映画レビュー0232 『ライムライト』
本日は「お恥ずかしながら初鑑賞」シリーズ。そんなシリーズあったんでしょうか。
お恥ずかしながら、チャップリン初鑑賞。
ライムライト

数々の名言に彩られた、ガラスの橋を渡るかのような危うい美しさ。
自らの不勉強さがお恥ずかしい限りですが、「チャップリン」という言葉のイメージから、いわゆるドタバタコメディ的なものを想像していたんですが、まったくそういう話ではなく、死生観に根ざした人間ドラマという印象。
もうスタート20分ぐらいからでしょうか…。自分でも理由がわからないまま、不思議で仕方がなかったんですが、普通に会話をしている男女なのにものすごく“危うさ”を感じるんです。
言葉として書くには僕の才能が足りないので非常に歯がゆいんですが、なんというか…ハラハラするんですよね。観ていて。
簡単に言えば、人を助けて生について語り、明るく振る舞うカルヴェロなのに、観てるとなぜか「この人、破滅していくんじゃないか…」という怖さがあるんです。
セリフにそういうニュアンスがあったわけでもないし、本当に自分でもなぜこう見えたのか、いまだによくわかっていませんが、その危うさ、怖さで序盤から画面に釘付け。これが「チャップリン」という人の個性なのか、と思わずにはいられませんでした。
もーね、普通に会話してる二人なのに、ボロボロ泣けるんですよ。本当に不思議で仕方がなかった。
元々「チャーリー」を観ていたからなのかもしれませんが、チャップリンという人は、言わずと知れた「喜劇王」とまで呼ばれた喜劇役者だけれど、その実内面にはいろんな葛藤や哀しみを抱えていて、それが人間的な深みに結びついていったんじゃないか…という簡単な人物像を僕なりに持ってはいました。
カルヴェロの「かつてはイギリス一とまで言われていた喜劇役者」という役柄が、そのチャップリン自身の投影であることは疑う余地もなく、きっと脚本から演技から何から何まで、自分自身を自分自身が表現する、その実現にすべてを注いでいた映画なんじゃないかという気がします。
もちろん、この当時もチャップリンはトップスターであったと思いますが、トップスターであるからこそのよくある話として、「才能が枯渇した時の怖さ」とか、「突如として自分のポジションを失ってしまう恐怖感」というものはおそらく彼自身にもあって、カルヴェロはその恐怖の投影でもあったんだと思います。
僕が感じた「危うさ」「怖さ」そして「儚さ」は、そのチャップリン自身が抱いていた、自分の名声に対する思いと、それを打ち破ろうとする心の戦いが表に出たものだったのかな、と…。
「ダメになるかもしれない」という恐怖と、「でも俺はまだまだやれる」という自分への鼓舞と、「こういう人間になりたい」という願望と…。そういう、“人間・チャップリン”の思いのすべてをぶつけた映画が、この映画なのかなぁ、と…。
そういう何か、まさに文字通り真剣な、鋭利な思いが刺さってくるような、圧倒される感じがありましたね…。
そもそも初の「素顔」の長編作品で、ライバルのバスター・キートンとも共演という、彼にとっても“何か”がある映画だったんでしょう。その意気込みが映画自体に現れていると思います。
僕はひねくれ者なので、古い映画でしかも名前が売れすぎた人のもの、さらに監督・脚本・主演に音楽まで担当してます、となるとあんまり期待できないんですよね。「売れてるから好き勝手やったんでしょ」って先入観を持っちゃうので。ところが、最初から不思議と惹きつけられたわけです。
ド頭の「酔っ払ってます」って演技だったり、途中途中で挟まる「喜劇やってます」っていう場面だったり、ああいうのはやっぱり僕にはあまり受け入れられないというか、「大げさで古いなぁ」という印象を抱かずにはいられなかったんですが、反面、日常シーンの“フツーっぽさ”が意外で観やすい感覚があったし、何よりセリフ一つ一つがものすごく秀逸で。
ちょっと大げさな言い方だったりもするんですが、でも「チャップリンが言うならなんかアリだな」って説得力があるんですよね。不思議と。初めて観た僕ですらそうだったので、これは彼が持つオーラだったりスター性だったり、天性の何かがそうさせるんでしょうねぇ。
序盤、死にたがるバレリーナのテリーからは、悲観的な僕にも共感できるセリフが多かったし、それに対して説得しようとするカルヴェロのセリフは、上に書いたようにチャップリン本人が自分の経験を踏まえて言っているようで、ものすごく重くて深い。自分自身への説教のようで、これがまたすごく響きました。
「人生は恐れなければ、とても素晴らしいものなんだよ。人生に必要なもの。それは勇気と想像力、そして少しのお金だ。」
「瞬間の命を生きればいいんだよ。すばらしい瞬間がいくらでもある。」
「死と同じように避けられないものがある。それは生きることだ。」
「世界中が舞台だ。そして、ここはひのき舞台だ。」
などなど、本当に枚挙に暇がありません。
僕がこうして切り取っただけでは「フン」と鼻で笑われておしまいですが、これはもうぜひ未見の人は観てみて欲しい。素顔のチャップリンが語る人生というものは、こうも重たくて、刺さってくるものなのか…と圧倒されました。
なんでここまで印象的だったのか、それもいまだによくわかってません。が、逃げっぽい言い方になっちゃいますが、こういう言葉を嘘臭くなく、観客に突き刺せる才能が“チャップリン”なのかな、と。
ああ、チャップリンってこういう人なのか。これは…すごいわ。と有無を言わせず納得させられる、そんな映画でした。
ごくごく個人的な印象で言えば、感覚的には「列車に乗った男」を観た時と似てます。他の映画には無い、言葉に出来ない“何か”があったな、と。
いやはやこれは…観てよかった。
このシーンがイイ!
上に書きましたが、うらぶれて大道芸人となった時にも、「世界中が舞台だ。そして、ここはひのき舞台だ。」と言える力強さ。このシーン良かったなぁ。
あとはラストシーン。展開自体は大体予想もしてたし、綺麗過ぎるかな、という気がしたんですが、でもやっぱり、あのラストシーンの絵は良かった。
ココが○
いわゆる「落ちぶれた」人であるにもかかわらず、プライドを保ちつつ、でも自分に自信があるからか、卑下にならない逞しさも持っている…というカルヴェロの人物像。これがまたカッコ良かった。
あとはもうセリフの秀逸さ、でしょうか。こんな名ゼリフだらけの映画、初めて観た気がする。
それと、この映画自体にはまったく関係ない話ですが、やっぱり「夜、集中して観る」ってすごく大事だな、と思いましたね。周りが暗い中で集中して観る、つまり劇場に近い環境にする感じですが、そうすると映画の自分への入り方が全然違う。やっぱり環境も大事だなぁ、とちょっと自分の映画の見方を反省しました。
ココが×
最後の公演で、割と長く、いわゆる僕が抱いていたステレオタイプな「チャップリンの映画」っぽいシーンが出てきます。これはこれでファンサービスだったり、彼なりの勝負だったんだろう、というのはわかるんですが、ナマイキなことを言わせてもらえばちょっとここは長かった気がします。
ただ必要なシーンなのもわかるし、この映画だけ観て云々言う場面でもないとは思うので、何もわかっていないアホの戯言レベルの話です。
MVA
途中、チャップリンが「誰かに似てるな~」と気になってたんですが、思い出したら「チャーリー」のロバート・ダウニー・Jrでした。それだけしっかりコピーしてたんだな、っていうのがよくわかりましたね。今思うと、ものすごく似てました。あの映画でのロバート・ダウニー・Jrのチャップリン。
それはさて置き、まあこの映画はもちろんこの人でしょう。
チャールズ・チャップリン(カルヴェロ役)
こうも哀しい喜劇役者っているのか、というぐらい素晴らしかったし、何よりやっぱり、セリフの説得力が今まで僕が観た映画の中で一番だったと思います。
あとテリー役のクレア・ブルームもすごくよかった。かわいくて強くて、でも弱さもあって。この二人だからこそのこの名作、って感じですねぇ…。


