細かく観たわけではないのでわかりませんが、シェフによる意欲的な挑戦を深堀りするというよりも、このプロジェクトを通してここに集まる人たちの日常を捉え、そこから見えてくる問題を観客に考えるよう促す作りの方が主体のイメージ。
またシェフもそれ以外の人もそれなりの人数を取り上げていて、印象としてはオムニバス的に各人メインの映像をつなげつつ、それらを俯瞰するシェフ(マッシモ・ボットゥーラ他)の話で包括して一本のドキュメンタリーにまとめあげたような印象です。
言うまでもなく非常に意義のある素晴らしい試みで、それは当然本人たちが一番認識しているためか参加するシェフたちは皆一様に素晴らしく、どこか誇らしげにも見えて高揚感すら感じるものでしたが、反面ここに通う貧しい人たちは、感謝しつつも「食べるだけでは解決しない」ことをはっきりと訴えていたのが印象的でした。
正直「いや食えるだけいいじゃん」とか「それは言う場所(相手)が違うでしょ」とか思う面もありましたが、ただ当人たちからすればそんな境界はおそらく関係ないんだろうし、生物として最も根幹の“食べる”ことがクリアできたからこそその先について目を向けることができるようになった(からそれに対する不満も出てきた)のかもしれないと思うと、これはなかなか深いドキュメンタリーなのではないかなと思います。
きっとこのレストランが生まれる前に取材をすれば、「食べるものがない」不満を延々と語っていた可能性もあると思うんですよ。よくゲームでもあるじゃないですか。不満をアピールするNPCに解消するアイテムを渡したら今度は別のものをくれと言いだす、とか。ああいうのと同じなのではないかなと。
優先順位としてまず食は最初に来るはずで、その次に“寝る場所(住)”の問題があるとすれば、それが見えてくるのは“食”が満たされた後なんだろうと思うと、一概に「タダ飯食らっといて文句言ってんじゃねぇ」と非難するような話でもなく、むしろこれは(ある特定の個人の)一つの問題が解決して次のステップに移れたことを示すドキュメンタリーだったのかもしれない、と思いました。
漫然と観ていると「(素晴らしい活動なのは間違いないけど)結局食事を提供した程度では思っていたよりも感謝もしないし、シェフ側の自己満足に近いものなのでは」という気がしてもおかしくないぐらいに割と率直にホームレスたちの不満も伝える内容の映画なんですが、ただ何事も一気に全部解消なんて難しいのは当然の話(特に貧困絡みは)だし、「実は他の不満に目が移った時点で貧困対策としても(食という面以上に)多大なる貢献をしている」のではないかと気付かされるような。
例えば僕の話で言うと、現状経済的にさほど余裕もないので「有機ELのデカいテレビが欲しい」とか「車買い替えたい」とか「小物を買うならファーストチョイスは百均ではなく無印にしたい」とかいろいろ思うんですが我慢しているわけですよ。
でもそれもまずは「毎日食べることに困らずに寝る家もあって仕事もしている」というベースがあってこその話であって、そこが欠けたらそっちに願望が移るのは至極当然の話ですよね。家が流されたらテレビが欲しいだの何だの言う前にまず寝る場所をどうするかから始まるわけで。
まさにその順番、流れをはっきりと見せることで、彼らが一つ先に進んだことを示したプロジェクトなんだと思うし、それ故に“本人たちに響いていないようで”実はすごく響いている、貢献しているんだというのがすごく尊い話だなと思います。
何せ本人たちがそのことに気付いていないので、観客からすれば「贅沢言うな」と思いがちなんですが、実際は字面で知る以上に意味のある、価値のある活動だったんだろうと思えたし、きっと当事者たちも余裕ができた頃にそのことに気付くんでしょう。そうであって欲しいとも思います。
“看板に偽りあり”な部分をどう捉えるか
ただ映画としては(ドキュメンタリーなので当然ですが)地味ではあるし、食料廃棄の問題から入った割に貧困問題の方が圧倒的に比重が大きいので、もう少し食料廃棄面の方の話を知りたかった気持ちもありました。
まあでもタイトルがタイトルなんでね。邦題はちょっとニュアンスが違うような気もしますが、要は「廃棄食材を使った無料レストラン」の話ではなく、様々な人たちの人生を浮かび上がらせる舞台装置としてこのレストランのプロジェクトが使われているだけなのだと思えばそれもまた頷けるかなと。
でもだったらむしろシェフのパートもっと削っても良くない? って気もするし、少々中途半端な作りに見えなくもないのが惜しいところ。ただそうすると今度は興味を持ってくれる人も減るだろう(実際僕もレストランの話が中心だろうと思ったから観ました)し、なかなか難しいところです。
しかし結局はちょっとプロジェクトが偉大すぎて、それを観たいと思った人たちにとっては「看板に偽りあり」みたいになっちゃってるのが一番不幸な部分かもしれません。その上不満を垂れるホームレスの姿を見せられたら…これは少し危険な(誤解を生みかねない)ドキュメンタリーとも思えるし、いかにこの内容をきっちり受け止めて観客が考えられるかが問われる映画でしょう。
ただそこのところまで思いを馳せられるようにその不満を垂れる姿もきっちり入れたのだとすれば、観客を信頼したなかなかいい監督さんなのではないかなとも思います。
僕としてはあれこれ考えるうちにその辺りに気付けた面もあったので、やっぱりそう言う意味でドキュメンタリーを観るのもまた大事だなと改めて感じさせられました。
このシーンがイイ!
やっぱりホームレス夫婦が腐してるところだと思うんですよ。「住むところも無いと意味がない」ぐらいのことをはっきりと言っていて、僕もその瞬間はちょっとカチンと来たんですよね。それは違うんじゃないのって。
でも結局このシーンがあったからこそいろいろ上に書いたようなことを考えさせられたので、結果的に大事なシーンだったんだろうと思います。
ココが○
一つのレストランから様々な社会問題が見えてくる構図は見事ですね。「廃棄食材によるレストランの話が知りたい人に本当に知るべき問題を見せる」、言い方は悪いですが巧妙な罠のような作りのうまさはしてやられました。
ココが×
やはり映画として単純に面白いかと言われると微妙なところではあります。まあドキュメンタリーは娯楽映画とは別の回路で観るべきものなので、同じように評価するのも違うとは思うんですが。
真摯に作れば作るほど真面目すぎて眠くなるし、かと言ってキャッチーに作りすぎると今度はドキュメンタリーとしては胡散臭くなってしまうという…やっぱりちょっと普通の映画とは違うスキルが求められるジャンルですよね。
MVA
いつも書いてますが、ドキュメンタリーなので誰が良いとか悪いとかはあんまり関係がない(というか演技をしていない)ので該当者無しにしておきます。
しかし「エル・ブジ」でおなじみのフェラン・アドリアが出てきたのにはびっくりしましたね。あの人も参加していたとは…。ちなみに他に日本人も2人ほど出てきます。