映画レビュー0377 『L.A. ギャング ストーリー』
予告編の段階では結構期待していた映画。ただ漏れ聞こえてくる評判はあまり良くなかったので、行こうか行くまいか迷ってはいたんですが、無料鑑賞券的なポイントが貯まったので…まあ迷ったら劇場行くべ、と行ってきました。暇だし。
L.A. ギャング ストーリー
昔のL.A.を舞台に描いた薄い戦隊モノ。
観る前から「比べるまい」としっかり自分に言い聞かせてはいたものの、やはり40~50年代のL.A.が舞台となると、個人的サスペンス映画歴代No.1と言っていい「L.A.コンフィデンシャル」であり、同じ香りのする名作「チャイナタウン」(こちらは30年代のL.A.が舞台)を想像せずにはいられません。この2作はいわゆるフィルム・ノワールであり、あのセピアがかった苦味すら感じるような重厚感がすごく良かったわけですが、観る前からこの映画は「フィルム・ノワールじゃないよ」と聞いていたので、ああいう映画をもっと軽く娯楽寄りにした感じなのかな、と思って観た結果、残念ながらそれよりもさらに軽い、「フィルム・ノワール娯楽寄り」ではなく「ただの娯楽」だったな、と。
一応、敵役が実在するギャング、ミッキー・コーエンであり、オープニングでもご丁寧に「実話にインスパイアされた系の映画だぜ」みたいな字幕が出ますが、物語は完全なる創作と言っていいでしょう。ミッキー・コーエンの行く末(ネタバレなので書きませんが)も事実と若干違うし、そもそも「チームを作ってコーエンを潰せ」と命じる本部長も実際は汚職まみれのヒドイ警官だったらしく、名前だけ借りた作りモノ。チーム自体もモチロン創作なので、完全フィクションとして観るのが正解です。
「L.A.コンフィデンシャル」も創作ではありましたが、ミッキー・コーエン逮捕後のL.A.の権力を巡る争いにリアリティがありました。ですが、この映画はわかりやすく言うと「40~50年代を舞台にした戦隊モノ」で、メインはあくまで(取ってつけたような)個性ある連中で組まれた戦隊がミッキー・コーエンの名を借りた悪の権化を打ち倒すぞ!というごくごく単純なヒーローモノです。
その「ごくごく単純なヒーローモノ」なんて今時恥ずかしくて作れないので、大体のヒーローモノは「ダークナイト」路線のように深みを持たせる方向にシフトして行っていますが、この映画に関しては、「古いL.A.を舞台にすると逆に新しいでしょ?」みたいな浅い動機しか見えず、結果的に人物描写、アクション、暴力、すべてが薄い。ぬるい。
一応途中まではそれなりに楽しめてはいたんですが、後半の尻すぼみ感がまたなかなかのもので、どれもこれも地に足のつかない、中途半端なフワフワした流れにイライラしてくる始末。おまけに登場シーンを観た時点で「あー、こいつ死にそう」と思った人がきちんと死んでくれたりと、これまた素晴らしく裏切らない展開に、思わず金返せ! …あ、そういやタダだった(照)みたいな。
ちょっとねー。
戦隊モノとして観ても浅いことに変わりはなく、完全にアクション映画と割り切れるとしても「それなり」だと思うので、そこそこ映画を観ている人にはオススメできません。
舞台は良し、設定も悪くはないんですが。とにかく全体的にあらゆる面が軽いし薄い。それがすべてだと思います。「L.A.コンフィデンシャル」は歴史に残る名作だと思いますが、残念ながらこの映画はただの消費財でしかなく、僕もきっとすぐ内容を忘れるでしょう。
もうなんなら監督と脚本家はミッキー・コーエンの墓前に謝罪に行ってもらいたい。自分たちの金儲けのためにつまらない物語に使っちゃってごめんね、と。
ちなみに、真っ向勝負は挑んでいないものの、やはり「L.A.コンフィデンシャル」は念頭にあったんでしょう、ラストシーンに出てくるこの映画の原題ロゴが「L.A.コンフィデンシャル」と非常に似ていました。
挿入歌もあの時代の感じがよく出ているものを使っていて、そこは好きなんだけど、でも「そこでごまかすなよ」という気もして。挿入歌を除いた劇伴も軽く、完全にただの娯楽映画になっていたし、ライティングその他絵的なものもまさに“ニセモノ”。だったらいっそコメディにしてくれよと思います。
この時代の雰囲気が好きなだけに、非常に残念でした。
このシーンがイイ!
歌のバックでとある場所を襲撃するシーン、これまたありがちっちゃーありがちですが、あの歌の軽快さと勝負に出てる男たちの対比がかっこよくて、結構好きでした。L.A.っぽいな、と。
ココが○
前半はそこそこ良かったと思います。特にジョシュ・ブローリンの容赦無い感じとか。そこで期待が膨らんだ面もあったかもしれません。
それと、若干ですがやはり史実とオーバーラップする部分もあり、「L.A.コンフィデンシャル」でも出てきたラナ・ターナーとジョニー・ストンパナートの話なんて思わずニヤリとしましたね。
ココが×
上に書いた点を除いて、一つすごく気になったのが、舞台背景的にそれなりに小物類にも気を遣っているであろうこの映画で、オマラが奥さんを見送る駅らしき場所のシーンでいきなりド合成になるんですよ。当時の映像を使いたかったのかもしれませんが、あの無理矢理感にはビックリ。ちょっとのシーンだし、スタジオで撮れなかったのかなぁ…と。
他でも結構合成は使っているようなんですが、それにしてもこのシーンだけはあからさまにひどかった。そこにまた薄っぺらさがあるな、と。
MVA
チームメンバーがイマイチではあったものの、主要キャラはさすが有名所だけあってなかなかでした。特に今回初めて観たエマ・ストーンはかわいかったですね。ただ時代に合ってる感じはしませんでしたが。
ライアン・ゴズリングは時折見せる容赦の無さが「ドライヴ」を彷彿とさせて「キタキター!」って感じがあったものの、それも僅かなシーンしかなく、そもそもそういうのが観たいなら「ドライヴ」の方が全然良かったという罠。妙に声が高いのもちょっと気になったり。最後まで彼のキャラクターもまた薄かったのが、MVAを考える上ではちょっとマイナスだった面は否めません。
ということで、今回はコチラの方にします。
ジョシュ・ブローリン(ジョン・オマラ役)
寡黙で熱い正義の警察官。そしてこの人もまた容赦が無い。
なんというか、パンチが重そうなんですよね。この人。そこがいいなと。すげー痛そうで。
実直に戦い続ける姿はハマリ役で、むしろこの人のこのキャラがこの映画にはもったいない、そんな気がするぐらいカッコ良かったです。