映画レビュー0679 『NO』

これまた観たかったのがNetflixにあったので鑑賞。こういう「借りるにはちょっと地味だけど観たい」映画があるのは一番嬉しい。

NO

NO
監督
パブロ・ラライン
脚本
パブロ・ラライン
原作
『El Plebiscito』
アントニオ・スカルメタ
出演
アルフレド・カストロ
ルイス・ニェッコ
マルシアル・タグレ
アントニア・セヘルス
音楽
カルロス・カベサス
公開
2012年8月9日 チリ
上映時間
117分
製作国
チリ
視聴環境
Netflix(PS3・TV)

NO

国際的な圧力により、政権の信任投票が行われることになったピノチェト独裁政権下のチリ。独裁政権賛成派の「YES」陣営と独裁政権反対派の「NO」陣営は、それぞれ深夜の15分間だけテレビCMを流すことを許可された。「NO」陣営はフリーの広告マンであるレネにCM戦略を依頼、レネも最初は乗り気でなかったものの、次第にその仕事に傾倒し始めていく。

ちょっと複雑な気持ち。

8.5

2012年の映画ですが、ピノチェト独裁政権下当時の映像もふんだんに使用するためか、違和感がないようにかなり荒く、古く見える映像で全編構成された社会派映画。なので結構目が疲れます。まず。ここまでやらんでええやないの、と思いました。エセ関西弁で。

とは言えまずは概要だぜ!

主人公のレネはフリーの広告マン。(当時の)今風のCM制作に長けた人物のようで、(おそらく)独裁政権を嫌って国外に出ていたこともあって、どちらかと言うと先進的なセンスを持った人のようです。戻ってきた理由は劇中では特に語られませんが、今はチリでお仕事中。

当時のチリはピノチェトによる独裁政権下だったんですが、「民主化しろ!」という国際的な外圧が高まってきたことで、言わば出来レースで「わしら信任されとるで」と世界に見せつけてやろうと国民投票の実施を決定。この手の話は今でもたまに聞くような気がするので、割とリアリティのある話として観られるでしょう。そしてその国民投票に合わせ、ピノチェト政権存続派の「YES」陣営と、政権否定派の「NO」陣営それぞれに毎日15分間のCM枠が充てられました、というのがお話のスタート。

当時の空気感的にはほぼ諦めムードで、「どうせ投票したって不正で無かったことにされるんでしょ」的な意見が蔓延しており、不満を抱いている人は多いはずなのに、迫害を恐れることもあって大半が棄権を選択しそうな気配。

肝心の「NO」陣営自体も勝てるとは思っておらず、問題提起として15分のCM枠を使おう、という意識。ゴールまでは無理だけど、一歩も進まないよりは一歩だけでも、的な感じですね。どうせ深夜だし誰も観てねーよ、という意見も多数。時代的に微妙なところですが、おそらく経済的な部分も考えると一般市民のビデオ録画も難しい時代だったんでしょう。

ところが、それに異を唱える主人公・レネ。

「やるなら勝つつもりでやらないとダメだろ!」と説得し、“広告的手法”を駆使して希望を提示、「政権にNOを突きつけて明るい未来を作り出そう」というキャンペーンを展開していきます。これが功を奏し、焚き付けられた政権側はレネの上司をYES陣営の広告司令塔に任命、揚げ足取りに検閲に脅しにとあらゆる方法で妨害していく…というお話です。

広告によって国が動く、歴史が動いていく様を丁寧に追い、真面目な主人公の人柄も相まってかなりしっかりとした社会派映画としてなかなか良い映画でした。が、僕は観ていてちょっと複雑な気持ちではあったんですよね。

レネは最初乗り気ではなさそうだったことからもわかる通り、そこまでイデオロギー色の強くなさそうな人なんですが、彼が「NO」陣営に雇われたから良かったものの、これが「YES」陣営だったらと思うと…ねぇ。

劇中で彼が主張していた、「楽しくないとダメ」「つまらない話は誰も聞かない」「テーマは希望と明るさ」っていうのは狙いとして絶対的に正しいとは思うんですが、ただこれって彼自身がそうであるように、イデオロギーや内容の善し悪しはまったく関係のない話なので、いかようにでも悪用できる手法というか…結局は“騙し”に近いテクニックのような面もあるので、「強力な力も良い方に使えばいいでしょ」的な「バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生」に出てきた「スーパーマンほっといて良いのか問題」に似ている問題を内包している気がしました。んで、これが今の時代でも同じように…というかこれ以上に大きな問題として残っているのが怖いな、と。

今はビッグデータを使って本当にいろいろと“狙い通りに”操作することが可能な時代なので、こういううまく民衆を扇動する技術を使えば、善悪関係なくどちらかに社会が動いてしまうわけです。これはすげー怖いな、って思うじゃないですか。

法律だって憲法だって改正し放題ですよ。ぶっちゃけ。事実、現在の自民党は電通と組んでかなりこの手の手法を駆使している、というのもまた怖いところ。

なんとなくぼんやりと「独裁政権だったら倒れたほうがいい、俺もNOだ!」と思ってレネを応援する気持ちは当然なんですが、ただそれは主人公がたまたま良いと思う方に与していただけの話だし、そもそも良いか悪いかはその人の主観によるし…ということを考えると、どっちに向けてであれこういう力が使われる、大衆を誘導する手法が確立されている、っていうのは怖いと思うんですよね。

これまたゴルゴ13の例えで申し訳ないんですが、アメリカがCIAを使って傀儡政権を樹立する話が出てくるんですね。南米だったかアフリカだったかその辺で。大統領候補はアメリカで用意した俳優で、身振り手振りから話し方まですべてレクチャーして、狙い通りに支持を受ける、っていう。そういう一部の勢力が自分たちに都合の良いように民衆を操作する、っていうのは…今も昔もあることだと思いますが、やっぱりそれが可視化された時にちょっと複雑な気にはなるなぁ、と。

もちろんこういうのは政治に限らず、それこそお菓子の売り方なんかでも利用されているし、「マネーボール」のセイバーメトリクスなんかもそういうのに似た部分があると思うんですよ。

んで、効率の良い方法で社会を操作する手法が行き着く先は、極端な話「トゥルーマン・ショー」なんじゃないか、と。それって結局ディストピアじゃないの、みたいな気がするわけです。

はっきり言って考えすぎですが、でも昔の大らかな良くも悪くもピュアな世界とは違う分、気味の悪さもあるし、コントロールしやすい社会ってすごく危険な気がして。そういう部分を考えると、いろいろ考えさせられる映画だな、と思ったわけです。

余談ですが、僕はイケアが嫌いなんですよね。あの決められたルートで買い物しなさい、ここでこれを見なさい、って導線引かれてベルトコンベアに乗せられている感じが。

多分そんなこと思う人ってそんなに多くないと思うんですが、そのイケアで感じる「操作されている嫌な思い」に似た感覚を覚えた映画でした。

映画自体はすごく良い映画だと思います。

ただ、そこで描かれているものにちょっと嫌な側面があるよなと思わされたわけです。もっともそれも含めて、観てよかったと思うんですけどね。

このシーンがイイ!

息子を預けるシーンがいろいろと情報入っててよかったですね。去り際の複雑な表情も○。

ココが○

実際にあった政治の動きとして、これほどまで面白い、ダイナミックな動きが見える事例ってなかなかないと思います。間違いなく世間を動かしたのは広告の力だし、その内側が観られる面白さは他にないでしょう。

それと何気に当時のハリウッドスターたちがコメントを寄せている映像がチラッと流れるのも見所かもしれません。クリストファー・リーヴとか。懐かしい。

ココが×

映画として言えば、やっぱりちょっと昔の映像に合わせようとわざわざ劣化した映像で構成したのは好きじゃなかったですね。気持ちはわかりますが、最近は綺麗な映像と古い映像を混ぜた映画も多い(それこそ最近観たアイヒマン関連とか)し、役者だって普通に現代の有名な役者(ガエル・ガルシア・ベルナル)を使っている以上、そこにこだわって見た目を損なう必要はないんじゃないのかなーと思います。普通に見辛くてちょっとストレスだった。

MVA

ベタでスミマセンが、やっぱりこの人でしょうね。

ガエル・ガルシア・ベルナル(レア・サアベドラ役)

スペイン語圏の映画でこの手の社会派いい男をやらせたらオンリーワンのような気がしますが、他を知らないだけという噂もあります。

まーしかし相変わらずいい男ですね。役にピッタリで。やや抑圧的な演技が良かったと思います。

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