映画レビュー0934 『ジョーカー』

本当は行くつもりがなかったんですが、公開前からあまりにも「すごいらしいぞ」と高評価がわんさか聞こえてきたので観に行くことにした次第です。

公開翌日の土曜日、IMAX2Dで観てきました。

ジョーカー

Joker
監督
脚本

トッド・フィリップス
スコット・シルヴァー

原作(キャラクター創作)

ボブ・ケイン
ビル・フィンガー
ジェリー・ロビンソン

出演

ホアキン・フェニックス
ロバート・デ・ニーロ
ザジー・ビーツ
フランセス・コンロイ
ブレット・カレン

音楽
公開

2019年10月4日 アメリカ・日本

上映時間

122分

製作国

アメリカ

視聴環境

劇場(IMAXレーザー2D)

ジョーカー

今の時代だからこそ生まれた“完璧な誕生譚”。

9.0
バットマンの永遠のライバル、ジョーカーが誕生するまで
  • ジョーカーが誕生するまでを描いた単体の映画
  • DCEUには(今のところ)絡まない完全単品の映画
  • 今の時代だからこそリアリティを持った恐ろしさと悲しさ
  • ホアキンの壮絶な演技も見どころ

あらすじ

言わずもがなですが、ジョーカーと言えば世界一有名なヴィランと言っても言い過ぎではないでしょう。

そうさせた功績はかつてのジャック・ニコルソンであり、それをさらに「ダークナイト」のヒース・レジャーが(自身の死という出来事も含め)より大きくしたのは間違いのないところです。

その後ジャレッド・レトが「スーサイド・スクワッド」でその任に就きましたが、あれは映画自体がイマイチだったせいで突如現れた大槻班長によってノーカン扱いされた雰囲気もあって少々お気の毒カイジ参照。

いまだに「(印象の強い)ヒースの後にジョーカーやる人は大変だ」ってな風潮の中、今回満を持して(?)現代におけるトップ個性派俳優と言って良いホアキン・フェニックスが受けて立ち、そして完璧なまでに自らのものにしたという映画。傑作と言って良いでしょう。

主人公はそのホアキン・フェニックス演じるアーサー・フレック。

彼は精神的な病を患っていて、過去には精神病院に入院していたこともあったようですが、今は出所して母親と二人暮らし。

彼は今で言う興行会社のような人材派遣会社のようなところに所属していて、その都度依頼があった場所に行ってはピエロの格好をして宣伝したりちょっとした見世物をしたりという仕事で糊口を凌いでいるような厳しい状況ですが、一方でテレビに出てくる憧れの有名司会者“マレー・フランクリン”のようなコメディアンになる夢も持っています。

経済状況は芳しく無く、また精神病の件もあっていわゆるソーシャルワーカーと毎週面談をしていたりする、まあ一言で言えば「ワーキングプア」でしょうか。

彼はとても母親思いであり、体も弱く病気がちな母を半介護のような形で世話をしながら真面目に働いているんですが、ある日とある店の閉店セールの宣伝をしていたところその看板を不良たちに盗られた挙げ句、取り返そうと追いかけたらボコボコのボコにされるというなんともやるせない事件が起き、おまけに雇い主には「看板はお前が弁償しろ」と言い渡された上に解雇通告され、さらに相談に行っていたソーシャルワーカーも市の予算削減により姿を消し、薬をもらうアテも無くなるという踏んだり蹴ったりの状況。

やがてある日起こった事件を境に、徐々に…しかし確実に“ジョーカー”への道を歩み始めることになるんですが…あとはご覧ください。

彼がなぜジョーカーになったのかを丁寧に描く

実はこの映画を観る前、予習的に観たほうが良いという話を聞いたので去年の年末にAmazonのセールで買いつつ開封すらしていなかった「キング・オブ・コメディ」を観ました。(レビューは後日掲載します)

もう一つ、影響下にあると言われる映画が「タクシードライバー」。そう、どちらも監督はマーティン・スコセッシ、主演はロバート・デ・ニーロです。

そして今回、この映画でホアキン・フェニックス演じる主人公のアーサーが憧れるコメディアン、マレー・フランクリンを演じるのがロバート・デ・ニーロその人だよと。

彼の役どころは、まさに「キング・オブ・コメディ」でロバート・デ・ニーロ自身が(演じた男が)目指した役柄そのものなんですよね。つまりキング・オブ・コメディの主人公(ルパート・パプキン)と今作の主人公は「トークショーの司会を務めるコメディアンに憧れる男」としてダブってくるわけですが、ただのっけから完全にサイコパスだったルパートと比べると、ホアキン演じるアーサーは少なくとも最初は“善良な一市民”であり、この映画はその“善良な一市民”が最終的に“世界一有名なヴィラン”であるジョーカーに変貌していく姿をわかりやすく丁寧に描いた映画と言えます。

「わかりやすく丁寧に」と書きましたが、そこまで露骨に親切に何でも説明して観客をバカにしたような丁寧さがあるという意味ではなく、非常に“察しやすい”作りなので誰もが「狂っていくことに納得できる」ような強さがあると言い換えても良いでしょう。「そりゃあそうなっても仕方ないよね…」みたいな納得感が非常に強い。

そしてその納得感の裏にあるのが、現代社会とダブったゴッサムシティの格差社会にあるのではないのかなと。

一部の者は富み、大半の者が生活するのに精一杯。しかも社会保障は削られ、他人に手を差し伸べる人が少ない都会。この映画でのゴッサムシティほど極端ではないにせよ、舞台的に結構東京(≒日本)と重なる部分は多いと思いましたね。

特にアーサーが孤独を深めていく環境は「地域コミュニティの無さ」の影響が大きく感じられて、今の都会(日本に限らずなんでしょうが)のイメージとも重なるし、社会保障削減もまさに今日本で起こっていることそのものだし、いろいろと生々しいリアリティを持った話だと思います。

多分頭でそんなことをいちいち考えていなくても、どこかでそういう意識を共有しているからこそ“響く”人が多いんじゃないでしょうか。

今の時代だからこそ描けた、伝わった内容

何度か書いていますが、僕はある程度映画を観るようになった結果、「その時代にしか作れない映画」という着眼点に興味を持つようになったんですよね。

アメリカン・ニューシネマ系統の映画もそうでしょう。あの時代だからこそああいうものが多く作られ、そしてウケたと。それと以前も例に出しましたが、「摩天楼はバラ色に」も先進国が上昇傾向にあったからこそ作られた浮かれっぷりなわけですよ。あんなマンガのようなサクセスストーリーが受け入れられるだけ緩く、また高揚した時代だったんだぞと。

そういう文脈で見たときに、この「ジョーカー」は間違いなく今の時代だからこそ描けた“ジョーカー誕生譚”だと思うんですよね。

上に書いたような社会構造の問題をうまく登場人物に当て込み、さらにその背景に社会不安も混ぜ込んで、混沌とした社会の中から「この男は必然的に生まれてきたんだよ」と思わせる物語の作り方が抜群に上手い。

多分20年、もしかしたら10年前でもこの話は少し受け入れられ難かったかもしれません。「(創作だし)ゴッサムひでぇな」だけで終わってたかもしれません。いかにも漫画原作っぽいよな、って。(一応補足しておくと、この映画はDCコミックスからキャラクターを引っ張ってきているだけでストーリー自体はオリジナルです)

ただもうこの話が「いかにも創作だね」で済ませられる時代はとうに終わっちゃってるんですよね…。だからこそ観客は妙な当事者性を感じていろんな感情を抱くんだと思います。

僕はとても悲しかった。とにかく悲しい話だと思いました。アーサーという一人の男性が(無理もない形で)変わっていってしまう様がつらかった。他人事ではない部分もあったと思います。

一方で「気持ちいい」、「スカッとした」という人たちもいるわけです。ある意味ではアーサーの逆転人生(サクセスストーリー)にもなっているので、それはそれで正しいし、そう見えるからこそ「ジョーカーが持つカリスマ性」を見事に表現している映画でもあると思います。その二面性がまたすごいんですよ。

リアリティがあって悲しく、彼の歩む道は間違いなく悪でありながらカリスマ性があってかっこよさすら感じる。そして単なる“善良な一市民”だった男が「誰もが知っているジョーカー」ときっちりつながるほどに整合性も保たれている。これはなかなか奇跡的なバランスの映画ではないでしょうか。まさか「ハングオーバー!」の監督がこんな離れ業をやってのけるとは…。

ここまできっちりと「(観客にとって)リアルで当事者性のある悪のカリスマ」を描いてしまうと、「悪い影響が出そうだから警備を増強した」というアメリカの事例も頷けます。それだけ「これ、俺のことじゃねーか…」と感化される人が出てきてもおかしくないぐらいに生々しいし、そう思ったところで責められないなと思ってしまうぐらいに見事な“スイッチ”を見せられました。

物事は見方によって見え方が変わります。それは文章にすればごくごく当たり前で「そりゃそうだろ」という話です。が、それを重く暗い物語の中で少しずつ石を積み重ねた結果言われると、説得力がまるで違うわけです。その説得力を受けて、“自らの世界の見え方”を変えてしまおうと考える人が出てくるのは、むしろ自然な流れなのかもしれません。

もちろん大きな事件が無いことを祈りますが、しかしこれほどまでに自己責任論が大好きな日本人を見ていると、いつかこの映画のようなことが起きても驚かないような気がしてそれが怖くもあるんですよね。

ちょうど昨日辺りでしょうか、「12年働いて手取り14万って日本終わってますよね?」と発した人に対して某ホリ●モンが「日本じゃなくてお前が終わってんだよwww」と小馬鹿にしたと話題になっていましたが、そのリプについている自己責任論者の多さを見ると本当に他人事ではないなと。

「転職しろよ」と言うのは簡単だし、身近な人に言われたのであればその手のアドバイスをするべきだとも思いますが、その人がなぜその仕事に就いているのかもわかっていないごくごく限られた情報のみで頭ごなしに自己責任をぶつけてくる人間がかくも多いというのは、僕は社会としてかなり危険な兆候ではないかと思います。発言に何の責任も負っていない人間たちが寄ってたかって自己責任を盾に攻撃しまくる、っていうのは…ちょっと平常な世界ではないですよ。

その「平常ではない世界」がゴッサムシティのようにならなければ良いんですが…。そう思う人間が少数派なんでしょうね、今は。

今後はどうなるDC

だいぶ話が逸れましたが、これを観て気になったのがDCの今後の戦略。

そもそもこの映画は(うろ覚えなので詳細は違う可能性があります)トッド・フィリップス監督が「マーベルは化け物だから同じことをやっても勝てるわけが無い、だから単体の映画のクオリティを高める方向でやるべきだ」と言って手掛けたもので、ホアキンジョーカーは(一応“現段階では”の注釈付きではありますが)今後のDCEU(DCエクステンデッド・ユニバース)にも登場しないと明言しています。

となるとDCは今後もこの映画と同じように「単体映画として最高のクオリティを目指す」方向にシフトしていくのか、はたまたユニバース系の映画も並行して作るのか…どうなるんでしょうね。

ただジョーカーは文字通り“切り札”だと思うんですよ。これほどまで知名度とイメージが共有されていて、なおかつ魅力的なキャラクターってなかなかいないので。

その切り札を切った後、同じような志で同じようにクオリティの高い映画が作れるのか…この路線で行くのであれば、まさに(主人公が誰になるかはわかりませんが)次作がかなりの勝負所ではないかと思います。

いずれにしてもDCとマーベルが競うことでレベルが上がっていくのは大歓迎なので、今後もDC映画から目が離せませんねとありがちなコメントを吐いて終わることにしましょう。よろしくどーぞ。

ネタバレー

無理があるタイトルですどーぞ。

なにせ「ジョーカーになる」ことがわかっている以上、終始不穏な空気が漂っていて「いつ狂うのか」が怖くて怖くてなかなか観るのがしんどい映画でしたが、まあ…「そうなるんじゃないかな」と思いつつ、母親を殺したシーンとマレー・フランクリンを撃ったシーンの「後に戻れない感」は…なかなか他では味わえない感情が味わえたような気がします。ずっと気の毒だと思っていただけに、そもそもがそう言う話ではないことはわかりつつ、でもまだ善良な人でいて欲しかったという気持ちがあったので…「死んだ」「殺した」以上に強い悲しみを感じましたね…。

それにしても、ですよ。

最初の殺人でピエロが「格差社会のアンチテーゼ」としてアイコン化する→事態が拡大してデモが企画される→そのタイミングで“ジョーカー誕生”を世間に知らしめるマレー殺し→デモが暴動化してトーマス・ウェインが殺害される→バットマン誕生につながる、ってこの一連の筋立ての完璧さですよ。これは本当に舌を巻きましたね…素晴らしい。

これ言っちゃうとネタバレになるので本レビューには書きませんでしたが、「バットマン版ローグ・ワンだな」と思いました。っていうかローグ・ワンのネタバレになっちゃうけど。まあいいじゃない。

この「最後を別の話につなげる」作りはタマランですね。もう。「うわーそういうことかうわー!」って。

それと彼が開き直ったことを告げる「俺の人生は悲劇だと思っていたが、喜劇だったんだ」というセリフ、このセリフの強さが本当に恐ろしい。

これ、もう人生に悲観している人すべてが使えるスイッチになっちゃうんですよ。ジョーカーと同じように「こんな人生、(暴力によって)喜劇にしてやる」って思う人間が増えてもまったくおかしくないぐらいに同情と魅力を備えているわけです。この映画のジョーカーは。

実際は諸々の条件(上に書いたような社会の不満を惹起するフェーズから自らをアイコン化する出来事を作り上げる段階)が必要なので、やったところで単純に犯罪者として粛々と罰せられるだけの話なんですが、そこまで考えないでやっちゃう人がいてもおかしくないし、だからこその本国アメリカでの厳戒態勢の話だったりが絡んでくるんでしょう。

もちろん僕はこの映画自体が暴力を助長しているとは思いません。それはよくある「ゲームが悪い」と同じような類の話だし、もっと暴力的な映画も山程ありますからね。

ただ非常に完成度が高く、主人公に同情とシンパシーを感じる作りの物語がこれだけヒットするものになると、当然(単純化した浅い考えで)影響を受ける可能性がある人の総数も増えるし、となると逆に何もないのがおかしいんじゃないかと思うしそれがまたすごく怖い。

幸い(?)、「ダークナイト・ライジング」で起きた劇場での銃乱射事件は「ダークナイト」で影響を受けた犯人がその続編公開時にやってやろう、というつながりがあったと思われるので、この映画が単体映画なのは幾分マシなのかもしれません。2回目観に行ってやる人がいるかもしれないけど。

すべてが杞憂に終われば良いんですが、そんな心配をしたくなるぐらいにあまりにもジョーカーの描き方が見事だったので…「観客に影響を与えすぎる」映画も良し悪しなのかなぁと少し複雑な気持ちにもなりましたね…。

このシーンがイイ!

なんてことのないシーンなんですが…後半、アーサーが「誰も他人に関心がない」って言うシーンがあるんですよ。

あのセリフ、ものすごく刺さったんですよね。都会で誰かが倒れてても誰も気にせず通勤をやめない、とかよく聞く話じゃないですか。まさにそれだな、って。

ここで改めてはっきりと観客である自分に「お前は傍観者じゃないんだぞ」「日本も舞台になり得るんだぞ」と当事者性を持たされた気がして、ものすごくハッとしました。

ココが○

ジョーカーを知っている人にとって、「どうやってジョーカーになったのか」は普通に興味があるテーマでしょう。

それを本当に見事なまでに、現実社会への警鐘にすら感じられるほどリアルに生々しく描いたのは大袈裟に言うと“偉業”と言えるレベルですごいことだと思います。

詳しくはネタバレ項に書きましたが、後半の筋立ても鳥肌モノで完璧だし、これはやっぱり傑作なんだろうと思います。

ココが×

どうしても楽しい映画ではないし、ある意味では「見たくなかったものを見せられる」側面はあると思います。嫌なものを受け取って持って帰ってくる感覚もありました。

それでこそ映画だし、スコセッシの言う「スーパーヒーロー映画は映画じゃない、テーマパークだ」に対するカウンターにもなり得る内容であるというのは、スコセッシの映画に影響を受けていることからも非常に面白いところだと思いますが、「うるせぇ映画界がどうこう以前に嫌な気分になったんだよこっちは」というのもまた正しい感想だと思うので、早い話が「暗い映画は観たくない、嫌な気分になりたくない」場合は避けてしかるべきかもしれません。

ただ人によってはカタルシスを感じる、文字通り“ヒーロー映画”にもなるだけに…難しいところ。っていうか映画のジャンル自体どこに入れようか悩んだよ…。

実は最もジャンルとして正しいのは社会派映画なんじゃないかとすら思いましたが、ただ社会派映画ってカテゴリーを作ってないっていうね。

それとここまで熱弁を振るっておいて9点っていうのはむしろ低いんじゃないかって話なんですが、実は好きか嫌いかで言うとそんなに好きな映画ではないのでこの点数にしました。「それでも9点はつけないと」って感じで。

胸クソ悪い映画も好きではあるんですが、やっぱり少し当事者性が強すぎて直視できない嫌なものを見せられたような感覚があります。それだけよくできているのも間違いないんですが、でもやっぱり自分は明るい映画のほうが好きなんだろうな、と改めて認識させられたような気もします。

しかし語るにはとても良い映画ですよね、これはね…。それだけ社会性が強いんでしょう。

MVA

脇役とは言えロバート・デ・ニーロがやっぱり素晴らしいんですが、とは言えこの映画はもう満場一致でこの人でしょうよ。

ホアキン・フェニックス(アーサー・フレック/ジョーカー役)

ジョーカーと言えば…の中に完全に加わったでしょう。いやすごいわ。あのヒースの後としてこれほどまで「ものにする」のは。

なんでも23kgも減量して臨んだそうで、見た目痛々しいほどのガリガリっぷりがまた狂気を増幅してたようにも見えます。

彼は緊張したときや悲しいときとかに発作的に大笑いする病気を持っている、という設定なんですが、その笑いがまたすごかった。同じ笑いでも悲しみや怒りが透けて見える演技は本当に壮絶でした。マジですごい。笑いの概念が変わるぐらいにすごかった。

こうなってくると次にジョーカーをやる人は今まで以上に大変ですね…。誰がやるんだろうなぁ…。僕としてはサム・ロックウェル辺りが面白いんじゃないかと思いますが、はてさて。

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