映画レビュー1438 『最後の決闘裁判』
例によってアマプラ終了直前のアレ。一応観ておかないといけないかな系かと思い鑑賞です。
最後の決闘裁判
『決闘裁判 世界を変えた法廷スキャンダル』
エリック・ジェイガー
マット・デイモン
アダム・ドライバー
ジョディ・カマー
ベン・アフレック
ハリエット・ウォルター
アレックス・ロウザー
マートン・チョーカシュ
ジェリコ・イヴァネク
2021年10月15日 アメリカ・日本
153分
アメリカ
Amazonプライム・ビデオ(Fire TV Stick・TV)
テーマは◎だけど…構成にあまり意味が感じられない。
- 親友に妻をレイプされたと訴え、決闘裁判でどちらの言い分が正しいかを決める
- 被害者の夫・加害者・被害者の3者の視点から事実を観ていく三部構成
- しかし新事実が出てくるわけでもなく、三部構成の意味はあまり感じられない
- 話としては現代にも通じる内容でよく出来ているのも確か
あらすじ
なかなかの力作で考えどころも多く面白かったんですが、しかし一番のポイントらしき三部構成があまり効果的に思えず、そのせいで冗長に感じられてしまったのが非常にもったいない映画だなと思います。
ともにピエール伯(ベン・アフレック)に仕える従騎士のジャン・ド・カルージュ(マット・デイモン)とジャック・ル・グリ(アダム・ドライバー)は戦場で互いの命を救い合ったこともある親友同士でしたが、後にカルージュが資産を確保するために貴族の娘・マルグリット(ジョディ・カマー)と結婚、その持参金として得た重要な土地をピエール伯が接収して彼の腹心となったル・グリに与えるという事件が起こったことで不和となり、その他にも様々な出来事が重なってカルージュはル・グリを疑うようになります。
一方プレイボーイとして有名なル・グリはカルージュと再会した際、彼が「滅多に外に出てこない」と噂されていたマルグリットも伴っていたため彼女に一目惚れしてしまい、その後は彼女への欲望を募らせ続け、やがて“事件”が起きるわけですが…あとはご覧ください。
三部構成の意味
言わずと知れた「グラディエーター」(もうすぐ2やりますね、って書いてたら掲載する頃にはもうやっていた)の監督、リドリー・スコットだけあって中世の描写はお手の物、ロケーションから衣装その他小道具に至るまでやはり見事で非常に見応えのある映像でした。世界観の作り方はまったく文句がありません。素晴らしいの一言。
そんな封建社会の中世を舞台にした、古臭いしきたりの中で描かれる“虐げられる女性”の構図と、それを受け止める社会の閉鎖性を「今も変わってなくね?」と問題提起するような内容の映画と言えます。
まさに「シー・セッド」やジャニーズ問題と同じような構造の問題がこの頃からずっとあるよ、人間進歩しないねってな話なのでやっぱりいろんな意味で悲しくなるような映画ではありました。
その“問題”は、単純に「欲望に負けた男による性犯罪」そのものも当然ですが、むしろそれよりもその告発を受けた周りの方がより深刻で、「告発を信用しない」人間もいれば事件の真贋以上に「告発すること自体が憚られる」と口を封じようとする人間もいるし、「あんないい男に抱かれておいて文句を言うなんて」みたいな同性からのやっかみもあったりと本当に様々。
かと言って味方であるはずの夫(カルージュ)は夫で、妻に対する接し方や対応に(現代との時代の違いがあるとは言え)これまた問題が多く、言ってみれば四面楚歌の被害者(マルグリット)がどうにも不憫でなりません。
原作はノンフィクションの書籍らしいので、さすがに古い話かつ映画化作品なだけに「全部事実です」とはいかないでしょうが、大筋の内容は史実に則ったものなんでしょう。
その原作を元に、被害者の夫であるカルージュ視点で描く第一部、加害者であるル・グリの視点で描く第二部、そして被害者であるマルグリットの視点で描く第三部(+裁判の行方)の三部構成になっています。
Wikipediaによると、その原作についてプロデューサーから最初に連絡をもらったマット・デイモンが「黒澤明監督の『羅生門』の3つの異なる視点についてしきりに話をしていた」らしく、今回彼が脚本も兼ねていることからおそらくはマトデを中心に「三部構成にしよう」となったんだろうと思われますが、肝心のその三部構成があまり有効に作用しているようには見えず、そこが本当に惜しい映画だなと思います。「珍しい見せ方をしたくてやったけど長くなっただけでした」みたいにしか思えない。
確かに各人の視点で見ると見え方が違うので、最初はカルージュ視点で観ていた観客は彼に感情移入するものの、次第に(レイプ事件は置いといて)ル・グリはル・グリで出世のためにはこのムーブもしょうがない…みたいに見えてくる面は実際にあります。
ただ、それでもぶっちゃけ「普通に順番に描いて一本の映画にすればよくね?」感がすごいんですよ。別に分ける必要もないじゃん、っていう。
例えば似たような構成の映画「お嬢さん」であれば、後のパートを観ることで「なるほど本当はそうだったのか」という気付きがあったので、この映画も同様に「実はレイプじゃなくて誘惑してたとか…」みたいな裏読みをしつつ観たんですがそういったこともまるでなく、二部三部で出てくる新事実がほとんど無い。
視点の違いはあれど事実に違いが無いので、じゃあなんで三部構成にしたんだよ感がすごいんですよね。
当然同じ時間軸を三回繰り返す以上、ある程度端折ってはいたもののそれなりに上映時間も膨れるし、結果2時間半使ってこれだと「普通に描いて2時間で作れたんじゃないの?」という疑念ばかりが膨らむわけです。2時間超えると一気に観るのが億劫になりますからね。こっちは。
結局「羅生門」に感化されたマット・デイモンが「これがやりたかったんだよ〜」ってニッコニコで暗い映画作りました、ってだけじゃないの? みたいな。
それはそれで別に良いんですが、もうちょっと効果的な脚本でやったほうが良かったんじゃないのって話です。
マルグリットつら
一方で現在につながる「あらゆる意味での被害者の報われなさ」は存分に描かれていて、昨今のポリコレ至上主義的な傾向も若干感じなくはないですがそれでも内容はしっかり現代人が受け止めて考えるべきものだと思います。
まーとにかくマルグリットが気の毒。父親がかつて国を裏切った過去を持っている、という出自からしてしんどい。
しかし一方で絶世の美女だったためにル・グリに目をつけられてしまう…というのもつらい。
最近「容姿がいい女性は相当要領が良くない限り人生ハードモードになる」みたいなまとめを読んだんですが、マルグリットもまさにそのパターンかもしれません。
ただ彼女を中心とした問題提起をするのであればなおさら三部構成はノイズになってしまう気がするし、ストレートな作りにしても作品自体の面白さで勝負できるだけの力はあると思われるだけに、やっぱり「普通に作れば良かったんじゃないの」と思っちゃうのも事実。
ということで内容の良さに対して構成が邪魔をしているもったいない映画だね、と評価を下して終わりにしたいと思います。
…と書いたところで今思ったんですが、もしかしたら三部構成にすると「飽きづらい」メリットはあったかもしれません。
どうしても中世モノでかつ戦争モノではないだけに絵面も地味だし、普通に通しで作ると途中で観客が飽きてくる…っていうのはありそうな気もします。
そこを見越してこうしたとは思えませんが、一応そういうメリットもあったかもな、と。
それでもやっぱり「視点を変えた三部構成」にした時点で「知られざる真実」みたいな期待を抱かせてしまうのは事実だと思うので、やっぱり普通に作った方が良かったと振り出しに戻るわけです。
それでもこの構成で行くならもっとバサバサ切ってテンポよく見せた方が冗長さを感じずに済むのでいいのでは…とも思いますが、そうすると中世らしい重厚さも失われてしまうのでこれまた難しい。
結局やっぱりテーマと構成が合致していないという結論になるのかなと思いますが、これ堂々巡りになってない??
このシーンがイイ!
最後の決闘シーンはさすがに迫力もあるし、それぞれの思いも考えちゃうしでよく出来てましたね。さすがの見せ場。
ココが○
仮に純粋な創作であればあまりグッと来なかった気がするんですが、史実を元にしているとなると「中世からこれで今もこれかよ」みたいなうんざり感はどうしても感じられるし、そこがテーマ性という意味では非常に良かったと思います。人類の成長しなさ加減にうんざりするというか。
ココが×
三部構成の話を置いておくとすると、テーマがテーマだけにもう少し“マシ”な男も出てきてほしかったですね。
「82年生まれ、キム・ジヨン」みたいに夫もいい人だからこそやるせなさが際立つ、みたいな点がまったくなく、主要男性陣は(ただヘラヘラしてるだけの国王含め)軒並みクズばっかり、というのが過剰なポリコレ主義を感じさせて反発を買いそうな気はするな、と。
MVA
本来はル・グリをベンアフがやる予定だったそうですが、スライドしてピエール伯に。ほんとこの手のダメクソ野郎の役が似合うよね、ベンアフ。
改めてル・グリに充てがわれたアダム・ドライバーはやっぱり見事な演技で素晴らしかったんですが、でもこの映画は…この人かな。
ジョディ・カマー(マルグリット・ド・カルージュ役)
カルージュの妻で被害者。
彼女の生きづらさがすべての映画なので、それに説得力を持たせる意味で最高のお仕事をされたのではないかなと思います。文句なしです。